プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

ハワイの日常に

2018-11-29 22:52:56 | Life in Hawaii
ホノルルと成田はとなりな感じになってきました。
成田から戻るときは、飛行時間が6時間ぐらいなので、
とにかく乗り込んだらすぐに寝る。夕食は乗る前に済ませて、
周りがどうなっていようと、とにかく寝る。
ここで眠れるかどうかで到着後の活動力が変わります。

そういうわけで、マスクとアイマスクをして怪しい人になりながら、
がっつり眠り、友人に空港に迎えに来てもらって帰宅。
お昼を食べに出て、帰宅後ちょっと仮眠して、
がんばって夜ご飯は作り、次の日にはカポレイまで出勤
(といっても午後からですが)。
夕方にはカリフォルニアやハワイ島からの友人たちを迎えて
ポットラックでお集まり、
なんてこともできるようになりました。

以前は帰ってきて数日は時差ぼけが〜〜、とか言ってたのですが、
どこから、どこまででぼけてるのかすでにわからないので、
朝、眠くて起きられない、というようなことは
今のところ、大丈夫そうです。

Tokai college は来週が今学期の最終週。
学生さんたちが、最も忙しい週になります。
週末には卒業式もあります。絶賛、応援中。
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若松英輔著「常世の花 石牟礼道子」 読んでます

2018-11-27 07:26:05 | Life in Hawaii
「悲しみの傍らに居ること」
(まだ、お題目だけで内容が伴ってないけど)
をミッションとして見つけたら、

以前、買ったものの、
他人ごとっぽくしか読めなくて、
しっくりこずに積ん読になっていた
若松英輔著「常世の花 石牟礼道子」が
すらすら、ごんごん入ってくる。

そしたら、今度はずんずん読んでしまうのが
もったいなくて、
ちびちび、じんわり読んでいる。
残りはまた、日本に戻ってきたときに
読もうかな。
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怒りは期待に気づくきっかけ

2018-11-26 08:59:11 | 考えたこと
怒ること、ゆるすこと
というイベントに、藤沢での講演会の後に行ってきました。
お寺が真っ暗で入り口がわからず、うろうろしたのですが、無事、到着。
怒りとゆるしは興味深いテーマ。

怒りはアラームだと感じています。
お話の中で出てきていた
人混みの中でぶつかられたときに
「ちっ!」と感じる。

このときの怒りは自分が世界に
何を期待しているかに気づくきっかけになります。
こんなに混んだところを歩きたくないなぁとか、
(街はゆったりしていてほしい)
混んでいたとしても、ぶつから無いで欲しいなぁとか、
(ぶつからないように歩いてほしい)
ぶつかったらあやまって謝ってほしいなぁとか。
(人は人にジェントルであってほしい)
みたいに、いろんな希望や期待がある。

そして、怒りをきっかけにして、
それらの期待について再検討できるのだと思うのです。
いちいち、「ちっ」って思わなくなりたいなぁ
と方策を考えることもできるし、
まあ「ちっ」ぐらい感じちゃうのは仕方ないよねぇ、
嫌だったよねぇ、とヨシヨシすることもできる。

うつ的な状態と怒りも大きな関係があります。
カウンセリングでお話を聞いているときに
「あれ、そこってムッとするところじゃないかな?」
と感じるところで、自分を責めていることがよくあります。
「相手に腹をたてる自分が未熟である、自分が悪い」のように。
たとえば、虐待を受けているというようなとき、
大好きな相手を嫌いにならないためには、相手を悪者にはできない。
とすると、いけないのは自分だとするしかなくなってしまう。
いじめを受けているときにも同じようなことが起こる。
こんなことぐらいで、傷つく自分が弱くてダメなんだ、みたいに。

怒りの裏側には悲しみと傷つきがあると言われています。
だから、相手に自分の怒りを伝えるときには、
むしろ、悲しみや傷つきといった感情を伝えてみてはどうか、
のようにアサーション・トレーニングなどではお話します。

「ゆるし」についてはほとんど話題にならなかったけれど、
もし、怒りとゆるしをセットで語るとしたら、
怒る自分をゆるす、みたいなことなのかなぁって思いながら
帰り道、アルデンテのパスタが食べたくて、
10時過ぎても開いていた地元のイタリアンのお店で
ナスとシソのパスタとグラスワインを飲んで
家に戻りました。



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内田樹氏のブログ「外国語学習について」読みました

2018-11-25 01:21:37 | 考えたこと
内田樹という思想家がいる。
もう、ずいぶん前からファンなのだが、
先日、ブログを読んでいて見つけた
外国語学習についての文章に、
そうそう、そうなのよ!
と思ったのでここにリンクを貼っておく。

ひとつは学ぶことが内発的な動機ではなく、
「もし、それができなかったらすごく損するから」とか
「それができなかったら、ランク的に低くなるから」みたいな
教え方がとても気がかりだから。
娘を塾に入れたときに、塾の先生方の発するメッセージが
これに近く、暗澹たる気分になったことを思い出した。
「学ぶ」という態度としては、あさましいように思う。
子どもたちを「学ばせるため」に、
こういう言い方をしたくなるのがわかるので、
自分の中にも同じものがあるのだろうが、
それが堂々と、正しい動機のように語られていて、
なんだか、むっとしたことを思い出したのだ。

結局、塾はやめたのだけど。
ずっとあの価値基準のなかで育ったら、息苦しかろう。
これができないやつはダメなやつ、
ダメなやつにならないためにと頑張るのは
なんだか、ネットの中で匿名批判コメントを
発信する心根と共通の何かを感じる。

ただ、最近、この窒息しそうな雰囲気だけでなく、
面白い動き方をしている若者がいることにも気づいている。
ブログやtwitter、Facebookなどを駆使して、
「自分はこんなふうに生きてるけど、きみはどう?」と
発信しながら、内発的なものや身体的なものに
センサーを働かせて動いている。
海外と日本とを軽々と行き来する。
お金のあるなし、学歴、職歴を飛び越える。
そういった日本の若者たちにホノルルや日本で
何人か出会っている。

先日、出会った筑波大学の
ねっしー
みなさんも、内発的動機にあふれていて、
なんだか、見ていて嬉しかった。


もう一つ、書いておきたかったことは、
英語を使う暮らしのなかで、
英語母語の人々からの言葉が、ときに
植民地支配的語りかけに聞こえるのだということ。
自分がハワイで暮らすことで疲弊することの理由が
見えた気がして、書き留めておきたかったから。

I can't understand what you want to say.
と言われたり、
I can't understand.
とメールが返ってくることがある。
文脈からわかるだろう、と言いたくなるのだが、
いや、私の英語が決定的にわけわからないのかもしれない、
これまで書いたり、話したりしたことが、もしかしたら全くイミフで
伝わってなかったのかもしれないと思うほど、破壊力がある。
初めから、説明する元気が萎えるのだ。
「わからないあなたの方がイマジネーション不足!」
ぐらいのパワーが必要とされる。
人の話を聞いたり、わかろうとするよりも、
自分が必要とすることを主張をすることのほうが、
この地ではどうしたって、優勢となる。
気を取り直して、英語を学ぶことにするか。
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東畑開人著「野の医者は笑う 心の治療とは何か?」読みました

2018-11-24 15:38:55 | 読んだ本
私のカウンセラー人生は実践から始まった。
たまたま連れて行かれた保健管理センターの
カウンセラーにリクルートされ、
不登校の子どもたちの訪問相談に携わった。
自分にも不登校傾向があったせいか、
思春期的な心理的距離が好みだったせいか、
実験室で試験管を振っているよりも、
ずっと、ずっと心惹かれ、あっさり鞍替えした。

師匠は公衆衛生学の出身だったので、
臨床心理学とは一筋か二筋違う流れの中にいた。
出来立ての保健管理センターで、
学生の心の健康促進なるものは、
どうしたらできるのかとあれこれ試している時期で、
エンカウンターグループを企画したり、
サイコドラマのグループに参加したり、
「自己理解・他者理解」のワークショップに励んだ。
そして、視点としては
「地域社会全体の中での心理的健康」
とでも言ったものだった。

その後、出会った夫は
たまたま臨床心理バリバリの
living dictionaryな人なので、
疑問と時のトピック、理論部分の補強は
もっぱら夫から仕入れさせてもらうという
幸運なカウンセラー人生を送っている。
「無いと仕事ができなくなったら取ろう」と思っていた資格も、
資格ができる前に仕事が始まり、臨床心理士は取らないまま。

それで、仕事に差支えることもなく、
大学での学生相談室の立ち上げにかかわったり、
メンタルヘルスカウンセラーとして仕事をしたりしてきた。
今のところ、文句も言われず、現在に至っている。

ただ、ハワイでの実践については、
あくまでも「カレッジ・ライフ・カウンセラー」であり、
サイコロジストでも、心理セラピストでも、カウンセラーでもない。
アカデミックな世界からはすでに7年離れており、
心苦しいばかりだ。
かなり野生化している。

ハワイは著者がフィールドワークした、
沖縄での状況とかなり似ているように思う。
マッサージセラピストさんたちの心理的サポート力が半端ない。
ほかにもスピリチュアルを前面に押し出しているセッションはいろいろあるし、
ヨガや瞑想、エネルギーワークなどが周り中に溢れている。
NLPやコーチング、潜在意識にアプローチするものなどにも、
日米両語で簡単にアクセスできる。

ただ、日本語でカウンセリングのできる
資格を持っているカウンセラーはハワイにほとんどいない。
日本語母語でハワイでカウンセラーの資格を取り、
開業することはかなりハードルが高いのだ。

そういうこともあるのか、
日本語での相談は「野の医者」ということになる。
日本から「野の医者」を訪れる人も多い。

この本は「野の医者」という視点で現在の私の
立ち位置をわかりやすくしてくれたように思う。
さて、私はどこへ行こうか。
果たしてそれは「野」なのだろうか、
あるいは「野」じゃないとしたらどこなのか。
不惑はとうに越しているというのに、
還暦で初めに戻るということなのかな。
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Canta! Timor グリーフと分断へのヒント(3)

2018-11-23 19:30:58 | 考えたこと
毎年、5月の最終月曜日にあるメモリアルディに
ハワイではランタンフェスティバルがある。
2011年、長蛇の列に並んで手にしたランタンに書いたのは、
当時、まだカウアイ島のお寺の住職だった
藤森さんから届いたメールに添付されていた、
「東日本大震災の犠牲者を想う法要」の式次第に
書いてあった以下の詩だった。

大地よ
重かったか
痛かったか

あなたについて
もっと深く気づいて
敬って
その重さや痛みを
知る術をもつべきであった

多くの民が
あなたの
重さと痛みと共に波に消えて
そして大地へ帰っていった

その痛みに
いま私たち残された多くの民が
しっかりと気づき
畏敬の念を持って手をあわす

 アイヌ詩人 宇梶静江


震災後、あれだけのことが起こったのだから、
きっとたくさんのヘルプが東北に集まり、
被災した人たちにとっても
福島の問題についても、
世界の英知が結集して、
何か手厚いサポートがあるのではないかと
期待した。

けれども、時々、訪れて感じる日本の雰囲気は
よりトゲトゲしい、何かピリピリした
緊張の続くものだった。
3年が過ぎた頃からは東北へのサポートが、
なんだかゆっくりした、
重いものになった印象があった。
福島や原発について話すことがためらわれるような
そんな感じがした。

「多くの人が遠い」
Canta! Timorでの大きな問い「この戦争のからくりから私たちは独立することができるのか」
「問いがあればウマルリックの守り女に尋ねに行くといい」というアドバイスに従って
応えを聞きに行ったときのルリックの言葉だ。
「近い者が数少なくなっている」
「大地・水・目に見えぬものへの敬意を忘れたとき、
人類は絆を失うんだよ」とも。

福島から子どもたちを招くイベントに携わったときに
目にした「分断」という言葉が頭をよぎる
この「分断」ということが、
震災数年後からずっと、気がかりだった。
悲しみは悲しみとして続いている、と考える人たちもいれば、
亡くなった人のことや悲しさはさっさと忘れて、
次に進むべきだと考える人たちもいた。
そんなふうなことも、分断をすすめ、
「わかってもらえない感じ」や
「みんなと違う感じ」が拡がっていた。

みんなで手をつないで踊るtebe。
脱穀するときの様子を歌った踊りと歌だそうだが、
このtebeをインドネシア軍は嫌ったという。
シャナナが説明するときの手の取り方もすごい。
がしっと、つながるつなぎ方。

ハワイのイベントの最後はアロハオエで終わることが多い。
そのとき、会場にいる人全体が手をつなぐ。
もらう手と送る手があると聞いた。

Kids Hurt Too Hawaiiでは、みんなで集まって遊んだ後、
子どもたちと終わりの会をする。
みんなで手をつないでハンドスクイーズで終わる。
ぎゅっ、ぎゅうっと隣の人の手を握っていく。
子どもたちは
「Loveを送っているんだよ」
と説明してくれることもある。

ハワイ東海インターナショナルカレッジでの上映会&監督のトーク後、
音楽監督をなさった小向サダムさんが、ギターを抱えて歌ってくれた。
その中の一つがTebe。
みんなで手をつないで、稲穂を踏む踊りを踊った。
オーディトリアムいっぱいに拡がって。

手をつないで踊ることに相当する何か。
それが見つかれば「分断」が消えていく?
そんなことがふと、頭をよぎる。

つながろうとして対話するか、
ことさら違いや間違いに注目して、
勝ち負けのあるディベートをするか。

「分断」と「グリーフ(悲しみ)」は
しばらく私にとってのテーマになり続けるだろう。



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「Canta! Timor」 グリーフと分断へのヒント(2)

2018-11-22 19:48:52 | Life in Hawaii
「Canta! Timor」

たくさんの音楽が詰まっっている「Canta! Timor」
子どもの笑顔が弾けるようにあふれるドキュメンタリーだが、
内容はとても重層的で重奏的。

監督の広田奈津子さんは言う。
「子どもの頃、家の周りには木がいっぱい生えていて、
いつもその林の中で遊んでいた。ある日、宅地造成の波が
押し寄せて、一夜にして木が一本もなくなった。そのとき、
私がもし、コダヌキだったら今日、死んでいたな、と思った」
そして、お母さんに尋ねる。なぜ、こんなことができるのか?
その土地を持っている人が土地を売り、
業者がそこを宅地造成することにすれば、できるのだと聞いても、
どうしても納得できなかったと。

分断は地面を人間が分けて、ここからこっちは
自分のものと線を引いたところから始まった?
私とあなたは別のもの、自我を確立しなくっちゃというところから?

ホノルル妙法寺でのピースコンサートで、詩の朗読があった。
なっちゃんの応援団だという女優の斉藤とも子さんによるもの。
その詩はシアトルの町の名前の由来となった
シアトル酋長の言葉だった。
200万エーカーの土地を15万ドルで買いたいという
アメリカ連邦政府からの申し出に対してのものだそうだ。


ハワイの地にも所有という概念はなく、
Ainaと呼ばれる大地は人間のものではない。

「分断」が気になりだしたのは、今年の3月。
福島の子どもたちの保養プログラムをサポートしたときからだった。
震災被害への保証で、一本の道路を挟んでこちらとあちらで額が変わる。
さまざまな被害が、一本の線でサポートされたりされなかったり。
同じ地域に住みながら、あっちとこっちが分断される。
悲しみを抱えながら、子どもたちも分断される。
仲間だと思っていた関係がバラバラになる。
大変な思いを抱えている人(ところ)を
ひとりにしてはいけないはずなのに。

学生になった広田さんはある日、
ネイティブアメリカンの絵本に出会う。
それが、先ほどのシアトル酋長の話だったという。
いてもたってもいられず、カナダの先住民に会いに行く。
そこで出会った先住民は「土地を人間のものとは考えない民族が
太平洋の周りにはたくさんいるから、会いに行ってごらん」と
言ってくれたという。
そして、東チモールの人々も土地は人間のものとは考えない。
けれども、インドネシアやその背後の国々は、
東チモールの地を手に入れようとやっきになる。
近くに油田が見つかったからだという。

戦禍に見舞われ、虐殺や拷問を受けながら、
東チモールの人々は言う。
「悲しい、でも怒りはないよ」

「ハワイになんでやってきたんだろう、私」という問いが
ずっとあった。日本でやれることや、やりたいことがまだまだ、
あったなぁと。出てくるときにはそれほどとは思わなかったが、
日を追うにつれて、失ったものの大きさに、思いの外、打ちひしがれていた。

けれども、このドキュメンタリーのメッセージで、
いろんなことが統合された。

戦争、原爆、水俣、地震や津波、原発。
どれもがあまりにも大きなテーマで、
いったい、どこに取り付いていいやら、
まったく無力な感じを抱き続けてきた。
でも、もしかしたら、できることがあるかも、と。

それぞれの「悲しみ」と捉えたらどうだろう。
それなら、ぐっと身近になる。
悲しみの傍らに居るということならできるじゃないか。
ネガティブ・ケイパビリティをどう持つかが
これからの私のテーマだ。

グリーフを抱えながら、はじけるような笑顔で暮らせるよう、
ひとりぼっちの子どもをつくらないよう、
地に足をつけて日々を暮らしながら、
できることをできるところからやっていけばいいのかもしれない。

飽和溶液から結晶が析出するように、
ハワイでの日々のいろんなことが、
結晶になって腑に落ちてきたのだった。
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理不尽さへの耐性

2018-11-22 10:50:15 | 考えたこと
今からは想像つかないだろうが、
小さい頃、喘息で病弱な子だったので、
絵本をいっぱい読んで過ごした。
父親は悲惨な話が出て来る本が混じらないようにと、
本屋さんで立ち読みして検閲し、
父親から見て悲惨すぎないと判断されたもののみ、
選び出されたと、母親から聞いたことがある。

それでも昔から童話としてある話は手元に届き、
人魚姫や幸福の王子、フランダースの犬、
赤い靴、銀河鉄道の夜など、どこか理不尽で、
結末を変えたくなるようなストーリーに出会って来た。
毎日、寝る前に読んでもらっていたのは
「銀河鉄道の夜」で、
理不尽な終わり方の物語のほうが、
どういうわけか繰り返し読んでしまう本の一つだったりした。

この納得できない結末のストーリーを読みながら
身につけていたのは
「ネガティブ・ケイパビリティ」だったのではないかと思う。

ディズニーの人魚姫は泡になって消えはしない。
どこまでも前向きで好奇心旺盛、
愛するひとのために一時的に声は失うが、
最後はハッピーエンド。
悪者は成敗される。気分スッキリ。
こう来なくっちゃ! とみんなの望む展開。

これはこれでいいのかもしれないが、
世の無菌化と並行するように、
世の無不快化が進み、
而してネガティブ・ケイパビリティは低くなる。

悲しみの傍らに居られる力、
答えのすぐ出ない理不尽さを抱えながらも笑える力、
これを何とか身につけたいと思いながら過ごす、日本滞在です。
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「Canta! Timor」 グリーフと分断へのヒント(1)

2018-11-06 07:27:52 | Life in Hawaii
敬愛している田口ランディさんからメッセージが来た。
「ハワイにCanta! Timorのなっちゃん(広田奈津子さん)が行くからね」

どなたがお招きしたんだろう? って思っていたら、
Hirokoさんからメールが届いた。
Hirokoさんは佐藤初女さんの
ハワイでのイベントなどを主催していた、
Honolulu Foundationの創設者だ。
「ハワイ東海で上映ができないだろうか?」

他にも上映場所を探しているという。
歩く人脈HUBのようなリンダ先生にお問い合わせしたら、
ばばば〜んと関係ありそうな方達にメッセージを拡散してくださった。
そしたらKCCの先生から、「図書館が使えるかも」とメール。
HIrokoさんから拡がって、
いろんな人がいろんなふうにつながっていった。
ホノルル妙法寺でのピースコンサートや
パロロ本願寺でのお話会もすることになった。

そんなときに、奈津子さんから「Canta! Timor」のDVDが届いた。

実は「Canta! Timor」、2012年に「上映会をしようか?」という話が出ていた。
ただ、2011年の東北での地震・津波、福島原発の被害の衝撃、
たまたまその年に予定していたハワイ移住で、
「日本」や「日本語」を離れたこと、友人たちの死など、
私自身のグリーフがあまりにも大きくて、
(そのときはグリーフだと気づかなかったのだが)
このドキュメンタリーを見る元気がなかった。

7年たって、ハワイの地や、
明治時代に移住したハワイの日本人の歴史を知り、
また、Kids Hurt Too Hawaiiで悲しみ(グリーフ)について、
たくさんたくさん学んだ後で
このドキュメンタリーを見ることができて、
本当に良かった。ベストタイミングだった。
7年前の私は悲しみ(グリーフ)や
母なる大地と人との関係について、
今のようには感じ取れなかっただろう。

つづく



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