今日は母が亡くなって二回目の月命日
一回目は49日(35日)法要でお寺でお経をあげてもらったのだが二回目にして初めての家での読経をお願いした
母の死後、最初の法要まで使う佛具を用意してくれた葬儀屋さんを除いて親戚以外では初の客人(笑)
読経のあと偶然休みだった娘が用意してくれたお茶を飲みながら住職が言う
「ここはいいねぇ 息子君が住まないんだったら早く誰かに貸したら?」
「いやぁそれも考えるんですけど仏壇があるのでなかなか踏ん切りがつきません」
「そっかぁ 立派な仏壇だもんなぁ 阿弥陀様も立派だし。 でもさぁいいじゃんニトリかなんかで小さい家具調の買って仏様とお骨と位牌だけ上の部屋に置いたら」
「えっ~~ ご住職とは思えぬお言葉」
「今はもうそんな縛られる時代じゃないにぃ 子供にこれを世話させるってそれも大変だよ 立派な部品が詰まっとるからこれはうちが面倒見てもいいし」
結構本気の様子
「そういえば墓仕舞いする人も多いみたいですね」
「そうそう皆うちへお骨持ってきて供養しといてくれって言わっせるがね」
「うちはまだ墓仕舞いするつもりはないですけど父と母と一緒に墓石に名前彫らなきゃと思ってるんですけど」
「まぁ彫らんでもいいよ キリがないがね。 そのまんまでいいに。」
なんかねぇ大胆なご意見を拝聴した
でも考えてみると自分が拝まれる立場になったとしても後生大事にされるってよりも自由気ままに子どもたちの人生を謳歌してもらいたいなぁとも確かに思う
その中にご先祖様に向かって心安らぐ時間があるのはいいことだけど義務になってしまうのはどうか
母が亡くなってから一日も欠かさず 帰命無量寿如来 南無不可思議光 ・・・を唱えてるけど義務って程でもないからなぁ
僕が18の時に12歳の弟を亡くして一年間毎日欠かさずこのお経を唱えてた
20分以上掛かってたんだけど最近のお経は短縮版になってて10分以内に終わるのです
すげー楽ちんになってしまってます
ま、気楽に続けましょう