木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

「好き」の種類

2010-02-28 19:04:19 | Weblog
アッキーナがオードリー春日のことが大好きってよく耳にする
その後に必ずと言っていいほどつく言葉
「でも付き合いたいとは思わない」
それはなんとなくわかる
いわゆるファンってやつなんだろう
遠くで見てる分には大好きだけど近くに寄るつもりはないファン
勿論近寄りたくて学校休んでまでも近づこうするファンってのもいるが

昨日の朝香織というちょっと怖いコメントが入ったのだが
いつもここを覗いてくれる複数の人が
かっつんファンって言葉を使ってくれた
そんなものありゃあせんと確信はしてるのだが
アッキーナが春日を思う100分の一でも
そんな目で見ていてもらえた可能性に改めて感謝する次第だ
あんがとね


相変わらず怠惰な日曜日が続く
今朝も一度6時に目覚めて
新聞を取ってきてもう一度寝床へ
ざっと読んでから数独一問
まだ7時なのでもう一回眠りに就いた

出てった女房とトランプしてる
ルールがよくわからなくて聞きながらしてるが
僕は遠慮がちな心に支配されちまってる
楽しくはないが 落ち着いていた
ときめいてはいないが自然だった

やっぱり否定はしない
この女が好きだったんだと思った
多分今までで一番・・

夢から覚めて思う
だからと言って最後の生活に戻るのは絶対にできない
それはむこうも同じなんだろう
赤面ものだが
僕が彼女を思うよりきっと思われてたはず
だからこそ憎む感情に支配されて家庭内無視を1年半も続けられた
たまったものじゃなかったけど 彼女の性格を思えばちょっとだけその構造をうかがうこともできなくはない

「好き」の種類は山ほどあってそれはアナログ的に入り乱れる
ある時嫌いどころか憎しみが入り混じったりもする
いろんなとこでいろんなことが起こって いろんな感情が錯綜する
でもそれは他の誰も気づかない
自分の中で無数の感情にとらわれながら また今日を生きてゆく


きょう、幸せでしたか?

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忘れないで

2010-02-26 23:35:14 | Weblog
午前10時に建築事務所に電話をかけた
賃貸に使ってたエアコンが16年で壊れたんで取り替えてもらった
今日振り込んでおきました と もう一つ取り替えお願いします
支払いは4月10日でいい?・・と
OKという返事だったんでじゃ入居者の電話番号教えるね
携帯を探したが見つからないんでそこで初めて気がついた
朝、自宅へ置き忘れたことを

その時間帯の携帯は仕事場へ掛かってくる電話を全部転送してる
だからこのままの状態で仕事の電話は全部携帯が処理する
それを解除するのは今使った仕事場の電話で142を押して転送解除・・・(発信は解除してなくても可能)

それも気がつかん(朝来た時に無意識のうちに解除したと思い込んでる左脳)


午後2時お得意さんへ電話する
明日集金に行ってもいいかどうか
実はまだ製品は完成してないのだが
これは材料を貰って加工した後
一度部品をそこへ納品してお客さんが塗装工場へ送り
そこからうちへ送り返してきたものを組み立てる
今その組み立てをしてる最中であと一日二日で出来上がる
未納でも月末だといつも払ってくれるお客さんだから

奥さんが出た
「お宅から電話かかってきたら完成してなくてもいいから集金に来てくださいということでした」

あれ?こっちから電話するのをまるで待ち構えてたような言い方
実はその人から「集金においで」という連絡をしてくれてて
着信から僕が電話をすると思ってたらしい

それでもまだ携帯へ転送してることに気づかず



夕方 仕事を終えてPCいじってて初めて気がついた
(今日は一本も電話がかかってこんなぁ・・)
と思ったから。。

あっ 転送解除してないんだ
17時30分 初めて解除

事務所を出る18時30までに2本着信
それは偶然今日初めての電話らしかったが


帰宅するとテーブルの上に寝そべってる携帯
僕がいないうちに家内が来たみたい
明日誕生日の娘にばあちゃんからのお祝いのし袋がその横に置いてあった
別にエロメールもしないから覗かれてもいいんだが なんかいやな感じ

着信記録を見た
9件
うわっちゃ~~
発信元は・・やっぱりさっきの集金の件のところと
神戸からの太鼓撥の注文ファックス
それから思い当たらないところ2件

自宅に置き忘れ、仕事場での解除を忘れる
忘れるの上に忘れる 見事な連係プレーでもう全く連絡がつかない状態の一日
お客さまに迷惑をかけた

最近こんなんばっかし
さっき持ってた物の在りかがわからん
自分を罵倒する
結局神隠しにあったんだ と一応あきらめることもある
ま、たいてい2・3日のうちには出てくるが

だで 時々声もかけてね
忘れちゃうかもしれんから
  
  こ~~わ~~~


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季節忘れの線香花火 

2010-02-25 23:27:53 | 音楽
きみの浴衣の帯に

  蛍が一匹留まる

 露草模様を信じたんだね



 きみへの目隠しみたいに

   両手でそっと包む

 薬指からするりと逃げる



ちょっと前に「気付く」ってことの話をしたが
詞を書くというのはその典型だと思う
浴衣姿の彼女の帯に蛍がとまったらほとんどは偶然の出来事で済ます
そしてそれがまた真実なんだろう
でもその帯に露草の模様があるのを見て
ホタル君は本物と間違えたんだね
そう言葉にできることのなんと素晴らしいことか
誰もそんなことは信じてないけど
もしかしてあるのかもしれないと思えることが心を癒す

だから僕は昔さだまさしが好きだったのです
さらまわし と呼ばれても好きだったのです


前回のコメントでケロヨンが桜はあっても梅の歌って何故ないのでしょう
ってことで 「飛梅」があるではないか
と貼り付けたものにみるここが反応
そういえば 好きな歌があったなぁ
・・ってことで


季節はオフですけれど


さだまさし 多情仏心~線香花火 Live












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それぞれの桜

2010-02-23 23:05:50 | Weblog
さっき「開運!なんでも鑑定団」つけておいて見るとはなしに見てた
最後にエジプト関係の ホォ ってのを見せてもらって気もそぞろになったときに
エンディング
紳助と石坂浩二のあいさつが流れるむこうのエンディングテーマが聞こえてきた
 ええ曲じゃん 誰の歌?
 ああん 司会ジャマ~~
結局しっかり聞けなかった
さっそく調べたわさ
 辛島美登里 「桜」
で、でもYouTubeはおろか さわりの試聴もできひんかった
まだ早すぎる?
ホントにいい曲かどうかまだ確認してない




毎年 桜の曲がいくつか生まれてくる
去年は「さくら(合唱)」のことを書いたはず
それから「冬桜」ってのも書いたっけ

さてさて今年はどんな「桜」が咲くのでしょう
楽しみです
辛島美登里 僕は期待してます
今日はじめて一回聞いただけだが・・


昔の日記をひも解いてみた(またかよ)


■2003/12/11 (木) 森山直太朗

僕らは おかあさんの歌をよく聞いていた世代なんだけど
息子の歌もいいね
といっても 『さくら(独唱)』と『さくら(合唱)』しか知らないんだけど
もう一年なのかもうすぐ一年なのか 息が長い
どこかの女子高生と歌ってた(合唱)のほうをもう一度聞いてみたいなぁ
一回しか聞いてないから
 (宮城第三女子高等学校合唱部のコーラス・ダビングバージョン でした)

 さくら さくら 今咲き誇る
 刹那に散り行く運命と知って
 さらば 友よ 旅立ちの時~~
 変わらないその思いを今
  http://www.universal-music.co.jp/meta/umkk/clip/universalj/moriyama_naotaro/upch5166_01.ram
  はい ご視聴をどうぞ

ごしちょうさまでした
あ~あ また日記読んで下さる人が減るな



こんな短い日記を書いてたんだ 「ご視聴」じゃなくて「ご試聴」という誤字も見つかった
この時初めて日記に「音」を入れた
すごぉい 日記に音が入る と思ったものです
まだYouTubeもあったのかどうか知らないけど 少なくとも普及はしてなかった
それから時々試聴を拾ってきては日記に貼り付けたものです
ほんの20秒くらいかな さわりのところだけ再生できて それでも斬新だったなぁ
 今調べてみたら YouTubeの会社設立 2005年2月15日 って書いてあるからやっぱりこの時はなかったんだ
 すごい成長


3年前mixiにいたときにマイミクさんになったタメの男性
彼にも忘れられない「桜」があるという話を聞いた

50に手が届くか届かない時 奥さんが重い病になり入院した
見舞いのあと 一人病院のベンチで思いを巡らした
自分は 自分たちには未来があるのだろうか
子供たちも独立し その子供も生まれた
さぁ これから自分たちの人生を謳歌しようしたそのときに・・・
絶望的な想いとそれと打ち消す思いの綱引きの最中にこの歌がどこからともなく流れてきた


  僕は思いっきり泣いた 歌の中に没頭した。。



     きみとあるいてゆこう きみとあるいてゆこう  ・・・と









それぞれの桜がある
馨しき桜があなたの隣に咲きますように

    ・・・できればオレんとこにも
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美しい十代  みんな頑張れよ

2010-02-22 23:57:54 | Weblog
正直言って今何を書こうかという考えなしにメモ帳を広げて書き始めた
gooは調べ物しようとうっかりページを離れると今まで書いていた記事が一瞬にして飛ぶ
まあこれはgooに限ったことでもないかもしれないが
何回かそんな間違いをしてるんでメモ帳に書く習慣がついた


という話はこれで終わり
発展の仕様がない


先週の金曜日の仕事帰り
一軒同業者のところへ支払いにお邪魔した
1月に5,000円ほどの仕事をしてもらってまだ払ってなかったから
と言って請求書も届いてない
「ああ、そんなんあったっけ」
社長が悠長なことを言っている
それだけ余裕があるのかと言えば 実はそうでもないらしい
話を聞くと社長と従業員2人で切り盛りしてる木工所
うちと同じようなレベルだ
ただ、うちは個人事業だがむこうは合資会社だったかな?
一応立派な会社だ
その社長に給料が出ないくらいの現状という
もう60をいくつか越えてる彼は年金を受け取ってるらしいがその中から社員の給料を出してるとか
それはあながち嘘とも思えない
同じ仕事をしてるとよくわかる
そして実際やる仕事がないという
わずかにあるものは従業員に任せて自分は外回り・・する技術もないというが
僕らの仕事は多くの場合住居と仕事場が同じ
コストを極力避けてようやくやって行ける仕事だ

それなのにうちは貸工場でやってる・・
今はどうにか遊ばずに仕事してるけどこの先どうなるのか


これまで仕事の話をするとそんなんばっかしでよく知っててくれる人は
またこのオヤジ愚痴っとるわ って思ってるんだろうなぁ
まあいいや ホンマのことだから

そういや最近やってる仕事の紹介はしてなかった
今度気が向いたらまたやろうかな
っていうか もうそろそろ鍛冶屋をやらにゃいかんくなってきた
刃物がだいぶへたってきたからだ
これは暑くなればなるほど苦しくなるんで寒いくらいの時がちょうどいい
でもやりたくないことは後回しにする悪い癖
そうだ 決算・申告も・・・
ああ、いやな季節だ

今テレビでは事業仕訳の結果、スポーツ強化費の削減で日本は窮地に追い込まれてると報道してる
ドイツが270億円余りでトップ
27億円の日本の10倍
お隣の韓国でさえ100億円以上のそれがある
日本ってホントに何やってるんだろうね
心も体も貧しくなってゆく


若い貧しさはいいけどそこそこの歳になっての貧しさは寂しい
小学生の時覚えた歌は3番まで歌えちゃうよ







でも今日はちょっといい話を聞いた
知ってる人が現状を打破し、幸せへの第一歩を刻んだとか
頑張れよぉ
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24ざんまい

2010-02-21 23:04:17 | Weblog
しばらく離れていたけどまた「24」の世界にどっぷり漬かった2週間
だからあんまり記事書けんかったなぁ(゜_。)☆\パシッ(^^;
いいやすんません 休むは休んだけど一話が長すぎ・・ね

だから特に話題もないんで今日はこれまで  もチョイ寂しいかな

僕がいつも借りる店はゲオなんだけど
仕事場の近くと自宅の近くに店舗がある
今100円セールを長期間にわたってやってて旧作に関しては同じなんだが
新作とか新作だけど7泊8日とか準新作とかいろんな名目で余分に払わせようとしてる
まあそれは株主として許せんことでもない

新作は借りない主義なんで関係ないけど
準新作は・気になる
「24」の最新バージョンは1~12まであって
7までが旧作そのあと8~11まで準新作12新作が仕事場店 
旧作が10までで11が準 12が新作が自宅店
んなら全部自宅店を使えばいいと思うだろうが
準新作の値段が仕事場店は180円 自宅店は280円
実は全部旧作になってから見れば何の問題もない
でも株主優待がこの春で途切れるらしいんでちょっと焦って っていうほどのこともないけど
ちょっとばかしフライング気味で借り始めてしまった
借りたら面白いんですぐ次のが見たい
仕事場で借り~~の 自宅で借り~~の で8巻まで借りてさっき7まで見終わった
優待ってのは半額レンタルだから50円 準が仕事場で90円 自宅で140円。。。
けっち~~話やろ
どうやったら効率的に借りられるか 数学的検知を駆使して考えようと思うてるんですわ


しかし相変わらずジャックバウワーはむちゃんこやりはる



24 シーズン7 CM シャボン玉バージョン


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せんせい

2010-02-19 23:52:43 | Weblog
僕は少しだけ狭い範囲で「先生」と呼ばれてたことがある
今から考えるとあれしきのことで恥ずかしいけれど・・

22歳のころ青年の家っていう名古屋にいくつかあった施設で短期の講座が開かれた
3カ月で終わってしまうようなミニ講座だった
自宅で仕事してた僕はこのままだと世間知らずになってしまうというちょっとした焦りから
そんな講座に時々通うようになった
16mmフィルム映写技師資格取得講座 とか初心者社交ダンス講座とか・・・
色々あったのだが いつも接してるそれらの講座の中に珍しく「フォークギター講座」なるものを発見した
中二でギターを買ってもらって時々自己流にでも弾いてれば多少は弾ける
でもいっぺん習ってみよう と思いそれを受講した
もともと初心者を対象にしていたものだから・・・ほとんど初心者。。
20人くらいの中で多分僕が一番弾けたわけだ
先生もそんなにうまくない
僕の方が弾けたくらい
もう一応オリジナルなんかも持ってたし・・

その講座は3ヶ月たって ちょっと なんだかなぁ・・って感じで終わった
終わったんだけど チョイ太ってて長い髪で ニヤっと白い歯を見せて笑う男に捕まった
「俺とサークル作ろうぜ」
僕は即答した
「いやだ」
ある程度ギターは弾けたけど人前で弾くのはごめんだ
そんな勇気ないし苦しい練習はしたくない と思ってたから
「おみゃーが一番弾ける 俺が発起人になるから手伝ってくれ」 「いや」と重ねて意思表示したけれども
こいつはひつこい
僕より一つ年上のクマって男だった 名前がクマじゃなくて風貌がクマ
結局やさしい僕は名実ともにこの男に捕まってしまったわけだ


初めはこの講座の残党数人でスタート
ここで僕は図らずも先生になる
といってもそう呼ばれてはいない まだ。。
クマがリーダーで僕ポップコーンがサブ
とにかく目立ちたがり屋の彼のアシスト しょうがなくやっていた
メンバーの中で二人から数人メンバーを組んで コンサートの目標を立ててスタート
コンサートと言ってもこの青年の家のプレイルームを借りて観客として友達を連れてくるという感じのものだ
サークルの中では次のコンサートまでの臨時バンドをいくつか組んだけど
固定のバンドにも入らされた
勿論クマバンドだ
なんだかんだといいながらいろんな人間を集めてきた
それはクマの政治力によるところも大きい

新聞に週に一回いろんなサークルのメンバー集めを手伝ってくれる欄があった
水曜日の市民版に一枠無料で載せてくれる
そこからまた人が集まってきた


それは僕の名前と電話番号が載ってたもんだから変わった依頼が来ることもあった
「私は60歳をとおに越えたおばあちゃんですがギターを習ってみたいんです 教えてもらうことはできますか?」
その頃はもうサークルなんてやりたくないって気持ちじゃなく
逆に広めたい気持だったしギターやりたいならおばあちゃんでもお爺ちゃんでも教えてあげたい
そんな気でいたから その電話はむしろうれしかったことを覚えてる
「僕たちサークルでやってますんで・・来られますか?」
「うちで教えてもらうわけにはいきませんか?」
「わかりました じゃおじゃまします」
住所を聞いてそこへ着いたら そこは寮だった
ある病院の敷地内にある看護学生たちの寮で そのおばあちゃんはそこの寮母さんだった
舎監さんと呼ばれる鬼寮母さん
学生たちから恐れられていたそのばあちゃんは僕には手のひらを返したようにやさしい物言いをする
一応彼女に教え始めたけれど 本心は学生たちの部活の指導者を探していたのかもしれない
3か月ほどすると「学生たちに教えてくださいますか?」
僕はその目がねに適った形だった
それから新婚の一年を除いて10年間 僕は「先生」と柄にもない呼び方をされ続けた


長い前置きだったけど 今日の主役はこの舎監さんだ

この人は普段はこの寮に住んで大大大好きなものにその情熱を傾けていた
  五木ひろし 
ファンクラブに入りどういう伝手か彼が名古屋で公演をするときには 自分のマンションを提供してたらしい
市内にマンションを持ってそこはめったに使うことなく寮で生活
その頃の彼女はお金に不自由って感じを全く見せない裕福な人だったようだ
僕にもなんだかんだよくしてくれた
年配の女性が若い男の子をかわいがる
そんな図式も僕の心の片隅にはあったけど とにかく大事にされていた
それは僕が結婚してからも続く
彼女には 一人息子がいてこの人が怪しい
今どこにいるのかわからない
前は東南アジアのどこかに住んでた とか
そんな話を聞くようになってからおかしくなったのか おかしくなったからそんな話を聞くようになったのか
今はもう覚えていない


ある日僕らの家庭に一通の手紙が届く
それはもう寮というもの自体が役割を終えて10年間の僕の役割も
舎監としての彼女の役割をも終えた後の話
「すみませんが5万円貸していただけないでしょうか」
こちらの生活をもたたみ その居を旅行で訪れて気に入った八丈島に移したその地からのもの

時々息子に無心されている
そういう言葉を聞くようになってから少しずつその生活様式が変わってきたようにも思っていたけど
僕に頼むとは余程困った状態だったのでしょう
ただしこれは僕にというわけじゃなく 僕ら夫婦に ということになってしまったのは少し彼女の計算違いだったのかもしれない
その場では都合付けて書いてある口座に送ったけど・・

多分僕だけならそんなに早く次の行動を起こすこともなかっただろう
3ヶ月くらいで妻が返還の催促を僕にし始めた
隣で何回も言われれば いくらのんびりしてる僕でもそのままにできない
手紙を書いた
僕たちにとっても決して余裕のあるお金じゃないと
気の毒なことだとは思ったけど、八丈の住所に送った
たぶん無理に無理を重ねて お金を作ったのだろう
それから1カ月くらいで送り返してきた



あれから一度も声を聞かない
僕がまだ30代の後半のころの話・・・
もし、お金を貸さなかったら そういう状況に彼女がなかったら
多分まだいまでも声を聞くことができてるだろう
いや・・冷静に計算すると40くらい年上だったから今どこかで生活しているということもないかもしれない
それにしても消息くらいは分かってただろうに

世話になった ことは間違いない
その人の一度の要請に応えて・・応えたがゆえに離れてしまう
僕よりもきっと寂しかったに違いない

彼女は日頃 息子に対して負い目がある という言葉をこぼしていた
たぶんそれが寂しい老後をもっと寂しくさせたに違いない

僕は彼女を先生と呼び 彼女は僕を先生と呼んだ
目を閉じると・・・・・ やさしい笑顔しか浮かんでこない

 
 せんせい


  僕は生きるよ








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コンバート

2010-02-16 23:58:52 | Weblog
今日は野球のお話

僕がエコひいきしてるドラゴンズには井端弘和という選手がいる
誰にも騒がれることなく亜細亜大学から97年ドラフト5位で入団
それが今年棒3億という選手に成長した
昨年暮れ あのニュースステーション(今、報道ステーションか)の河野アナと結婚
彼は僕の知ってる限りドラゴンズ史上最高の選手だ
ショートっていう守備位置はバッテリーを除く野手の中では一番難しいポジション
すべての打球に関わらなくてはならない
これだけ完ぺきにこなす人を見たことがなかった
それは守備だけでなく打席においても


鉄壁なショートストップ
そう信じてきた彼に少し疑問符を持った
それは昨年・いや今から思うと一昨年のシーズン中からだ
すごいプレーを連発して球場を沸かせる
いくつかの動画を見てため息をつかせるほど

しかし今まで奇跡的に追いついて奇跡的に好捕して奇跡的にアウトにしてきた守備
それが奇跡的に追いついても奇跡的に好捕できない場面が少し出てきた
ということはアウトにできなかったわけだ
明らかにほんの少しだが彼は衰えてきた
でも球界一のショートではあり続けてきたと・・エコひいきしてるから思う
その前までは自信満々に思っていたんだけれど

それはもちろん監督である落合が見逃すはずがない
ちなみにかっつんは落合監督と同じ年だ 無駄情報
落合は刺激策を取ろうとした
セカンドの荒木をショートへそして井端をセカンドへ持って行かせる
昨年のキャンプでこれを試した
しかし肝心の井端がキャンプの初旬に目を患いこの計画はおじゃんになる

それでも彼は着実に回復を成し 開幕へ間に合わせた
そしてすべての試合に出て打撃ではかつての一番の成績を収め前出の年棒を勝ち取ったわけだ
でもわかる人にはわかる
それは多分本人が一番わかってるんだろうが
数字は一番でも内容は少し劣ってるはず
たとえば三振。。
彼の三振数は特別増えてはないけど今まで粘ってからのものがあっさり ということも目につく
目立たないけど よく見てる人にはわかるはず

そういう衰えを逆手にとってのコンバート 今年は断行するようだ
今でもショートとして名手の名前はもらえるはず でも日本一を目指すためにセカンドへ回る
すごくレベルの高い配置換えは成功するんだろうか
その反対の立場に立つ荒木こそ力の見せ所
すごく難しい配置換えだ
これに失敗すればドラゴンズのBクラスも十分ありうる
ただ多分落合は優勝を狙ってるからこそこういうギャンブルを仕掛けてきたはず
そしてその成功率の計算も彼はしてるんだろうなぁ
これだけのことをしなければ 成功しなければ巨人に勝てない
なんかレベルの高いとこでもがいてるのを見るのはファン冥利に尽きる事柄です


こんな話わかんねーだろーなー
 いいんだよぉ





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アズゴンがゆく

2010-02-15 23:41:42 | Weblog
ついにやりやがった
土曜日の夜から今日の朝まで娘は彼と二人で千葉の遊園地へ・・
一回キャンセルになったはずだったのにいつの間にか復活してたなんて
しかも昨日の関東地方は快晴だって?
雨ふりゃよかったのによ

てかそれは実はそれほど頭にきたことじゃない
顰蹙かうかもしれんけどね

その前、火曜日の夜 メールが来た
「中学時代の友達のところに泊る」って
まぁそれも別に止めない
ただ黙ってるわけにいかんので
「じゃ着いたら電話しなさい 親御さんにあいさつするから」
「親が外泊してるんだって、だからMちゃんしかいないよ」
「それなら その子にでも話すからとにかく着いたら電話しなさい」
「ふぁ~~ぃ」 ・・ふざけた野郎だ

帰宅して晩飯の用意をしてるとメールが来た
「ごめんなさい、本当は新幹線に乗ってる
 テレビのエキストラに応募して当たっちゃって、まさか当たるとは思わなくって
 これを断るとフニャフニャ・・・
 Kタローと一緒にいるわけじゃないよ
 一人だよ
 今夜東京で泊って 明日群馬へ行く」

これだけじゃない 翌日の学校サボりもある
頭にきた
ペナルティーもその日のうちに提案した
それを選ばなかったら もう親父としてお前を指導できないから母さんの所へ行け と
甘い顔してるもんだからどんどんつけ上がってしまう
アズゴン危険!!

どんどん一人で行ってしまう
それでいいのかもしれないけどまだ少し早すぎないかとも思う
バイトするようになってお金を比較的自由に使えるんで
自由に行動できると勘違いしてる
今回は帰ってからしっかりと言い聞かせて 今は殊勝な態度が見えないこともないのだが。。


娘は小3の時 母親と一緒にこの家を出た
小学校は転向せずに毎日朝と夕方に帰ってきてた
そして土日はここで過ごす
そんな生活をしてた
それがいとおしくてね・・ 時は流れたってことか


前のコメ返しで昔の日記に戻った折 こんなのが目に入った


■2005/11/09 (水) 娘のパンツ

テニスから帰ってお風呂の準備をしようかと見ると
洗面器に赤く汚れた下着・・・
6年生か
トイレにはその準備が前からしてあったけど
それは家内のか 娘のか よく把握はしてなかった
で 娘のそれがはじまったのか いや多分 もう始まってしまってたのだろう
普通なら赤飯炊いてお祝いしてあげるんだよね
むこうでやってもらったかな?
男と女の違いを突きつけられて やっぱきみはずっとここじゃなくて
むこうにいるべきなんだろうか
でも絶対とうさんの目に触れるはずのところに置いといてくれて サンキュ
恥ずかしくはないかい
入浴を済ませて 石鹸つけて 白くなってから 洗濯機にいれておいたよ
とうさんと兄ちゃんのパンツと一緒にくるくる回る・・・
大人になってゆくんだね



娘の体はそばにきたけど 気持は一人で歩き始めてるんだろうな。。。
喜ぶべきことなのだろうか
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わざわざ日展!    曾剣雄さん

2010-02-13 23:48:28 | 
今日は珍しく絵の話です
このジャンルの話はあまりしてないんだけど
昨年の1月25日付の「ついでに日展!」 っていう記事
もしよかったら読んでみてください
今日はそのアンサーソング・・ソングじゃないか
まあリンク記事です

今月に入ってからまた名古屋に日展がやってきてることを意識してた
僕の生活の中で「絵」というものがどれだけ関わってるかといえば 実際のところほとんどない
でも一人「曾剣雄」って人だけが気になってた
あんまりビンビンにアンテナを張ってないから昨年名古屋で開かれた「白日会」って展覧会も見逃している
その程度のファン失格というファンではあるけれど・・
で今回はどんな作品が展示されるのだろうか
日展のHPのぞいてみたけど見当たらない
そこでグーグル検索・・・
わかった 「広島への手紙」

窓に映る原爆ドーム 例によって少女が登場
机の上には便箋とペン ろうそくの灯りが静かで神々しい
自然に開いた指をほおにあて左手の上には白い折鶴
机と窓枠と飾り椅子はもしかしたら遠い過去からやってきたのかもしれない
懐中時計がそれを暗示しているかの如く置かれている

HPで作品は見つからなかったけど ひとつうれしい情報があった
13日15時から作品説明 曽剣雄とあった
で、今日に行く日を決めた 明日が名古屋最終日だけれど

仕事を午前中にたたみ、いつもはそれからのんびりネットイン、買い物、DVDレンタル屋、あれば配達
って感じだけど 今日は急いで買い物・レンタル・配達を済ませて1時半に帰宅
あ~~ 自転車がない
しょうがないんで2時前徒歩で美術館を目指す トホホ
二時半に入場券1000円を買って入場
今年は何にも怒られんかった
何にも見ないくらいのスピードで「洋画」のブースへ急ぐ
2時40分に発見「広島への手紙」
そしてその作品の前、胸に「曾剣雄」という名札を付けた40くらいの男性も発見!!
あ~~この人が 曾剣雄 なんだぁ
なんかうれしくってさ 僕は今までなったことがないようなミーハーになってしまった
彼は知り合いの人と中国語らしき言葉で話してる
この後自作品についても解説をする ってことはもちろん日本語を話すはず
と思った瞬間 その知り合いの人が離れた


これはチャンス到来
「先生、ちょっとお尋ねしてもいいですか?」と声をかけた
「はい、いいです」と答えた彼の言葉はやはり中国語のイントネーションを帯びたものだった
それから15分くらいずっと彼を占領してしまった あはは・・
握手までしちゃったよ
一番気になっていたこと・・
 いま、「窓辺」はどこにあるのか?
「はい、私のアトリエにあります 売りたい作品とそうでないのがありますから」
「じゃ公開されてはいないんですね」
「でも、見たいとおっしゃるならうちへ来ていただければ、電話してからね」
あ~~でもオレ電話番号知らないし聞く勇気まではないよ
「先生はどちらにお住まいでしたっけ」
「豊田です」
行けそうだなぁ・・・行きたい



3時からちょっと拙い日本語で説明が始まった
多分彼の言いたいことの半分くらいしか言えなかったんじゃないかと思った
「僕の言葉より、絵が語ってくれるはず」 って確かにそうでしょう
そして 質問はありませんか の言葉に30人以上立ち止まった人から声がかからなかったんで 
僕が手を挙げた
「どんな方をモデルにされるんですか?」
実はこれはさっき二人で話してたときに聞いた事柄
彼は一度口にしてるんでなんかすらすらと答えてくれたように思った
知り合いの娘さん
土日しか来てもらえないんでいろんな服を用意して
いろんなポーズで下絵を描く
小さな絵を何枚も描いてからそれから大きなキャンバスに向かう
日展に向けては半年前から構想を練り始めて3・4カ月で大きなキャンバスを埋める ということでした


今回は僕にとって曾剣雄さんのみの日展で終わってしまった
そのあともう一度最初のブースへ戻って見直しをしたんだけど
全然他の絵 見えてるのに見えてない 脳まで届かない
なんか不思議な体験だった

意識したのはまた彫刻
おっぱい星人優先 ってこと

あ~ 春が近いよ


今日は鶴舞から栄・名古屋駅までずっと徒歩
さっきちょっと足痙攣
あわてて入浴
おやすみぃ

また長いのごめんね





広島への手紙




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あなた

2010-02-12 22:02:55 | タイムマシン
20歳くらいだったと思う
親友の敬ちゃんには彼女がいて 二人のデートのついでっていたら何だけど
一緒に海へ行こうと誘われた その彼女の友達と・・
確か一泊で三重県の志摩の方に行ったと思う
何故か友達っていうのは2人来て、男2女3という変則デート
でも残念ながらその時の僕は心が動かなかった
まぁ表面上は楽しくやったけどね
で、どっちかっていうとWデートってのはもうしたくないかな って気にさせられた

のに、またなんか誘われた
自分らだけ楽しめばいいじゃん と思いながらまた断るのも大人げないし・・
しょうがねー と行ってみたら これがまたちょっといかした子
彼女は同い年で完全に僕より大人
本当はスッチーになりたくてその専門学校を出て残念な結果
就職したとこがIで始まってMで終わるコンピューターのリーディングカンパニーだった


忘れもしないその日の前日 聞いたばかりでドキッとした曲をカセットに入れた
車の中でそれを何回も聞くことになった
彼女が繰り返し巻き戻して頭出しをする

初めて聞いて一発で好きになったその声が素晴らしい
世界歌謡祭でグランプリをとった曲だという
このころの僕はまだポプコンの存在は露ほども知らなかった
かわいい声だし内容もそのまま
顔も知らないこの人に憧れた
隣にいた彼女も素敵な子だったけどこの声の主にもっと魅力を感じてた
彼女はこの曲が大好きになったついでに僕とも少し付き合うようになる

ただ付き合うというには僕はまだ子供過ぎた
夜、真っ暗な公園に連れて行ってくれたのにそこらへんの冗談を言うだけの僕は
手を差し出すという行為を思いもよらなかった
あとから考えるとあれは完全にテンプテーションなのによ


メディアの露出度も低く、本当にしばらくたってから憧れの彼女の様子が分かった







現実はなかなか難しいもんだと思った ・・・・り、悟ったり
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文七元結

2010-02-09 22:44:02 | Weblog
元結 「もとゆい」って知ってるかい?
かっこ悪いが僕は今の今まで知らんかった
勿論こういうものの存在は知ってたけど
その名を 元結っていうことを知らなんだ
知らん人は検索をどうぞ 自分でね(笑)

一昨日ちょっと夢うつつの日記を書いちゃって次が続かん状態で
きょうはお友達のブログ訪問も少しはしたけど
このところご無沙汰してた 野球ブログ訪問をしてみた
今 各チームのキャンプたけなわでそういう記事も多いんだけど
中に完全シーズンオフのブログもあった
じゃ パス っと思ったのにちょっと読みかけてしまった所にあったもの

それが文七元結だ
ぶんしちもっとい と読む
左官の棟梁長兵衛の噺
長兵衛は腕のいい職人だが博打にのめりこむ
この日もすってんてんになって帰ってくると娘のお久がいなくなってることを女房に告げられる
大捜しするのだが見つからない・・そこへやってきたのは吉原の女郎屋佐野槌の番頭藤助。。


落語というのは昔からテレビで見てるだけで大体15分くらいで決着がつく
そういうもんだと思っててそんなに興味もなく
ここでの友達が取り上げててもすまんけどまたいで通ってた
でも今日はちょっとYouTubeで探してみようかという気になって
検索してみた
15分くらい見てもいいかな って
YouTubeはだいたい10分くらいまでなんで2本に分かれてるのかな? って
ところが見つけた動画は
文七元結 、2,3,4,5,6,7,8  まであった
一本の噺で1時間を優に超えるもの
んなもん見れん と思いながら2まで 3まで・ 4まで・・・
結局最後まで見てしまった


志ん朝 文七元結


これは1だけだからもしその気になったら
画面をダブルクリックして大きくして見たって 終わった時点で次のが案内されるから
でもまあ全部見るっていう人もいないだろうけどね


コメントはいらんよ全部見て なんか言いたいなら聞くけど(笑)
お気遣いなく

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春眠  SMAP オレンジ

2010-02-07 13:37:53 | Weblog
日曜の朝は眠たい
今朝はアズが6時からのバイトだと知ってるけどおとうは春眠を貪っていた
いつも起きる7時過ぎに一度ボーコーが満タンなのに気付いてトイレに起きる
足元掛け布団の上に寝てたニャミが一緒にトイレまでついて来る
もしかしたらここに置いてある餌場にカリカリを入れてくれるかもしれんという淡い期待を持ちながら・・
だろうが そうはいくか
新聞を取ってまた寝床に戻る 10時前くらいまで二度寝の予定を立てる
ニャミが昨夜と同じようにまた布団の中に入り込む ゴロゴロ 喉がうるさい


よっく眠った と思って時計を見たら8時20分
もう一時間寝よ っと目を瞑った





その人はいつも行くテニススクールのアイドルだった
年齢は29歳くらいだと思っていたけどあとで思うとそれはとんでもない間違いだった
僕は独身のはずなのに家には息子がいた
いや実際見てるわけじゃないけど いるんだという意識があった
午後6時から始まるスクールの前にいろんな準備をしている
ラケット用意していつもの服装に着替える
水色の短パンをはいてた
「その人」だからSとするが何故かSが僕の家にいる
一緒に行こうと準備してる
なんかいちゃいちゃいしてるんだ 僕とS
彼女もテニススタイルだから短いスカートで白くって・・いいともに出てるはいださんの如く

いつもは車で行くはずなのにきょうは自転車の二人乗り
僕が運転してる 時間が迫ってるのに反対方向へ漕ぎだした
Sは僕の腰にかるぅく手を添える感じで・・
俺のことが好きなのにもっと力を入れろよ と心の中だけで言った
いやに坂の多いところを行く  きつい
息が切れる
でもSを乗せている重さは感じない
なんか楽しかったぁ
久しぶりにプライベートで大笑いした
自転車からはいつの間にか降りていた 
ラケットを握るには華奢すぎるSの手を握って・・その温もりも感じた
感じたのに振り返ったらまた自転車、後ろの席に座ってるSがかわいくて唇に触れてしまった
僕の唇で・・・


人に見られた
農作業をしている芸能人 ニヤッと笑われた
多分昨夜寝る間際にジャイアンツの選手と戯れてたのを見たからだろう

さあて ここまで付き合ってくれて ご苦労様です
ここで一服してください
 はい、リーダーがその農民だった




SMAP オレンジ





何の意味もなく貼り付けた後にこの歌詞を見たら
このあとを暗示してるような・・・
ここで彼が出てきたのはそういうわけだったのか



僕らは歩いてお寺の前に出た
たくさんの人がいて板張りの上を這うように進んだ
そこには奉納された人形たちがたくさん置かれていて
それを縫うように進んだ
手をつなぎながら


そこを抜けると急に立ち止まったSが言う
「やっぱり付き合えないわ」って
キスの後を画策していた僕は愕然とした
そこもその気満々だったのに

「だって髪薄いんだもん」
最近ちょっと分け目が簡単にわかりすぎると感じてたけど
そこまで言われるか
ショックを隠しながら入ったご飯屋さんには おすぎとピーコともう一人名前が思い出せんタレントがいた
おすぎはいう「最近使い始めた育毛剤 最強」
「教えなさいよ」とピーコ
「企業秘密よ」 おすぎ
僕は足でSを突き指示 キキダセ まぁ大胆なこと

「Sちゃんには教えてあげるわ だって私の最初の彼女だったんだもんね」
「おすぎ ごめんねわたしの方は3人目よ」
「なあに嘘つきねぇ わたしのこと初めての彼って言ってたじゃない」
僕は指折り数えて彼女の歳を計算している
ざっと100歳か120歳かも と思った

取っ手の欠けたマグカップの中でエビの赤ちゃんのように小さな姿で彼女は生まれて
世の中を渡ってきた
僕一人くらい手玉に取るのは朝飯前なんだ

育毛剤の名前?  スターシス
これって今飲んでる糖尿病の薬じゃん


と思った瞬間目が覚めた
9時35分


さぁ 起きよっと

 日曜の昼間っからこんな日記書いてるオレって サイテー
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若草の髪かざり も見える

2010-02-05 23:44:59 | Weblog
逆算すると平成3年ころかな今は亡きじゃない今はいなき女房が
「私たちってこのままずっとここにいるの?」と言った
当時僕らは親子3人公団住宅の3DK5万程の家賃の部屋に住んでいた
そこは当時の仕事場であり僕の実家である家から歩いて3分のところにあって
僕にとっては便利なところだった

でもそのまま死ぬまでそこにいるつもりもなく
親の面倒をみるという意識もあったしいずれは実家に戻るつもりではいた
嫁の言葉は逆にいえば家を建てれば一緒に住んでもいいという意思表示でもある

もっとも彼女は結婚した当時から同居もOKの姿勢を見せてくれてた
これは長男にとってありがたい意志ではある



さて当時は仕事も数々あって 自分がその気になれば家くらいなんとかなる と思っていた
いろいろの選択肢があって比較的便利な所に位置するため賃貸を建てて上に住むのもその中の一つ
でも主流にすべき道は今の作業場付きの家を新しく建て直して二世帯住宅にすること
その方向に向かって図面も引いてもらった(by 石ヤン)
ちなみに7階建ての賃貸付き住居も図面草案の中にはあった
一つ気がかりだったのは木工所をこの街の真ん中14階建てマンションのわきでやっていけるかということ
それは音だけじゃなく廃材処理の煙を出す可能性が極めて高いという・・ちょっとした恐怖

とりあえず3階建てにしようと決めた
1階は作業場 2階は老夫婦 3階が僕らの所帯
ある程度図面上も固まり
建築中の半年ほど仮の工場を探した

ちょうど同業者の夫婦が工場をたたむという話が舞い込む
絶妙なタイミング
すぐ貸してほしいの申し込みに行く
ところがむこう(工場の持ち主はその夫婦奥さんの兄弟)の返事は
「一時的なら貸したくない ずっと借りてくれんか」


もしこのとき「はい 貸しましょう」という返事だったら いま3階建てに住んでたと思う

僕らはもう一度一から考え直すことにした
普通なら じゃ他の工場を探そう と思うはずなのに
この工場の立地は理想的で前に土手があって 準工業地帯で隣は民家ではあるけど多少の音も 廃材の処理も何とかなりそう
実際 近所に昔からのお客さんがいてしょっちゅう品物を積んで配達に来ててこんなところで仕事したいなぁと思ってたところだった



だから ここを借りることにして 借りっぱなしにすることにして
自宅は7階建ての賃貸にすることに 本末転倒かもしれないがこれが運命というものじゃないかと勝手に思った
3階から見る風景より 7階から見る風景にも憧れた


いろんなことがあって 今はこういう状態だけど
さっき窓から外の風景を見ながら こんなことがあったなー と思いだしてしみじみ・・・


3階建てだったら見えないはずのものが7階建てなら見えるものもある
チェリッシュんちもね(そこかい!)


若草の髪かざり 1973




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坂の途中

2010-02-04 23:56:40 | タイムマシン
今はようやく駐車場に変貌した僕の出た幼稚園はずっともぬけの殻の様相を呈したままで
ついこの前まで僕たちが遊んでいた地面は残っていた
遊具やら水飲み場なんかはとっくの昔に取り払われ 
でも園舎だった建物は建築のための仮事務所のような形で長いこと残っていた
こんなに狭いところで僕らは生きてたんだ と大人になったらびっくりするくらいのそれで
運動会の時は幼稚園の前の道を横断して普段はだれの土地なのかわからない広場まで走り合った
たしか歩道の段もこちら側と向こう側にあったような気がする
今そんなところで走ってもし転んで怪我でもしようものなら大きな問題になるんじゃないだろうか
でも、楽しかった
幼稚園にいた期間はたった一年
僕らのころはそれが普通だった
2学年下の妹のころになると2年が普通になる・・・


そのたった一年の間にたくさんの出来事が詰まってる
家を出るのが怖くって「行きたくない」って泣いてぐずったこともあった
その時の心情もよく覚えている
あばあさんが幼稚園の門まで送ってくれた

そうそうその間にスクールバスが導入された
たった3分歩くと着く幼稚園なのに バスを待った
バスは大回り、みんなの家を回り幼稚園に着く
着くと一仕事終わったような気がした

妹と僕の幼稚園は違うところだった
僕のはすぐ近所の「さくら幼稚園」

一番上のお姉さんが園長先生で妹たちが普通の先生だった
大森先生だったかなぁ 名前は忘れてしまったけど記憶の底にそんな名前がある
先生たちの家はもちろん違うところにあって
でもそんなに遠いところじゃなく歩いて通えるところだった
なぜそんなことを覚えているかといえば みんなでそこまでいって遊んだ覚えがあるからだ
坂の途中にそこはあった
静かだった
木がいっぱい生えてた
なぜか映画の1シーンのようにそれがよみがえる
やさしい先生たちはみんな結婚していなくて
しばらくすると花がしぼむように「さくら幼稚園」は消えていった

最近その坂の、先生がいたあたりを歩いてみるけど
どこだったか全然思い出せない
もうその時の風景は残ってるはずもない


恋を終えた二人の出会いは何故かあの時の先生の家の近くを思い出す
ちょっと冷たい風と懐かしく温かな心が入り混じって・・・

つまさき坂 永井龍雲





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