記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

転ばぬ先の杖

2008年05月15日 05時19分36秒 | Weblog
昔から伝えられている諺で、知らない人はない。しかし、これが活きる歩は早くて2度目から。若いことの転倒はカウントしない。
時々平地で躓くことがあり、後期高齢者に組込まれる年齢が近付いていることでもあり、「今のうちに」と杖を買い求め、何度か外出では持っていってみた。
しかし自分の足で蹴飛ばすばかりで、躓く回数が減るなどの効能もない。「杖に縋る」という気持ちが起きてからでないと、諺も活きてこないらしい。

諺が成り立つには、その言葉の外に前提となる条件があり、省略されている。今更、諺に限ったことでないかもしれない。

どんな諺にも、それと正反対の諺があることはしばしば指摘されている。迷うときは、任意に選べるようになっている。あるいは選べないから迷う。
どっちもよく知られていて、どっちが名言ということがないのに、活用されるときは一方しか存在しないように振る舞う。

「去る者日々に疎し」と言い、「離れていれば想いはさらにつのる」と言う。誰の中にでも、両方が真である。ただ、軽重がある。
古典的な行動主義心理学はパブロフ流に大脳皮質過程の解釈をして、どっちに傾くかで、その人の性格が分かれる、と。

選択肢は、一般には2つに限らないかもしれない。杖を選ぶ前に、靴を選ぶのが普通である。靴以外に持ち物や服装も選ばないといけない。
高齢者は一様に軽そうなウオーキング・シューズを履いている。どうもそれが馴染めない。足を挙げて歩けと言われるが、つい忘れて躓く。
逆に、踝まで覆う少し重い靴を履いてみたら躓かなくなった。気に入って毎日これで歩いていたら、今度は何故か踵が痛くなってきた。気がついたら毎日の歩数が減ってきている。旨くいかないものだ。

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