想い事 家族の記録

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変わりゆくこと。

2012-09-09 16:38:32 | 日記

学生時代。
一年たってもクラスメイトの名前と顔が覚えられないくらい、
ひとの顔を見ないで過ごしていた。
そのことをおかしくて母に話したら、
「ちっとも笑える話なんかじゃない」って怒られた。
なんで、同級生の顔も覚えようとしないの?
なんで、もっと笑って友達の話をしないの?
ひとの顔を見て、ちゃんと話しなさい。嘆かわしい、と。

私は、人が苦手で、大人になってもひとりでやってゆこうと、
変に心に決めていたから、母の言葉が重かった。
あまり笑わないで、
黙々と勉強だけして、
高校のとき、男の子に「なんでそんなに静かなの?」と云われた。
専門学校の時は「なんでそんなに真面目なの?」と云われた。
母には、「もっと笑顔で!」と散々云われて、
専門学校の2年目に、笑うことを心がけたら、
男の子も女の子も、びっくりするほど、
沢山の友達ができた。

それで、もっと笑顔で、小学校時代から過ごしていたなら、
どれだけ多くの友人に恵まれただろうって、反省した。


結局、病気になってこの田舎の実家に戻って、
せっかく作った友人とも離れて、
たまのメール、手紙くらいの付き合いしかしなくなってしまったが、
離れても、私の友人はみんな優しく賢明なひとたちで、
尊敬しているし、大好きだ。
でも、この頃また、ひとりが楽だなあ…と何かにつけて想うようになり、
結局は一匹狼で基本行くけど、
人との交流は大切にしたいと、
心の軸は定まってくれた。

でも、母は、きっとこんな私を寂しい人間だと想うのだろう。
私だって、今さらどうにもならないことだけど、
つまらない人間だなあと想う。
だから、娘にはやはり、「笑顔で」と云うだろう。
一人で生きず、
支えあえる人間に出会えることを祈っている。

私は、
娘に会えて、今こうして成長した娘といるとき、
どんな時代よりも楽しくクスクスと笑っている。
結果はどうあれ、K君に出会ってよかったと想っている。
いつまでも、娘と笑って過ごせれば嬉しいけれど、

時はそれを赦してはくれないだろう。
いつか、娘が旅立って、

哀しいことも嬉しいことも、
分かち合うのは植物くらい、という寂しい己の老後を想うと、
時が止まってくれればと願わずにはいられない。
でも、やっぱり、それだけ静かな世界でないと、
私の気持ちは落ち着いてくれないような気がする。

ずっと、一緒にいたいな。
叶わぬ夢だけど。



今日は母の18年目の命日でした。




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