ブログがとっても久しぶりになってしまいました。
ツイッタ-で日々、吐き出してるので、
長い文章が出てこなくなっているようです。
ハワイのせいもあるかもしれません。
考えごととか、ふと思ったことが
カラッと乾いた貿易風といっしょに、
ギンギラ太陽の光のもと、即刻、
蒸発してどこかへ飛んでいってしまう感じです。
どういうわけか10月に東京から戻って来てから
「こっちで暮すんだよな」的な覚悟ができたらしい。
「え~、今更、英語ですか?」とか
「車で走るのヤダなぁ~」とかいう感じが薄れて、
「ああ、英語で言わないとね、わかってもらえないしね」
「車で行くと日々、スムーズに進むのね」と。
未だに「ああ、荻窪で面白そうなイベントが」とか
「ランディさんの本が出てるのに、すぐに手に入らない」とか
「東北に出張したいんだけど…」とやりたいこと、
欲しいものが手に入らない隔靴掻痒感はありつつも、
ホノルル近辺での日常を楽しみ始めている感じです。
ホノルルでの私(と息子)の日常を支えているものの一つに
白木屋のブックオフがあります。
4月ごろは毎日のように通い詰めていたのですが、
最近は週に1、2回。
息子の立ち読みにつきあいつつ、行くとたいてい、
自分用にも1、2冊、欲しくなります。
昨日、手に入れたのは
若松英輔著「魂にふれる 大震災と、生きている意味」(トランスビュー刊)
グリーフやトラウマケアの本を何冊か読みながら、
キッズハートツーハワイを現場として体験しながら、
何かが自分のなかに足りない気がしていて、
表面をひっかきながら、ホンモノにつながっていない感じがしていたのです。
この本には、よくわからないところがいっぱいありつつも、
もしかして、ホンモノにつながる糸口がみつかるのでは?感を感じます。
たくさんの池田晶子氏の言葉も出て来ます。
死者についての「生存ではない存在形式において存在する者」といった言葉や
「死者の思い為しを生者は生きている 死者に思われて生者は生きている」とか。
彼女のこの言葉のある本は私も読んでいたのに、すっかり忘れてました。
昨年、震災とは別に2人の友人を亡くして感じたのですが、
もう、まさしくそのとおり。不思議な影響力を持って
亡くなった友人たちが存在しているのです。
去年のハロウィーンの夜中近く、娘がコンドミニアムのエレベーターに
20分近く閉じ込められてしまうという出来事がありました。
友人の一人は10月に亡くなったのですが、そのことを知ったのは今年になってから。
いっしょに、いろんな友だちたちにバカないたずらをしては、
面白がっていた相棒だったのですが、忙しさに紛れて音信不通になってました。
10月に亡くなったと聞いて、すぐに思ったことは、
この閉じ込め事件、あいつがやったんじゃないの? ということ。
こういう関連づけ方はあんまり好きではないけれど、
そう思いたいのかもしれないですね。
そして、きっと毎年、毎年ハロウィーンが来るたびに、
エレベーター閉じ込め事件といっしょに、あの子のことを
思い出すんだろうなぁと。オレンジや黄色ののカボチャを見ながら
「やってくれるねぇ」と思うのです。
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ハワイのせいもあるかもしれません。
考えごととか、ふと思ったことが
カラッと乾いた貿易風といっしょに、
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ギンギラ太陽の光のもと、即刻、
蒸発してどこかへ飛んでいってしまう感じです。
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「え~、今更、英語ですか?」とか
「車で走るのヤダなぁ~」とかいう感じが薄れて、
「ああ、英語で言わないとね、わかってもらえないしね」
「車で行くと日々、スムーズに進むのね」と。
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未だに「ああ、荻窪で面白そうなイベントが」とか
「ランディさんの本が出てるのに、すぐに手に入らない」とか
「東北に出張したいんだけど…」とやりたいこと、
欲しいものが手に入らない隔靴掻痒感はありつつも、
ホノルル近辺での日常を楽しみ始めている感じです。
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ホノルルでの私(と息子)の日常を支えているものの一つに
白木屋のブックオフがあります。
4月ごろは毎日のように通い詰めていたのですが、
最近は週に1、2回。
息子の立ち読みにつきあいつつ、行くとたいてい、
自分用にも1、2冊、欲しくなります。
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昨日、手に入れたのは
若松英輔著「魂にふれる 大震災と、生きている意味」(トランスビュー刊)
グリーフやトラウマケアの本を何冊か読みながら、
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キッズハートツーハワイを現場として体験しながら、
何かが自分のなかに足りない気がしていて、
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表面をひっかきながら、ホンモノにつながっていない感じがしていたのです。
この本には、よくわからないところがいっぱいありつつも、
もしかして、ホンモノにつながる糸口がみつかるのでは?感を感じます。
たくさんの池田晶子氏の言葉も出て来ます。
死者についての「生存ではない存在形式において存在する者」といった言葉や
「死者の思い為しを生者は生きている 死者に思われて生者は生きている」とか。
彼女のこの言葉のある本は私も読んでいたのに、すっかり忘れてました。
昨年、震災とは別に2人の友人を亡くして感じたのですが、
もう、まさしくそのとおり。不思議な影響力を持って
亡くなった友人たちが存在しているのです。
去年のハロウィーンの夜中近く、娘がコンドミニアムのエレベーターに
20分近く閉じ込められてしまうという出来事がありました。
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友人の一人は10月に亡くなったのですが、そのことを知ったのは今年になってから。
いっしょに、いろんな友だちたちにバカないたずらをしては、
面白がっていた相棒だったのですが、忙しさに紛れて音信不通になってました。
10月に亡くなったと聞いて、すぐに思ったことは、
この閉じ込め事件、あいつがやったんじゃないの? ということ。
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こういう関連づけ方はあんまり好きではないけれど、
そう思いたいのかもしれないですね。
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そして、きっと毎年、毎年ハロウィーンが来るたびに、
エレベーター閉じ込め事件といっしょに、あの子のことを
思い出すんだろうなぁと。オレンジや黄色ののカボチャを見ながら
「やってくれるねぇ」と思うのです。
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