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木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

27の頃

2015-05-22 23:26:26 | タイムマシン
帰りに配達を済ませて、6時を少し回っちゃったから少し慌て気味に自宅へ向かった
6階から降りてくるとちょうど家の前で拾えるくらいの位置に来てからポタに電話をかけたら
「えっ 今日って食事に行くんだっけ?」
一昨日不定期の一緒の夕食を済ませたから、今日は行くとか行かないとか言いながら
そういえばお腹の空いたときに、隣の串カツ屋に行ってみたいけど、一度一緒には行ってみてくれるか?
じゃ行こう という約束を朝したのを忘れてる
「今食べてるぅ すまんけど自分で食べてきてくれ」

昔金曜日は帰りに7-11でパスタを買って帰るパターンを思い出した
家の前の交差点をいつもと逆の方向へ曲がった

あの頃時々買ってた ○○の本も探してみたけど幸い見つからなかった
ずっとカルボナーラかボンゴレ
今日はカルちゃんにした
お金を払ったら
「くじを引いてください」 と言われた
じゃ~~ん
 これが当たった

  
そういえば700円以上の買い物でくじ引きってコマーシャルしてたよね
「2000円はしますよ 大当たりです。」 と言われたがね


パスタにアルトバイエルン 残った2本を入れてチンした
デザートは誰にも言わないでね 「3種のレーズンフランス」税込150円にした シ~~~

そうそうDVDを再生してみた
     
27歳の僕がいた
60過ぎたおっさんがテレビに映った自分の写真撮るか?
と思いながらもちょっと笑っとる
仲間がたくさんいて楽しい思い出だ



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古い日記

2014-01-26 23:55:29 | タイムマシン

1月26日-雲の上のお話
                             2010-01-26 23:22:59 | Weblog


たくさんの人ごみの中で僕は右往左往していた
この世の中の出来事じゃないくらいそれはそれは激しい混雑の中
その時の僕は何が何だかわからない

どうしてそうなったのか記憶にはないが
いつの間にか僕は白髪のおじいさんの隣にいた
その人は優しいしぐさで指をさした

 ずっとずっと南のほうから・・
 高い高い空の上から・・

僕はそのおじいさんと一緒に一つの小さな家を見ていた
「あれが君の行く家だよ」
そう言われた

56年前の出来事は夢のような出来事だったのか
それともただの夢だったのか・・




四年前に書いた日記は多分本当の出来事だったに違いない
そういう記憶がある
そして初めて目が見えてきたときの記憶もある
盥のお風呂に入れてもらってる時のだ
その時の写真があって 嗚呼この時だったと分かる   そんな気がする

いろんなことがあったけど、僕の一回目の一回りは幸せだったんだと今日も感じた
二回目が始まって、これは最後までは行けない
それでも終わるまで、きっとそのままで行けると思う 信じてる・・・


ぷりん、koumama、アクチン、アメブルさん、チー助、げんちゃん、拓さん、みるここ、千尋、フータ
それから息子と娘
おめでとうをありがとう
生まれ変わります。


            
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お祭り わっしょい

2013-10-14 23:50:08 | タイムマシン
今日は仕事をしてきた
体育の日に仕事場に来たことあったんだろうか
近くの公園で氏神様のお祭りがあった
「わっしょい、わっしょい」
多分神輿ではなく獅子をかぶって近所を練り歩く子供たちの声だ

そういえば僕らも自宅の方の地元で小学生の頃までは
「げ・ん・き・を出して、わっしょい、わっしょい」って言いながら獅子をかぶって町内を歩いたなぁ
で詰所・・をなんて言うんだっけなぁ 宿だっけ?
そこに帰ってくるたびにお菓子をもらえる

そういえば子供の頃はお菓子って特別好きだったよなぁ
僕らの公園に神社があって、そのわきに公設市場があった
そこに篠田さんっていう菓子屋があって・・
色んなお菓子買ったよ
当時は「20円チョウダイ」って親から10円玉2個もらって・・・
そうそう 仕事場で親父とおふくろと兄ちゃん(先日亡くなった職人さん)とおばあさんがいて、
その日も「20円チョウダイ」って言ったら オヤジが「きのうやったがや」って言ったんで
「昨日は昨日、今日は今日」って返したら爆笑になってきっちり20円ゲットしたの・・
なんか覚えてんだよね
前に書いたかもしれんが(笑)
で、市場へ行く コロッケが5円だったし
たこ焼きは4個10円 いやここは3個10円だったかな?
毎月4の付く日の外の市場へ行くと4個10円の屋台があった
僕にとっちゃ昨日のことのような気がするが、金銭的に見ると時は流れてるねぇ

そうそう篠田さんの菓子屋は市場の中だったけど、独立した店舗の水野さんっていう駄菓子屋もそばにあった
どっちの店でだったかなぁ
当時、森永のだったっけ? ディズニーキャラメルってのがあってそのおまけがたのしみだったんだよね
裏はシールになってて、表は見る角度によってミッキーになったりドナルドになったりするやつ
これが、包装機にくるまれてるけど、箱を縦にちょっとつぶすと何が入ってるのか見えたような見えなかったような?どっちだっけなぁ(笑)
いっしょうけんめいそうやってなかみをたしかめる(これは平仮名が似合うかも)
たしかめれんかったかもしれんがたしかめようとしてた

あっこれだこれだ
http://phosphatidylserine.cocolog-nifty.com/blog/cat2511614/index.html
ミッキーからドナルドにはならんか
それぞれの表情が変わるんだ

5年の時に隣の町内が攻めてきて、僕は6年生と取っ組み合った
案外力ねーなー と思ったのは覚えてるから、負けてはいなかったと思うんだが・・・

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最後の幹事会

2013-10-12 23:28:29 | タイムマシン
最後の幹事会
11月3日の同窓会に向けて最後の幹事会をフータ宅で開催 出席6名
今のところ出席希望者67名 なかなかの好成績ではないかとみんなで自画自賛
目標60名、できれば70名だったんで好成績
まだ返事がない人もいるので大台突破の可能性もないではない
でもみんな忘れずに来てくれるんだろうか
始まる前に写真撮るから12時45分には会場にいて欲しいな
二次会のカラオケ店も押さえたぞ
5クラスの先生5人 一人田中先生は亡くなったがあと4名は最長老85歳の川合先生初め全員出席予定です

担任の先生というのはこういう風に招待されるものなんだろうが、実は各クラスの各教科の先生もいた
印象に残るのは、狂四郎。
1年当時の担任で数学担当。
3年の時には担任として受け持ってなかったので、同窓会に呼ばれることはないけれどインパクトは一番かも
入学した時にはもうこのあだ名がつけられてた
〇〇四郎という名前。目がとろんとしてたんで、人気の時代劇「眠り狂四郎」から命名された
物言いがちょっと陰険(笑)
2年までこの先生に数学を教えられた
数学は得意科目だったんで・・・
前にも一度書いたことあるが、ある日黒板に書いてあることが納得できなくって
「先生、そこ違いませんか?」みたいなこと言っちゃったんだが、実は僕の勘違いでそれは正しかった
狂四郎はもしかしたら自分が間違ったんじゃないか、がそれを確認した安ど感からか僕を責めた
「お前、もっとしっかり見て質問しろ、だいたいだなぁ:*:.。☆。.:*:・:@;、;@¥。・@」
散々嫌味を言われて、落ち込んだかっつん。

それから1か月くらい後だったかなぁ
雪辱の時は来た。
今度は絶対先生が間違っとる という確信の元 また言った
「先生、そこ間違ってませんか?」
またお前か~っていう顔をしながら検算する
今度は僕の完全勝利だった ガッツポーズ
その時の狂四郎の顔は絶対忘れん
フンという顔しながら、むにゃむにゃ口にしただけ
憎み切れん先生だった(笑)
もう一回、先生を見たい
元気かなぁ

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先輩の面影

2013-10-05 23:26:18 | タイムマシン
先週の木曜日に、英治の兄ちゃんの「りゅうちゃん」の消息を求めて会った小学校の一年先輩から電話があった
「今、川崎君とてっちゃんと一緒に飲んでるんだ。 話す?」
二人とも野球部の一年先輩であり、チームの同僚でもある
僕は5年生の時からレギュラーを張ってたから(笑)
その一年だけ外野手で僕はセンターの守備位置からピッチャー川崎さんのサウスポーから放たれるボールの軌跡を追っていた
身のこなしが上品で、バッティングもスマートな4番打者であるかっこいい先輩だった
「久しぶり、あとちょっとで50年ぶりってとこだよね」
そうか50年てすごい年月だから、現実的ではなかったが、来年会ったら50年ぶりは名実とも当てはまる

5年で初めて試合に出た僕は9番バッターですごく緊張してた
「おい、足震えとるぞ」
相手のキャッチャーは真実を見抜いていたが、
「うっせい、だまっとれ!!」 と心の中で言ってやった
フォアボールと三振で終わった試合だったが、段々と慣れてゆくにしたがって打順は上がっていく
8番、7番、6番、・・・
途中から5番に定着した
そして5年生最後の試合、4番の川崎さんが欠場して僕が4番を打った。一試合だけ
高校まで野球部だったけど、4番だったのはこの一試合だけだったなぁ
4番でピッチャーの川崎さんが欠場だったので、勝てると思わなかった試合
その通りになったけど、きっちり1本センター前にヒットを打った記憶がある
自分のことを言ってしまったが、文字通り憧れの川崎さんだった

てっちゃんはピッチャーとショートをやってた・・はず
やはり運動神経抜群でグランドを縦横無尽に駆け回ってた
実家が近所で、夏の大会が終わってから、やはりピッチャーをしてたよっちゃんと一緒に下級生の僕を連れ出してくれて、あちこち遊びまわった
その時の様子は以前書いたことがあった
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/283e573b8a2cbcdf760497fa63898c7c
今は彫刻家として頑張ってる亀ちゃんも同席してたとか

いつも書いてるけど、先輩には恵まれてたと思う
僕は野球部で先輩たちから殴られたり苛められたりしたことはただの一回もなかった
だから笑顔で振り返ることができるんだろう

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低学年~

2013-07-17 22:26:00 | タイムマシン
幼稚園時代を書いてしまったから、まぁ次は小学校の低学年だな・・・
入学式、多分この日は母親じゃなくて父親が一緒に来てくれたんじゃないかと思う
母親は確か身重だったはず

入学式で 校長先生が
「この学校の名前はなんていいますか?」
「おいまつしょうがっこう」みんなはそう大きな声で言ったのに、僕だけ
「おいまつがっこう」って言ってしまったんだ
これが挫折の第一歩だったかも
誰にも気づかれなかったとは思うけど 一人で顔真っ赤にしていたかっつん少年
もう絶対間違わんぞ と心に決めたのであった

一年の担任は、結構なおばちゃん先生 杉本先生だった
前にも書いたけど一年生の時の一番の汚点は席替え
いきさつは「あの優しかった場所」にあるんで省略
通知表に書かんでも・・・
裏切られたような気持だった
よぅ忘れん

二年生の時はもうちょっと若くてきれいな柴田先生だった
優しい先生だったから好きだったけど
一度、ど叱られたことがある

「そんなことぉ、言うもんじゃありません~」

K君が給食費持ってこなかったことに関して、
子供ってひでぇなと自分ながら思うのだけれど・・
あ~やっぱり書けんわ
僕はみんなに聞こえるような大きな声で、とってもひどいことを言ってしまったわけだ
 


K君は泣くし、先生に叱られた僕も泣く
「K君 ごめんね」って

あ~~恥ずかしぃ


今日はちょっと欲求不満かもね
白い字でも書いてないし、わりぃわりぃ
思い出したら笑ってしまった
子供ってひどい!

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幼稚園

2013-07-14 23:23:31 | タイムマシン
今日は何にもしてなくて、何にも思わなかったから、何にも書くことがない
だからおやすみの挨拶だけ・・・

でもしょうがないし、明日も一日休みだし、書かんのかという催促も受けたし
そう言ってもらえることに感謝しつつ、リビングにあったラップトップを寝床に持ち込んだ
ノーパソって言い方はどうしてもノーパンに見えるから好き過ぎて使わないことにする


うだうだの僕はさっきまで寝てた
19時くらいから寝てたのだ
小さいころの夢を見てたから、そんな頃の記憶を辿ってみようかな・・・


割合元気なガキだった僕は幼稚園に行くことになった
当時はまだ、一年保育が一番多かったように思う
二学年下の妹の頃には2年になってたはずだから激動の時代と言える
僕は昭和29年1月生まれだ
まだ家から何処かへ通うっていうことに慣れてなくて
幼稚園が怖かった
「行きたくない」って泣き叫ぶ僕の手を引いて歩いて3分のその門まで連れてゆくのはいつもばあちゃん

家にはじいちゃん、ばあちゃん、おとうちゃん、おかあちゃん、ねえちゃん(叔母)、妹、おっきいにいちゃん(古い職人)、ちっちゃいにいちゃん(新人職人 先日亡くなった職人)がいた
今はもう、おかあちゃんしか残ってない(笑)
でも残っててくれることに感謝だ

全員味方だったような気がする
だから今から思えば幸せな子供時代を過ごせたのだろう

でも幼稚園は嫌だった
いやいや通っていたがやがて朝ぐずることはなくなっていったと思う
入園前から友達だった直ちゃんや敏君以外にも友達が出来たからかもしれない

今思うと、当時から女の子の品定めはしてたはずだ
小原さんはちっちゃくてかわいいなぁ とか
キミちゃんは優しい とか
久田さんは僕よりでかいんでないか? とか
思い出そうとすれば断片的に浮かぶ感情がある
でも誰が一番のお気に入りだったのかは覚えてない
男と女は違う生き物だと思ってた

その数年後に10階建てが建って、今年15階建てに建て直された公団住宅の「コ」の字型の隙間にあった幼稚園
今はコイン駐車場になってる
それがまた小さい敷地だ
当時はまだ舗装がしてなくて(名古屋市中区の話だ)、
運動会は園の敷地から門を開けて向かいの敷地まで道路を横断するかけっこだった
しかもそれなりに段差があったはず
今考えると、超キケン
まだ車もそんなに多くない時代
そうそうその通ってた一年の間にバスの導入があった
歩いて3分のところなのに近くまで迎えに来てそれに乗って何分かかけて友達の家の近くまで行く
バスに乗れることが楽しかった

今でも覚えているのはお絵描きの時、三角屋根の瓦が飛んでゆく絵を描いたこと
それは伊勢湾台風の様子を子供ながらに捉えたものだった
だから僕らが幼稚園に通っていたのは昭和34年だったことがわかる
僕たちよりもう少し南に住んでた人々は想像を絶するつらい思いをしてた・・・






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半田市

2013-06-30 23:54:19 | タイムマシン
昨日一瞬、だし丸君絡みで半田という地名が出た
長いこと忘れてたけど、それでふと思い出した

昔、名古屋には日進堂書店っていう名前の書店がいくつかあった
その本店が鶴舞公園の交差点近くにあり、小さいころから僕らの遊び場の一つだった
今はもうない
だが僕らが二十歳をちょっと過ぎた頃、この店は店舗拡大の真っ最中
書店にとっていい時代だったのかもしれない
僕はしょっちゅうこの店を覗いていた
僕だけじゃない、そういう人がたくさんいて店は隆盛を極めていたのだろう

ある日店を覗くと知らない女店員さんがいた
格段珍しいことではない
ベテランの店員さんがいて、新しい人がやってくる

店員さんは年上の人ばかりだったのに、年下らしい人を見るようになる
人間ならば当たり前の順送りがけっこう衝撃的に思えたこの頃

店員さんは買う時に対応してくれる人
その人とは初めてそれ以外のことを話した

すごい美人じゃないけど、優しそうな大人しそうな人だった
坂本っていう胸に着けた名札
お金を払う時に一言かけた言葉。。。なんだったか覚えてはいないけど、彼女のポートレートが僕のメモリーに納まった
本屋さんに行くのに、違う楽しみが出来た
何ともないような顔をして彼女を探す
いるのがわかってもうれしい顔はしない
何気ない顔で、ただ本を探してるふりをした
僕に気付くと、ちょっとだけ目を留めてくれるような・・・

本の話をするついでに何処から通ってるのかを聞くのに成功した
「半田です」


相変わらず、あなたには興味があるのかないのかはっきりしない僕は
あなたがこの店を辞めることを知る
いや、辞めたことを知った

車という新しい足を手に入れて、時々海へ行くふりをしながら半田の駅前にそれを滑らせた
勿論彼女の姿なんか見えやしない
それでもいい
君がいる街を感じる
君を撫でた風を感じる
それだけで幸せではないけど心が落ち着く

好きだったのかなぁ~~~



日進堂書店は名古屋一の繁華街、栄地下にいくつか店を出した
僕は毎週水曜日、文化センターで茶道を習っていた
そこを歩く
その店を覗く




 「あっ・・・・」 



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ふれあい

2013-04-15 23:00:40 | タイムマシン
初めての彼女じゃない、女性の友達は二つ年上だった。
自動車学校の停留所で声を交わしたその人は偶然高校の先輩で当然の如く、なるべくして友達になってしまったわけだ。
特段、デートをしたわけではないが、新しい僕の車でドライブした事はあった。
愛はないけど、お姉さんに対する憧れのような感情はあったような気がする
僕との話しの中に、好きな人の事も出てた
ファンクラブがある程の人で、自分には手が届かないと言いながら、あれっ?ホントは付き合ってるの?と思わせるようなエピソードを交える

カーステレオから流れる『ふれあい』にため息をついた

 悲しみに出会うたび
 あの人を思い出す
 こんな時そばにいて
 肩を抱いて欲しいと

もう一度ため息をついて
「いい歌ね」と



「僕じゃダメ?」





って言うわけないじゃん
そんな大胆な事、今でも言えんわ(笑)


こんなに近くにいるのにそんなに遠くにいるんだ
僕の方がため息をついた
いや、ただ憧れが憧れとして
確定しただけだったのだけれど


彼女の家は、天理教に傾倒し、彼女自身も天理へ修行に出掛けた。

帰って暫くの後、その彼のお嫁さんになるという報告がきた。


僕は人生で二回目の歌を作った


  さりげない言葉でさよなら告げるけど
  あなたの素敵な笑顔見せて下さい

    幸せな未来に羽ばたくあなたに
    今日の思い出も少しあたためて

  さりげない言葉で
    あな   たに
     さ  よ  な  ら


文字通りふるえる指でダイヤルを回した
でもそうしたから色んな感情を経験出来たのだろう

今は昔、ラジオから『ふれあい』が流れてきたから。



自宅のパソコンの電源が入らなくなってしまった
iPhoneからうまくアップ出来ますか?
明日からも心配・・・
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18の自分

2013-01-21 21:32:44 | タイムマシン
新年の3日に書いた「日記」というタイトルの日記

昭和47年9月、浪人生活の途中
弟が亡くなったその一部始終を涙で汚しながら書き終えて
それだけ残して
一切合財、破り捨てた

残してあった悲しみもいつの間にかどこかへ消えてしまったなぁ
まだ探してみたらこの家のどこかに眠ってるのかもしれないが・・・



その残してあったはずの日記の端くれが出てきた
成人の日の写真探した折に、そのアルバムに挟んであったのを見つけた
いやぁ 読みにくい乱暴な字。
8月12日に白血病の宣告を受け、あちこちたらい回しにされて、14日に入院が出来た
名古屋第二日赤病院の先生に「助かるかもしれない」という一言をもらって
心が軽くなって15日にいろいろあったことを書き綴ったわけだ
見開き2ページで4日分、そこを13日分使って書いてあった

18歳の僕がいた・・


入院前、弟とナイターを見た
応援してた中日が勝って喜んだ二人・・・
僕は部屋に帰った

一人で部屋に入るとまた思わず祈りたくなった。
僕は正座をして、何回も空に向かってつぶやいた。
「あいつがどんな悪いことをやったんですか? 何も罪なんかない。
 あいつを殺したら、僕は・・僕は・・・」
次の言葉が出なかった。僕には何もできない。そのことはよくわかっていた。
でも、もしできるなら僕の命、縮めてもあいつにやって欲しいと。

もう一度、祈り直した
僕の命縮めてもいいからあいつを60歳くらいまでは生きさせてやってください。
でも、僕の命、最低でも親より遅い年月に消して欲しい。
親に子供の死に接する姿はもう絶対に見せたくはない。
もう絶対に感じさせたくはない。
今まで自殺がどうのこうのと言っていた気持ちはどこかに飛んで行ってしまい心から反省した。
 


ふふふって思うけど、今でもあんまり成長はしていない
自殺にちょっとした憧れを持っていたのか
そんなことも忘れてしまっていた
でも、この時ほど泣いた時期はないし、その後どんなに苦しい日々を経験してきても、これほど悲しい年はなかったなぁ
心の底が抜け落ちてた

よく頑張った って18の自分に言ってやりたいそんな気持ち
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乙女の姿 しばし留めん

2013-01-16 22:59:14 | タイムマシン
中学時代と高校時代
そのお世話になった恩師とはそれぞれ一人ずつ
今でも年賀状のやり取りがある
いやはたしてお世話になったという言葉が適当なのかどうかはよくわからない
高校時代の高野先生は2年の時の担任
その時代から続いているわけではなくて
多分、20数年前のクラス会からじゃないかと思う
それにしても大したものかも
ハンサムで若々しい先生だった
クラス会をやってもクラスの中に溶け込んでどこに先生がいるのかわからないくらい
でも、ぶっちゃけ言うとそんなに好きな先生でもなかったわけだ
そのころ足の甲の骨が少し欠けたことがあった
体育の時間にサッカーボールを向こうからとこっちからと同時に蹴った際
運悪くその衝撃での結果だった
母親がそのことを先生に報告した
「えっ、そんなことで骨折?」
「なんて・・疑ってるんだよあの先生」 と言われたことがまだ頭の中に残ってる
今年の賀状には
根気がなくなりました などと少し弱気な言葉が綴ってあった


もう一人は中学3年の時の担任、鳥本先生
この人とは卒業以来ずっとしてると思う
今考えると当時まだ若い先生だったがその若々しさをあまり感じなくて
ベテランの雰囲気を持っておられた
国語の教師で・・・
鶏ガラのように痩せた顔で笑いかける
実はこの年、僕は前期も後期も学級委員だった
結構校内では優秀だったのだ
でも、どうしても担任の教科「国語」で「5」が取れない
先生はなんとかしてお前に5をやりたい と思っているのにどうしても残念ながら上げられない という顔でいつも僕を見てたような気がする
それはわかってたから、僕は鳥本先生は好きだった
「先生になるのも悪くないぞ」
そう言われたことはずっと心の奥にしまってある


ある日、理科室でだったかなぁ
国語の授業の時に、百人一首のカルタ取りをする機会があった
みんな、のんびりした奴ばかりで、上の句を読んで下の句に行くまで誰も字札を取るのがいなかった
で、僕は狙っていた
あれが来たら絶対に取るぞ、と
半分も過ぎて、残り三分の一あたりになったとき
「あまつかぜ~~~」
「はい!」

先生の顔が全部笑顔になった
「おまえぇ、それだけは知ってるのかぁ」
僕の唯一の切り札は
「天津風 雲の通い路 吹き閉じよ
   乙女の姿 しばし留めん」

をとめのすがたしばしとどめん
いい言葉だ
当時からそう思っていたが、今言葉にしてみるともっと実感が湧く

坊主捲りをすると全財産を一度に放出させられる「坊主」だけれど
この絵札を見ると、先生のあの笑顔が思い出される
いつまでも元気でいてください

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成人のブルース

2013-01-14 22:27:51 | タイムマシン
19才から25才くらいまで成人式のお手伝いをしてた
僕らの成人式は名古屋の中区全体で鶴舞公園内の名古屋市公会堂という伝統ある(古いってこと)建物で行われてた
前に鶴舞公園紹介してた時の写真があった

   
 
手伝ってたのでその代表をやらんか と言われたが固辞をした
でも翌年の前年度成人代表は固辞しきれなかった

これはただ松明の灯を蝋燭につけるだけ
そのくらいなら何とかなるかも と

こんな練習風景の写真が残ってた

       

カラーのシステムがなかったわけじゃないんだがなぜかモノクロ写真で残ってる

で、本番は小さいがカラーのが一枚あった
 
       

ただスタッフだったから表に出ただけで、優秀とかそういうことじゃない
翌年、妹も新成人の代表で舞台で記念品を受け取る役をやった
同級生らから「何であの子が?」って思われたらしいが
ただ兄の七光りだったわけだ

一応厳粛な席だった
その後、あちこちで子供っぽいやんちゃ坊主成人式が有名になったりするが
自分たちの時代では考えられなかった愚行だと思う

その後スタッフとして3年連続で式の後のアトラクション担当になり
ポプコンで頑張ってた地元の子たちとの交流で僕は個人的に楽しい思いをすることができた
そこで、恋をして、失って・・
ホントの成人式を経験していったというわけだ

懐かしいな、成人式
成人のブルース



オレしか聞かんかもぉ
いんだもん

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日記

2013-01-03 23:46:42 | タイムマシン
二日連続でサボろうとしてた日記
日記はなんとなく自分勝手に書くもので、「記事」と言っちゃうと読んでもらうためのような感じがする

高校生の時「日記」を書いていた
ちょうど高校の一年生になった時くらいからだと思う
中三の時に縦割り週番で同じ役割をした中二の子が好きになって
何にも行動を起こさないまま高校生になった
美穂ちゃんのことを思ってつけてた日記だった
ばっかみたいだったけど、なんか一生懸命彼女を思って書いていた
見開き2ページに4日分の出来事が記せる
入学祝に誰かからもらった万年筆で縦書きに綴っていた
大きな文字の時もあったし、小さな文字で次の日の欄にかかることもあった
毎日ではなかったけど僕の想像は彼女を勝手により美しいものに変えていったのかもしれない
二年生になってラブレターを書いた
一回だけ一緒に近所の公園を歩いた
子供のころからの遊び場だった鶴舞公園は地に足がつかず一段上の空間を歩いてようだった
初めて女の子と一緒に過ごした時間は思い出すと今でも冷や汗が出てくる
こんなに苦しいなら一人でいた方がいいとも思った
思い通りに一人のまま・・・彼女とは二度と会うことはなかった


結局3年間同じ一冊の日記で事足りた
いや、もう少し先まで続いた
昭和47年9月、浪人生活の途中
弟が亡くなったその一部始終を涙で汚しながら書き終えて
それだけ残して
一切合財、破り捨てた

残してあった悲しみもいつの間にかどこかへ消えてしまったなぁ
まだ探してみたらこの家のどこかに眠ってるのかもしれないが・・・

正月に思い出すようなことじゃねぇが、日記と言えばこれしかない


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青春の記憶 の端くれ

2012-12-02 23:42:21 | タイムマシン
修学旅行の写真見てたら勿論名前のすぐ言えるやつもいればそうでないのもいる
でも同じクラスになった子なら80%くらいは言えるような気がした
すごい覚えとる
若い時に修得した物は長持ちするんだよね

水野君って子がいた
確か高3の時の同級生だ
人懐っこい人格で好かれていた・かどうか覚えてないけど
よく話してたと思う
僕らの高校は真面目な子が多くてあんまり乱れることがなかった
中学とは大違いで安心ではあるけども面白味がないと言えば言えないこともなかった
その中で彼は少し飛んでいた
ある日教室の片隅に彼を中心にして3人くらいの塊が出来ていた

3年になると理系文系に分かれる
1組から4組まで文系クラスで男女比率半分くらい
5・6組が理系男女クラス でもって7から10組が理系男子クラスになる
僕らは10組で初めて男だけのクラスを経験した
そんな中での3人の塊
ちょっと覗いてみた
「かっつん 見る?」ってうれしそうに水野君が声をかけてきた
そこには写真があった
勿論もうカラーが普通の時代なのにそれはモノクロの写真だった


女の人が一人で写ってて何も着てなかった
足を開いてて・・・
ショックだった
あかちゃんの裸なら覚えてる
でも年の離れた弟のしか記憶にない
それは自分とも酷似した物だったから何の違和感もなかったが。。
妹はいるけどすぐ下
自分も赤ちゃんに近い状態でおむつ替えをしたことがなかったから女の子の・・
知らなかった
うっわ、きもちわり って思ってしまったけど忘れられない
今でもなんとなくそれは記憶の端にあるのだ

それ以外の部分は「平凡パンチ」とか「プレイボーイ」とか「GORO」とかいろいろあったんで十分に知ってはいたけどその部分の初体験はいまでも水野君とともに鮮明に残っている


なんのこっちゃ
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修学旅行

2012-11-30 23:18:44 | タイムマシン
本日月末、いつもは職人さんと一緒に出て仕事場に降ろしてから銀行巡りなのだが
彼は今日診察日
僕一人で仕事場へ向かうならそんなに急がなくても銀行が開く時間に間に合うように家を出ればいい
というわけで金曜日は燃えるゴミの日
台所にある45ℓのゴミ袋にリビングのゴミを詰め込んで
それからトイレにある猫のトイレからウンチとおしっこの固まったやつをレジ袋に入れてから45ℓの中に放り込む
ついでに廊下も掃除しとこう
ついでに玄関脇も片付けよう

ん?

そういえば少し前に高校二年の時の同級生近藤君から封筒が届いてた
しっかり見ていたようで見てなかった
今は私立の高校教師をしてる彼
高校2年の時のクラス会の幹事をしてくれている
(3年は男子クラスが10クラス中4クラス、女子の混ざったクラスは2年まで)
高野先生以下毎年のように集まってて
数年前までは時々参加していた・・・
が、この体たらく生活が僕の行く気をそぐようになった
大体クラス会に来る奴は成功者か断念者、何をってその出世とか名誉とか・・・
成功者ではもちろんないけど、断念者として行くのはちとまだ早い
というわけでここ何年か断ってたら、今年のクラス会には誘ってももらえなかった
いやもしかしたらその連絡は来てたけど、僕の見落としかもしれない
ただまぁ 見落としてなくても多分行かなかったんじゃないかな?


で近藤君の手紙は
久しぶりに参加してくれた武ノ上君が昔撮った修学旅行の写真を提供してくれました
下記のURLからご覧になれます
ほとんどが班行動でしたのですべての方のお姿を見ることはできないかもしれませんが

4人で班行動をしていた
そのうちの一人が武ノ上君で何枚か写してもらった写真があったわ
彼は普通の写真にするんじゃなくてスライドにしてたはず
それでそれを写真にしてもらってたんだけど確か白黒の写真だったような気がする・・

1970年11月16日から19日 だった


         

http://yahoo.jp/TEeHZM(ヤフーのID必要かな?)

写真いっぱいサンクス 懐かしかったぁ
場所は岡山香川あたり・・


小学校の時は奈良京都
中学校は東京(ディズニーランドはまだない)だったな




舟木一夫 修学旅行


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