プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

目的やゴールを設定しないって、変じゃないんだ!

2019-10-29 22:40:21 | 考えたこと
わあ、
「目的は見つけるものじゃない、
目的が自分を見つけてくれる」

だって!

なんだか、目的やゴールを設定しないで
やっていきたいのだ、とこの間書いたことと、
関連しそうじゃないですか!

まだ、この本は読んだことがないのだけれど、
どっかで手に入れて読んでみたいな。

どうでもいいことだけど、
このTealっていうのは色の名前。
あるところで、Tシャツを色ごとに数えていたんだけど、
「これ、水色?」って聞いたら
「ティール」って言われて、
「そんな色の名前知らない。綴り、何なの?」
って言ったら、
「え〜、そんなことも知らないの?」って
むっちゃ馬鹿にされて、本当にガックリきた
ことがある。ここ数年のお話。
全くもって、英語ってば、やってくれるよ。
苦い思い出の色名。
好きな色なんだけどねぇ。



目標、ゴールを決めないという方向性

2019-10-28 08:48:25 | 考えたこと
週末に研修会に出た。
セミナー自体はとてもいい内容で、
どうすると頑張れるか、目標達成に
自分を持っていけるかという具体的な方法や
理論がしっかりあって、信頼できるものだと思った。
企業やスポーツといったセッティングで有効だと思う。

20代から企業研修を引き受けて来ているというのに、
こんなことを思っているとは表明しにくいのだが、
目標、ゴールを設定して、
その達成のために頑張る、
という前提が私の中では崩壊している。

目標とゴールを設定して、
そのために頑張るのは、
案外、頑張れる。
頑張る意味が見つけられれば
こっちのモノである。

また、無意識が自分の夢を叶えてくれるという話も、
その通り、と思う。
自分でも変だと思ったが、学生のころ、
「自分の本がどうして本屋さんに並んでないんだろう?」ぐらい
思ってると気づいたことがあり、
その時はどうしたら実現するのかわからなかったけれど、
ちゃんと実現してる。

「海外で暮らす」もどこかにあったとみえて、
自力では全くないのだが、ブーブー言いながらも
ちゃんと実現してる。
今、叶ってないのは「ジャガーに乗る」だ。
無意識レベルはどうだか知らないが、
意識レベルでは大きくてガソリンをいっぱい使う車は
ちょっと、無理だなと思っているので、
この夢はなかなか、叶わないだろうと思う。

とりあえずの夢は叶ってしまっているので、
今は無意識が発動していないのだと思う。
次なる夢やゴールを見つけてしまうと、
必要以上に没頭するので、
面倒くさいのかも知れない。

ゴール、目標設定からズレたいと思うのは、
前向きであることの両義性みたいなことを
思っているからかも知れない。
前向きであることの中に
ネガティブな思いを封じ込めてしまうような力が
働くんじゃないかな、という感じ。
これと関連するかも知れない。

「今、ここ」に目を向けながら、
先に進むということがどういうことなのか、
もうちょっとわかりたい、という面もある。

もしかしたら、目標やゴールを設定しないでも日々が充実する、
Beingを楽しむ、ということが目標なのかも知れないね。
ここについて、もうちょっと考えが進められるかも。
楽しみだ。




海水の温度、上昇

2019-09-22 19:39:35 | 考えたこと
ハワイがムッチャ、暑い
地球温暖化が起きている、いや、冷却期だという議論があり、
友人の科学者もむしろ冷却期じゃないかと言う。
でも、こんなに暑いのはなぜ?
嵐がこんなに激しくなってるのはなぜ?

そんな中、原発に関するビデオを見た。
放射性物質の管理が難しくて危険なのは周知のこと。
でも、今回、冷却するために海水が使われていて、
熱くなった海水は海に流され、周りの海を温めていることに気づいた。
そんなこと、問題だって言うの、あんまり聞いたことないよ〜!って思ったのだが、
この熱水、日本中の川の温度を2度上げることができるほどだ、
と書いてあるブログも見つけた。
CO2による温室効果っていうよりも、
直接、海を温めている。
一体、あったまった海はどうやって冷えるのだろう?
クローズドのシステムで、
エネルギーは保存されるんじゃなかったっけ?
ただただ、どこかがあったまっていくだけなのでは?

2度って生体にとってはかなりな温度だよね。
36.5度の体温が38.5度になったら、辛いもの。

昔、働いていた大学で学生と話してたら、
その院生は魚のメス化の研究をしている人で、
女性の使う避妊薬が尿となり、最終的に海に流れこむせいで、
魚がメス化すると聞いた。
その時に、ああ、海の水だって有限だよね、
無限に希釈できないよね、
と思ったことを思い出す。

ハワイの周りの海の温度が2度、上がっているらしい。
サンゴが白化する危険がある。
この水温の上昇、日本だけではなく、
世界中の原発やその他の工業過程などで、
海水が冷却水として使われるせいってことはないのかな?
なんでこのこと、あんまり解説がないのかな?

お寺の可能性

2019-04-22 08:05:29 | 考えたこと
お寺の可能性について書いた記事が
行方不明。
同じことが書けるかどうか、気になるが、
まあ、やってみよう。

6月から9月はハワイの盆ダンスシーズン。
パロロ本願寺でも盆ダンスミーティングが始まり、
一大イベント企画会社化する。
ロジスティックから櫓の設営、ベンダーさんをお願いすること、
ボランティアの募集、当日、販売するフード、
ボランティアのまかない、駐車スペースの割り当て、などなど。
当日まで、いろんなドラマが繰り広げられる。
この運営に参入したら、
すっごい経営力が身につくのではないだろうか。

お寺の可能性について考えている。
日本でも従来のお寺の枠組みを超えて、
いろんなことを試みている人たちがいる。

例えば彼岸寺は、とても刺激になる。
パロロ本願寺にも来てくれた
佐藤良規さんも、杉浦恵一さんと、いろいろな提案をしてくれた。

お寺が地域に開かれて、
コミュニティに何らかの形で
貢献できるようになること。
開くということは、これまでとは違う何かが
入ってくる可能性が増えるということでもあり、
面倒だったり不安だったり、危険だったり。
このへんのバランスをどうやって
取っていくかも考慮する必要が出てくるんだろうなぁ。
さてさて、お寺、どうなっていくか。
ほぼ、毎日のように通ってて、
「住んでる」と言われています。
いっそ、テラ女になろうかなぁ。

消えちゃった文章と、
全然、違う内容になった(笑)

アニシモフ氏のワークショップに出ました

2019-04-08 09:32:24 | 考えたこと
桜が咲き始めたころ、日本を後にした。
ハワイへ帰るときには最終便にすることが多い。
ギリギリまで日本を堪能できるから。
今回はランディさんが企画した
スタニスラフスキーメソッドを学ぶ
アニシモフ氏による
ワークショップ
に参加することができた。

アニシモフ氏のことはランディさんが稽古に通っていた
東京ノーヴィ・レパートリー・シアターを見学させてもらった
2016年の春に知った。
この時、稽古を見ながら感動のあまりウルウルしてしまった。
何に感動したかというと
「愛」に。

戯曲は「カモメ」だった。
舞台上の役者さんはセリフを言う。
アニシモフ氏は「本当に自分が感じていること?」的な
質問を繰り返し、繰り返し若者に問いかける。
いろんな角度から、「そういうときって、これまでの体験であった?」とか。
表現が身体の中から出てくるまで、じっくり、じっくり、つき合っていく。
この「じっくり本当の気持ちが出てくるのにつき合う」というのを見ていたら、
もう、愛がいっぱい。
初めて「愛」があふれかえってる現場を見て、圧倒された。
「なんで遠い異国ロシアからわざわざ、この極東の
しかも下北沢のカラオケ屋さんの上にある
小さな小さな稽古場に、寄る辺ない(ように見えた)若者たちに
学校の先生たちや周りの大人たちが
注いだことのない(かもしれない)愛を
こんなに大盤振る舞いしているんだ!」

なんだか「ありがとう、アニシモフ!」と
両手をとって、お礼を言いたい、
みたいな感動の仕方をした。

ちょうどその頃は、やってた仕事を続けるか、辞めるか、
そもそも、私がハワイにいる意味があるのか?的な
問いが色濃く渦巻いていたときだったので、
「愛情」感度が上がってたのかもしれない。

その年の夏にもう一度、見学に行ったら、
丁度、アニシモフ氏の本が完成したところということで、
ほんの通りすがりの私も一冊、いただいた。
そして、ビックリ!
「愛」はアニシモフ氏が教えるときのテーマなのだった。
なるほど!

「スタニスラフスキーへの道 システムの読み方と用語の99の謎」
このときは内容がよくわからず、数ページで読めなくなってしまったが、
今回、ワークショップに出て、言わんとしていることが
バシバシと分かることになった。
帰ってきてぐわぐわぐわと読んだ。

この本を読むには、
アニシモフ氏のワークショップに出るか、
稽古を一度、見学してからの方がいい。

さて、今回のワークショップ。
午前中、ランディさんとボディワークをしている牧野順子さんの
サポートで、
しっかり身体をほぐしたり、身体を動かしたり、声を出したり。
竹内敏晴氏のメソッドを使ってちょっと演じてみたり、
なんてことをじっくりやって、
場が温まり、周りの人ともいい感じで仲間っぽくなったところで、
アニシモフ氏登場。

まずは理論編から。
上世さんという通訳の方がついてらして、
この通訳がすごい。ギャップを感じさせない。
稽古場でもビックリしたけど、今回も。

理論編を聞きながら、ああ、なるほど
そういうことをしていたのかと理解をし、
その後で行ったスキットとその時のコメントを
聞きながら、そうか、そうかと納得。
もちろん、まだ分からないことは一杯だけれど、
何をしようとしているのかは分かる。

自分の内側から生まれてくるもの。
自分の中の奥深くにあるもの。
あるいは、もしかしたら種のように
埋め込まれているものかもしれないもの。
それが、外側のsomething greatと繋がって
表現として出てくること。
そこを探す。じっくり味わう。
こういう感じかなぁと思ったり、
考えたり、感じたり。

このプロセスにじっと、じっと、じっくり、じっくり
つき合っていくわけだから、
どれだけの愛が湧きでているんだ、
アニシモフ先生! と思ってしまう。

じ〜〜〜ん、としたまま桜新町の会場を後にして、
やたらと綺麗になった二子玉川のバスターミナルへ。
桜の咲く多摩川土手や等々力不動の前を通りながら、
リムジンバスで成田空港まで行き、最後のラーメンを食べ、
相変わらず、ぽやんとしながら、
飛行機の中では爆睡して帰ってきたのでした。
チャンスがあったらまた、参加したい。

カウンセリングで会話しているときのプロセスと
ものすごく共通するところがあるのだ。



「質問する」ということ

2019-03-01 07:57:05 | 考えたこと
ときどき、一体、その質問は何のため?
と感じることがある。

本当に聞きたい、という質問はわかる。
それに対して答えることができるし、
もし、答えたくないときには答えないこともできる。

遠回しな批判、という時もわかる。
「どうして○○しないの?」
みたいな質問。
「〇〇嫌いだから」みたいに答えてもいいし、
「え、〇〇しないとダメ?」みたいにも答えられる。

けれども、その質問は何のためだろう?
って感じる謎の質問がある。
社交のための質問、みたいなのかな。
質問した側は本当に聞きたいわけではないし、
質問の意図をあれこれ推測しながら
「何が聞きたいのかなぁ」と思いながら
答えてみる。
なのに、聞き手はすでに興味を失っているらしく、
その答えに対する反応は薄い…みたいな。
言葉のやり取り、会話としては続く。
ただ、質問された側はどこか虚しい。

質問をするということは、そのあとの展開に
自分が責任を負う覚悟がいる、と何かの本で読んだ。
カウンセラーとして仕事していると、
まさしくその通りだと思う。
「なぜ、その質問が自分に湧き上がったのか」
「その質問は自分のためか、自分と相手の関係や相手のためか」
「その質問は相手にとってどのように伝わる可能性があるか」
「その質問はどのようなやり取りに広がる可能性があるか」
質問するときはこれらを感じたり、考えたりしてから。
なので、日常でも「質問する」ということについて、
自動的にあれこれ考える癖がある。

家族に対しては、あまりこの癖は起動せず、
批判としての「なんで」を多発しているが。

キッズハートツーでのファシリテータートレーニングでは
リフレクション(その場での子どもの取っている行動、
自分が見たり聞いたりしたことをナレーション
するように、言葉にして伝える)を中心にした関わりを練習する。
トレーニングの中で、相手へのメッセージの中に
いかに自分の思いや希望や解釈が入り込むかに気づく。

質問は自分の理解や思いや希望や解釈とのズレの中で生まれる
大事なものだ。だから、ちゃんと質問がわいてくるのを待ち、
相手の答えにしっかと耳を傾けたい、というか傾けて欲しい、
傾けてくれるといいなぁと、一生懸命、答えているのに
相手の関心が次に移ってるってことに気づいた、
なんてときには思うのでした。





落ち込みスパイラル脱却

2019-02-23 07:42:36 | 考えたこと
子どもとどうでもいいようなことで
言い争いになり、心ない言葉を浴びせられた。
口には出さず
「ナンデそんな、酷いことが言えるんだ」
プンプンと、思っているうちに
「う〜ん、もしかして小さい頃、そんな風に
子どもに接してたからかも?」
なんて思い始める。

「どこかで育て方がまずかったのかも?」
「小さい頃、忙しすぎて、ゆっくり接してなかったから?」
と来し方20年ほどをあれこれ振り返り始め、
自分の欠点ややるべきだったのに
やらなかったことなど、あれこれ思い出し始めたら、
これはもう、落ち込みスパイラル入り口。

思考に全面ストップをかけるに限る。
それ以上、落ち込み沼に
引き込まれるのを断固、阻止する。
このスパイラル、癖みたいなものなので、
一旦、始まると落ち込み沼にどっぷり
浸かるまでのお決まりのコースをたどることが多い。
落ち込み沼は、浸かっちゃダメということはないけど、
あんまり心地いいものではない。

なので、落ち込み沼へのお決まりのコースに乗らないために、
落ち込みスパイラルの入り口に立ったら、
早めに気づくこと。

それでもって、(私の場合は)
お気に入りの漫画を読む、
買い物に出かける、
子ども向けの絵本や本を読む、
本を持って、お気に入りのカフェ
(私は「今日の事務所」と呼んでいる)
に出かける、
スコンやパンを焼く、
音楽を聴きながらネットサーフィンする、
友だちに声をかけてウォーキングに出かける、
などなどで、落ち込み沼への道から外れる。

いつものパタンを崩す何かを
持っているといいのではないか、
と思っています。

「命灯会」広めに行ってみた

2019-02-16 08:35:18 | 考えたこと
ハワイ州内には日本のお寺がいっぱいある。
かつて 勤めていたハワイ報知のアロハ年鑑
その連絡先が載ってるはずなのですが、
見つけられず、残念!
多分、50を越えていたと思う。

その中でよく遊びに行かせてもらっているのが
パロロ本願寺
そのつながりで東本願寺別院という
東本願寺系のお寺のハワイ州内の元締めのような
お寺の方々ともつながりがある。

もう一つは曹洞宗のお寺。
こちらも別院と呼ばれてて、ハワイ州内にある
9つの曹洞宗のお寺の元締めのような立場のお寺。

さらに、ハワイに来て初めてのころ、
よくお邪魔していたのが、妙法寺で、
こちらは日蓮宗のお寺。
ご住職の山村先生はプロのオペラ歌手さんで、
それはそれはいい声。
お寺でアベマリアが聞けるようなお寺。
佐藤初女さんにお目にかかったのも、
山元加津子さんや、岩崎靖子さんに
インタビューさせてもらったのもここだった。

先日いらしていたともしびプロジェクト
杉浦さん、妙法寺の山村先生とつながり、
早速、3月10日、妙法寺で「命灯会」を
してもらえることになったという。

それでもって、また、つながりのできた
東本願寺別院にも行って、「命灯会」どうでしょう?
と話してみたりするのにくっついていった。

福島からの子どもたちの保養プロジェクトで
ご一緒したお坊さんたちと再会し、
ともしびプロジェクトや命灯会のことなど
あれこれお話しする中で、
「生きること」や「命」について
感じたり、考えたり、話したりする場として、
お寺こそ、ぴったりじゃないの、と。
ハワイの仏教連盟は毎年、花祭りとお彼岸に
合同で大きなイベントをしている。
宗派を越えてのつながりも深い。
もしかしたら
「命灯会」ハワイで広がるかもしれない。







コミュニケーションとお金の話

2019-02-10 07:33:36 | 考えたこと
昨日、命灯会をパロロ本願寺で行った。
青いろうそくを2本灯し、1本は亡くなった命のため、
1本は今、生きている命のため。
毎月、月命日にあたる11日にろうそくを灯す。
東日本大震災のことを記憶に残すという
意味合いもあるという。

ろうそくに火を灯す前に命灯会の発起人であり、
ろうそくを作る工房を始めてしまった
杉浦恵一さんのお話があり、
その中でコミュニケーションとお金の話が出た。

このテーマは彼だけではなく、
ふらりとやってくる若者たちからも聞き、
まさに、まさに! と思っていた。
私の生まれ育ったウチは
お金で解決するタイプの家だった。

この言い回しも学生の時に言われた言葉で、
「友だちに送ってもらうとかだったら、タクシーを使う」
みたいな話になったときに、
「お金で解決するタイプね」と言われ、
なんだかグサッときたのだった。
確かにタクシーをお願いすれば、電話1本だ。
もしも、友だちのだれかにお願いするとなったら、
その時間に空いている人を探し、
相手への負荷をあれこれ考え、
お礼についてを考えつつ、
なんと言ってお願いしようかと考える必要がある。
たくさんのコミュニケーションと内省が必要になる。

これらのプロセスを飛ばせるのがお金で、
「ご迷惑では?」とか、
「いいよ、とは言ってるけど本当は嫌なんじゃないかな?」
という疑念を吹っ飛ばせる。

そうそう、あの時「わざわざ、送ってもらうなんてご迷惑」って話で、
「車の運転が大好きで、送るの楽しいっていう人もいるんだよ」ってな
話にもなったんだった。
聞いてみないとわからないものだ。
コミュニケーションしてみると、
違う世界が開ける。

「落ち込み」にチューンする

2019-02-06 06:35:19 | 考えたこと
「落ち込み」を無理に引き上げようとすると、
おかしなことになる。
ある研修でロールプレイをしてて、例えば、
「友だちがいつも待ち合わせに遅れてくる」
と話したときに
「その子は時間にルーズな子なのよ」
みたいに言われても、気持ちは晴れない。
「わかってあげなさいよ」的な説得を感じる。
分かりたくないから愚痴ってるのだ。

「その子と約束するときは15分早めに伝えておけば?」
みたいなアドバイスも、そうできればやってるよ、
みたいな感じの反発を感じる。

「お茶でも飲んで、気分を直して」とか
「それぐらいのことで引きずられるのはもったいない」とか
言われると、
「でも、こんなに傷ついているんだよ」という
落ち込みをもっと強調したくなる。
相手が落ち込みを引き上げようとすると
自分はますます、どんなに落ち込んでいるかを伝えたくなり、
初めの落ち込みより、
より落ち込み側に引っ張りたくなり、
落ち込み感は大きくなる。

いつも必ずこうなるという訳ではないけど、
アドバイスしても、励ましても
「でも…」となってるとき、
これが起こっていることが多い。

そして「そうなんだよ!」と思えたのが
そのとき感じているだろう、
ネガティブな感情に言及されたとき。
(だれでもがそうという訳ではないのだろうけれど)

「毎回、遅刻されるとイヤだよね」みたいな。
ネガティブな感情を引き合いに出すのがためらわれるけど、
聞いてる側が落ち込み沼にハマらない胆力というか、
覚悟、あるいは慣れを持っていれば大丈夫。

愚痴や落ち込みにつきあえるかどうかと、
ネガティブケイパビリティ的なものとは関係が深い。
今年のテーマは分断とネガティブケイパビリティ。

ギフトエコノミーのこと

2019-01-23 15:27:07 | 考えたこと
遠藤平蔵という名前のドテラを着た猫が
人知れぬ涙の匂いを察知する「夜廻り猫」。
心に刺さったトゲや
ハタから見れば小さいと言われそうな悩みごとや
ふとした時にやってくるさびしさ。
問題は抱えたままであっても、
エンドーと一緒にほっこりできる。

モアイというサイトで連載していて、
無料で読み放題。
でも、単行本も欲しくなる。
年末から特別編「喫茶夜廻猫」を連載していて、
「寺カフェ」を始めた私としては、ワクワク。
こんな感じにしたいなぁ、と。

基本「寺カフェ」は無料。
白湯とお砂糖だけじゃなくて、
御住職のノリさん特製の日本茶や
コーヒー、客さんたちが
持って来てくださったオヤツや、
前回はお昼ご飯までもが出てくる。
お代はドネーション。
これで、どれくらい回っていくか
不明だけれど、まあ、やってみます。

ギフトエコノミー的な
ことに関心がある。
ペイフォワード的なことにも。
子ども食堂的なものも。
おてらおやつクラブもとっても素敵だ。
「寺カフェ」にも他のお寺に集まった
日本からのお土産お菓子をドネーションしていただいた。

これらのことは、アーバンパーマカルチャーとも繋がり、
最近、時々出会う若者たちの中に、そんな生き方を探しているひとがいて、
心強く思ったり、興味深く思ったり。
ハワイにも居たことがあると書いてあるこの方
や「0円生活」のこの方
お話を聞いてみたいなぁと思ったり。

お寺にはいっぱい可能性があるなぁと思うのです。

セルフエスティームについて

2019-01-20 08:31:10 | 考えたこと
ホノルルで、ほぼ初デビューとなった
今回のワークショップのタイトル。
「セルフエスティームの見つけ方」とした。
「見つけ方」としたのは、それぞれ、みんな
どこかにすでに持っているものだと思うからだ。

野口整体でも、禅でも、カウンセリングでも
他者を「治す」という言い方はしない。
その人の中にはすでに力があって、
その力が働きやすくなるような
サポートをする、というスタンス。

失敗などでセルフエスティームは一時的に低くなったり、
傷ついたりすることはあるけれど、
これまでにそこから戻ってくる体験をどこかで
しているのではないかと思う。
そこから、どうやって戻ってきたかのところに
注目し、自分なりの方法を大事にすること。

「自分はダメだ」と言って、さらに
「自分をダメって思う自分がダメだ」のように
悪循環にハマってしまう癖から
どうしたら抜け出せるか、ということでもある。

ここでも、「落ち込みから戻ってくる方法」のワーク、
楽しみました。



YOU と I とを区別しない言語

2019-01-09 08:28:14 | 考えたこと
「カンタ! ティモール」の上映会を
ハワイ東海インターナショナルでしたとき、
ロビン先生が
「テトゥン語にThank you という言葉はありますか?」
と質問した。

ロビン先生はKCC(カピオラニコミュニティカレッジ)で長く
哲学の先生をなさっていた方で確か老荘思想がご専門。
なぜ、ティモールの言葉、テトゥン語をご存知だったのか
まだ、お聞きしていないが、
奈津子さんの答えを聞いてびっくり!

「ありません。ティモール ではあなたと私を区別しないのです」

質問は続く
「ありがとう、という時、どんな風に言うのですか?」
答え
「例えば、綺麗な花が咲きましたね、のように言います」

すごい世界だ。
「感謝する」を超えている言葉。
交換ではないやりとり。
私はあなたであり、あなたは私である。
日本語の本来の「ありがとう」の意味にも通じる。

頭の中を愛着の理論や自我の問題や、依存のテーマや
何やらかんやらが砂嵐のように吹きすさび、
トランスパーソナル的な世界を地でいくような
そんなマインドセットについて、
とっても衝撃を受けた。

 国境にフェンスを張り巡らそうとしている国にて

怒りは期待に気づくきっかけ

2018-11-26 08:59:11 | 考えたこと
怒ること、ゆるすこと
というイベントに、藤沢での講演会の後に行ってきました。
お寺が真っ暗で入り口がわからず、うろうろしたのですが、無事、到着。
怒りとゆるしは興味深いテーマ。

怒りはアラームだと感じています。
お話の中で出てきていた
人混みの中でぶつかられたときに
「ちっ!」と感じる。

このときの怒りは自分が世界に
何を期待しているかに気づくきっかけになります。
こんなに混んだところを歩きたくないなぁとか、
(街はゆったりしていてほしい)
混んでいたとしても、ぶつから無いで欲しいなぁとか、
(ぶつからないように歩いてほしい)
ぶつかったらあやまって謝ってほしいなぁとか。
(人は人にジェントルであってほしい)
みたいに、いろんな希望や期待がある。

そして、怒りをきっかけにして、
それらの期待について再検討できるのだと思うのです。
いちいち、「ちっ」って思わなくなりたいなぁ
と方策を考えることもできるし、
まあ「ちっ」ぐらい感じちゃうのは仕方ないよねぇ、
嫌だったよねぇ、とヨシヨシすることもできる。

うつ的な状態と怒りも大きな関係があります。
カウンセリングでお話を聞いているときに
「あれ、そこってムッとするところじゃないかな?」
と感じるところで、自分を責めていることがよくあります。
「相手に腹をたてる自分が未熟である、自分が悪い」のように。
たとえば、虐待を受けているというようなとき、
大好きな相手を嫌いにならないためには、相手を悪者にはできない。
とすると、いけないのは自分だとするしかなくなってしまう。
いじめを受けているときにも同じようなことが起こる。
こんなことぐらいで、傷つく自分が弱くてダメなんだ、みたいに。

怒りの裏側には悲しみと傷つきがあると言われています。
だから、相手に自分の怒りを伝えるときには、
むしろ、悲しみや傷つきといった感情を伝えてみてはどうか、
のようにアサーション・トレーニングなどではお話します。

「ゆるし」についてはほとんど話題にならなかったけれど、
もし、怒りとゆるしをセットで語るとしたら、
怒る自分をゆるす、みたいなことなのかなぁって思いながら
帰り道、アルデンテのパスタが食べたくて、
10時過ぎても開いていた地元のイタリアンのお店で
ナスとシソのパスタとグラスワインを飲んで
家に戻りました。




内田樹氏のブログ「外国語学習について」読みました

2018-11-25 01:21:37 | 考えたこと
内田樹という思想家がいる。
もう、ずいぶん前からファンなのだが、
先日、ブログを読んでいて見つけた
外国語学習についての文章に、
そうそう、そうなのよ!
と思ったのでここにリンクを貼っておく。

ひとつは学ぶことが内発的な動機ではなく、
「もし、それができなかったらすごく損するから」とか
「それができなかったら、ランク的に低くなるから」みたいな
教え方がとても気がかりだから。
娘を塾に入れたときに、塾の先生方の発するメッセージが
これに近く、暗澹たる気分になったことを思い出した。
「学ぶ」という態度としては、あさましいように思う。
子どもたちを「学ばせるため」に、
こういう言い方をしたくなるのがわかるので、
自分の中にも同じものがあるのだろうが、
それが堂々と、正しい動機のように語られていて、
なんだか、むっとしたことを思い出したのだ。

結局、塾はやめたのだけど。
ずっとあの価値基準のなかで育ったら、息苦しかろう。
これができないやつはダメなやつ、
ダメなやつにならないためにと頑張るのは
なんだか、ネットの中で匿名批判コメントを
発信する心根と共通の何かを感じる。

ただ、最近、この窒息しそうな雰囲気だけでなく、
面白い動き方をしている若者がいることにも気づいている。
ブログやtwitter、Facebookなどを駆使して、
「自分はこんなふうに生きてるけど、きみはどう?」と
発信しながら、内発的なものや身体的なものに
センサーを働かせて動いている。
海外と日本とを軽々と行き来する。
お金のあるなし、学歴、職歴を飛び越える。
そういった日本の若者たちにホノルルや日本で
何人か出会っている。

先日、出会った筑波大学の
ねっしー
みなさんも、内発的動機にあふれていて、
なんだか、見ていて嬉しかった。


もう一つ、書いておきたかったことは、
英語を使う暮らしのなかで、
英語母語の人々からの言葉が、ときに
植民地支配的語りかけに聞こえるのだということ。
自分がハワイで暮らすことで疲弊することの理由が
見えた気がして、書き留めておきたかったから。

I can't understand what you want to say.
と言われたり、
I can't understand.
とメールが返ってくることがある。
文脈からわかるだろう、と言いたくなるのだが、
いや、私の英語が決定的にわけわからないのかもしれない、
これまで書いたり、話したりしたことが、もしかしたら全くイミフで
伝わってなかったのかもしれないと思うほど、破壊力がある。
初めから、説明する元気が萎えるのだ。
「わからないあなたの方がイマジネーション不足!」
ぐらいのパワーが必要とされる。
人の話を聞いたり、わかろうとするよりも、
自分が必要とすることを主張をすることのほうが、
この地ではどうしたって、優勢となる。
気を取り直して、英語を学ぶことにするか。