想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

季節は遷ろう。

2014-02-25 15:56:31 | 日記

残雪の高さが一気に低くなった。

太陽の恩恵を感じる。

こうして、季節は塗り替えられてゆくんだなあ…
(裸の大将っぽく)

父の退院が近づいて、

なんだかんだと、頼まれる。

今日はメガネすら取りに行けず過ごした。

義父の7回忌も迫っている。

新幹線の時刻を調べて、おかーさんに連絡しないと。

法事を終えて、

父の退院。

仕事も復帰しないとならない。

恐怖に満ち溢れる素晴らしき日々


刺し子、花ふきん。



かわいい、十字つなぎ。



七宝つなぎ。まだ、改善部分が多い。



アルコール依存で検索してきて下さった方のために、

今日は、少し語ろうと想う。

読みたい人だけ、ズズズッとスクロールして下さい。

つまらない話ですから…






























私が依存するきっかけとなったのは、22歳の頃からである。

私は、設備設計事務所で働きながら、家業の理容師の、

二足の草鞋を履く生活を送っていた。

国家試験で理容師免許をとった後、

家業を一本でやらずに外貨を稼ぐなら、

会社の休みの日は家業を手伝うという条件を父に出された。

で、平日は設計士、休日は理容師…という無茶をやっていて、

ある日、どうにも疲れて、会社から家に帰れなくなってしまった。

私は酒屋で缶ビールを買い、飲みながら道を歩き、

酔うと、少し気持ちが持ち直すことを知ってしまったのである。

例えまずくて半分は吐き戻したとしても、

「呑んだこと」に意味があり、あと少しの底力を引き出すことができた。

「呑んだこと」で、気が大きくなり、

「残業だった」と親に嘘をつき、

川原で夜まで飲んでいることもあった。

休日も、朝早くから起き上がり、夜まで立ち仕事をする気力を、

アルコールの力に委ねてしまった。

母が病気になった頃は、

仕事、家業、家事、看護…と休む時間もなく、

母との面会の前に飲み、

面会が終わると、飲みながら家に帰った。

家に帰ると、

洗濯…掃除…。手をつけていない。

父は、仕事を終えると、趣味の尺八を吹いて精神安定を図っていたようだが、

その音色にすら苛立った。

妹は高校生で、彼氏と遊んで午前様…という有様。

私は、呑んでは散らし、家族に対する怒りを抑えた。

怒りを鎮める、気力を引き出す、限界まで動く…

全てを、アルコールの力に委ねてしまった。

これが、依存のはじまり。

何かにつけこのシステムが稼働して、

精神安定を図るのに、アルコールを利用した。


今も、

あの時と同じ。私は、同じ轍を踏む。

下らなすぎて、語るべきことでもないが、

同じようなことで苦しんでいるひとがいたら、

こんな私の話を読んで、笑って欲しい。


この憂いを、どう祓えばいい?

身体に染みついた忌まわしい痣を、どう消したらいい?




私だって、幸せになりたかったよ。

就職を祝ってもらいたかった。

夢を語り合いたかった。

離婚なんかしたくなかったし、

最期まで信じていたかったよ。


今判ることは、

それでも、足を止められないということ。

前に進まねばならないということ。

どんないい訳も、通らぬということ。

どうしたって、時は止まらない。











コメント
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