記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

縄文の幻想

2012年02月26日 06時41分41秒 | Weblog
縄文人のアニミズムは「山」と「山の神」とを区別しただろうか。
山、そこから流れる川、山を支配しているオロチ、里に下って来るヘビやその化身は、アニミズムでは一つの神。
山は神の依り代ではなく、神ソノモノ。

原初のアニミズムを実感できない今の人は、御神体として概念するのがやっと。
依り代をその代用品のように誤解するなら、古代の謎を解けないのではなかろうか。

隕石や津波は神ソノモノであって、神はそれに乗っている人とか、それで襲ってくる人ではなかった。

弥生時代、隕石落下や津波被害が伝承になったとき、縄文の古い神々は海を渡り山を越えて渡来した新しい勢力の神々に置き換えられた。
古い神々は、復活し崇ることのないよう封じ込めようと、弥生の神として手厚く祀られ、古い名は口にされることが無くなった。

ニギハヤヒも弥生の神。
おそらく大陸の江南から黒潮に乗って渡来した海人族の長。
ニギハヤヒの降臨に随伴した神は32体。
ニニギの降臨に随伴した神は記紀では高々10体。
天の岩屋で裸踊りをしたアメノウズメは両方に名がある。

史書の編纂で誤ったのか。写本の過程で誤ったのか。
ニギハヤヒとニニギは、もしかしたら同じ人物だったのかも。
あるいは両者とも人物としては実在でないのかも。

イワレヒコ(神武)がヤマトに到達したとき、既にニギハヤヒが統治していたことは記紀にもある。
ニギハヤヒがイワレヒコに禅譲したと云うのに、何故イワレヒコを初代とするのか。
「消された王権」と呼んで議論の種になる。
天皇の概念が形成される以前の王権で、歴史として実在を認められるのはハツクニシラススメラミコトと和風諡号で呼ばれた第10代のスジン(崇神)だ、と。
ジンム(神武)とスジン(崇神)は本当は同一人物だったとすれば、記紀は何をどこまで創作しようとしたのか。

記紀には国造についての記述がなく、筋書きが天皇家に偏る。
それ以前に幾つか史書が編纂されたが、現存しない。
日本書記が「一書に曰く・・・」としていることは存在の痕跡。

620年に聖徳太子と蘇我馬子は「天皇紀」「国記」「臣連伴造国造百八十部幷公民等本記」を編纂し完成したが一部を遺して焼失したというのも嘘でないらしい。

偽書だとされていた古事記を評価した本居宣長は先代旧事本紀を偽書としたらしい。
写本の作業過程で辻褄が合わなくなった部分が生じたであろうことは、どっちもどっち。
旧事紀は、記紀に欠けた部分が詳しく、焼失を免れた部分に依っているとして見直されている、とか。
6世紀中頃に大連でなくなった大伴氏の記述がなく、7世紀後半から活躍した中臣氏系の国造が掲載されていないので、7世紀前半に編纂された、と。

ウマシマジはニギハヤヒの子ではないらしい。
ナガスネヒコに背いてイワレヒコを支持し、この頃から大王を選ぶのは部族たちだという歴史が成立。

正統性が疑われる場面には、いつも強力な臣があり、戦いがあった。
日本を統一し軍事・政治を決めてきた神々は、ニギハヤヒやイワレヒコたちよりも、臣やその部族たちの神々だった。
全国各地の神社に祀られている神々は、直系の天孫ではなく、部族の祖神。

人々は誰を拝んでいるつもりなのか。
氏神と云いながら自分の氏素性と関係ないことを気にする人はいない。
アニミズムがわれわれの中から完全に消えた訳でないが、既に祭祀に関係していない。


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