賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

なぜ主イエスがカナンの女の信仰を良しとされたのか

2019-10-29 20:18:43 | 聖書の言葉

   聖書にこう記されています。「すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、『主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています』と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。『この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので』。イエスは、『わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない』とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』と言った。イエスが、『子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない』とお答えになると、女は言った、『主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです』。そこで、イエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように』。そのとき、娘の病気はいやされた」(マタ15:22-28)。わたしはこの箇所の言葉を読むたびに、「主が働いている間に、主を信じ、主に従った人が非常に多く、主の恵みを得た人も数えきれないくらいだが、カナンの女のように主の称賛を得た人は指折り数えるほどわずかです!」と思います。だが、なぜ主はカナンの女の信仰が立派だとほめられましたか。カナンの女が主の前で自分が犬だと認めて、理性的な言葉を言ったからですか。この問題はわたしが分かりません。この問題については、わたしはいつも考えています。




   この問題を考える時、わたしはこう思います。主イエスがガリラヤで働き、伝道した時、主イエスがキリスト、神ご自身だと認める人は多くなかったのです。その上、パリサイ人たちがローマ政府と結託して、主イエスに関するデマをたくさんでっち上げたので、多くの人は主の救いを拒絶しました。ところが、カナンの女は主イエスに会ったことがないのに、主イエスの働き、主イエスの事績をいくらか聞いただけで、堅く主に信頼し、主が彼女の娘の病気をいやす力があると信じました。ここまで考えた時、わたしはカナンの女の粘り強さ、信仰に非常に感服し、主イエスがカナンの女の信仰のゆえに彼女を良しとしただろうと思いました。当時、カナンの女は何度も主イエスに断われたのに、依然として主に信頼していました。なぜ彼女がこんな信仰、根気があったのですか。当時、主を誹謗したデマがそんなに多いのに、なぜ彼女はこれらのデマによる封鎖を突破して、主を深く信じることができましたか。

   カナンの女は主イエスの働き、言葉によって、主の身分を知り、主イエスが神ご自身、造物主であることをはっきり意識しました。主イエスが彼女に対してどんな態度を取っても、彼女を犬として扱っても、彼女は気にしませんでした。彼女は主イエスが彼女の礼拝すべき神ご自身だと堅く信じていたからです。そういうわけで、彼女は主イエスの外側の人性がどうなのか、主イエスがナザレ人か、それとも大工の息子かを問題にせず、主イエスの福音がパリサイ人とユダヤの民に罪定めされ、冒涜されたことさえも問題にしませんでした。彼女は主イエスが伝道し、言葉を発表し、天の国に関する奥義を啓示し、しるしや奇跡を行ったことによって、こんな権威、力を持っていて、こんなに大きな仕事をすることができる者がきっと普通の人ではなく、万物の主宰者――神ご自身だと意識しました。だから、彼女はいつまでも主を離れません。これで分かるように、彼女は主イエスを認めるだけでなく、また心の中で、主イエスが来たるべきメシアであり、キリストであり、天地万物を創造した主だと堅く信じていました。カナンの女は何かの原因で神を否むことはなく、主イエスの態度のゆえに神に対する信仰をあきらめることもありません。すべての人の心を探る神である主イエスはカナンの女のこんな信仰を見て、彼女の信仰が立派だとほめられました。これは、カナンの女の奇特さです!

   パリサイ人は主イエスに対しては、カナンの女と全然違う態度を取りました! パリサイ人は代々ヤーウェ神を信じ、長年神殿の中で神に仕え、また律法、戒めに精通していました。主イエスが来て働かれた時、彼らは主イエスが口ずから宣べ伝えた言葉を聞き、また自分の目で主イエスの行ったしるしや奇跡を見たけれど、外見が正常で、父母も姉妹も持つ主イエスの正常な人性だけを重んじるため、主イエスが一人の人だと罪定めしました。彼らは主イエスの働き、言葉から神の神性の本質を認識せず、かえって主イエスが冒涜の言葉を言ったとはばかりなく罪定めし、また主イエスの肉体を冒涜し、神の働きを否み、罪定めしました。最終的に、彼らは主イエスを十字架につけて、この上なく大きな罪を犯してしまい、そのため神に呪われました。ここまで考えた時、わたしの心の中の疑問は解消され、主イエスがカナンの女を良しとしたのは、カナンの女が本当の信仰を持っていて、主イエスの働き、言葉を通して、主イエスが来たるべきメシアであることを知ることができるからだと分かりました。

   マタイによる福音書第15章22節から28節の言葉を分析することによって、わたしは次のことが分かりました。主の到来を迎える上では、わたしたちもカナンの女のように神に対する本当の信仰を持つべきです。神の言葉と働きを通して神を認識することは非常に重要です! そうしてこそ、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」(ヨハ10:27)という主の願いを満たすことができます。