看護職ほどではないにしろ、福祉の専門職も、結構皆さん、とらばーゆします。
一生ひとつの職場で勤めて、定年まで働く人って、かなり少ないのではないでしょうか?
僕自身は大学を出てから、ひとつの病院でずっと勤めていましたが。
全国の国立病院で、異動もなく一カ所で勤めていたSWは、僕ひとりでした。
四半世紀を、ひとつの病院の中で過ごすことが、良いのか悪いのか…。
「つくづく狭い世界で生きてきてしまったなぁ~」と思う今日このごろ…。
同じ時期に病院PSWになった東京の仲間たちも、ほとんど途中で転職しています。
埼玉県の精神保健福祉総合センターができた時に、東京のPSWはごっそり移りました。
医療観察法ができて社会復帰専門官ができた時にも、多くのPSWが移りました。
さらに圧倒的な数のPSWたちは、その後地域に展開していっています。
今、東京のあちこちで運営されている法人も、PSW達が立ち上げたものが多数あります。
PSWの裾野の拡大とともに、新天地を求めて、みんな旅立っていきました。
そして、同世代の病院PSWは、東京では数える程しかいなくなってしまいました。
若干、取り残された感じがあったのは、事実です。
「つくづく狭い世界で生きてきてしまったなぁ~」と思う今日このごろ…。
福祉の分野を対象者で単純に分けると、大きくは三つでしょう。
今や大半は高齢者分野に従事していて、専門職大学院でも1/2を占めます。
あとの1/4が児童分野。
残りの1/4が障害者分野。
精神保健福祉分野は、その障害者分野の1/3に過ぎません。
全体の円グラフを書くと、アナログ時計の11~12時くらいの幅しかありません。
福祉の専門職と言いながら、その中でしか仕事をしてきませんでした。
「つくづく狭い世界で生きてきてしまったなぁ~」と思う今日このごろ…。
僕は、東京の近郊北西部、小平というベッドタウンにずっと住んでいます。
長年勤めた、国立精神・神経センターも、同じ市内にあります。
最初は病院内の宿舎に住んでいましたし、職住接近が当たり前になってしまいました。
結婚して、途中2年間だけ練馬区に住みましたが、また小平に戻って来ました。
あしかけ、もう29年間、小平市に住んでいます。
転職しても、大学のある清瀬市までは、車で20数分。
北多摩北部保健医療圏の中で、ずっと生活しています。
「つくづく狭い世界で生きてきてしまったなぁ~」と思う今日このごろ…。
そういった意味では、僕の視野は、とても狭いかも知れません。
自分が認知している体験世界の範囲って、なかなか自分じゃわかりませんしね。
専門職としての職場体験も狭いし、生活圏域も限られている。
海外旅行も行ったことなければ、国内旅行も限られている。
学会や講演に地方に行っても、空港・駅と会場の往復しか知らない。
ひとつの場所で、コツコツと地道にやっていくのが、僕のスタイルなのかも知れませんが。
「つくづく狭い世界で生きてきてしまったなぁ~」と思う今日このごろ…。
継続は力なり、自らの足下を掘れ、逃げ出すな、というのが僕のスタンスですかね。
でも、仕事だけじゃね…。
もっと、人生には遊びがないとね?
もっと、人生は楽しんで、いいんですよね?
もっと、自分の時間を大切にして、いいんですよね?
こうして書いていると、ますます力が抜けてきます。
「なんかつまらない男だな~」と、自己評価が更に下がりそうです。
「つくづく狭い世界で生きてきてしまったなぁ~」と思う今日このごろ…。
(注)昨夜、完全徹夜で少々疲れています…(*_*)
※画像は、夜の明治大学のイルミネーション。
「長く続ける」に、そんな思いがあるんですね
わからなかったです これから「広がり」がありそうですけどネ…
浅い「コメント」だぁ~とつくづく
あ、11時から12時を飛びだしてるし・・。
断る仕事はアッサリブッチぎってたまには遊びに行って。
狭いセマイとは言っても地球だって狭いもんだし
場合によって目の前にいるたった一人の精神世界がブワー!!とめちゃめちゃ複雑で広いのが解る時もあるだろうし。
ユニバーサルに考えると可笑しく成る程狭小な世界で
楽しんだり幸せになる為に僕等は生きてるんで
廻りの楽しくもない幸せでも無い奴までニヤニヤさせる位
俺達が楽しみ切ったが勝ちでしょう。
わっほい!
何やっても、何見ても、どこ行っても、誰と会っても、私とちかちゃんが先生のパウンドケーキ狙ってたとしても。
深く、広く、狭く、浅く、裏も表も見るか見れないかは人それぞれ。
先生の視野が狭いはずないんだけどなぁ
本当に大切なものは目に見えない
のですかね
むんっ!