アラモアナブルバードを走って、
サラトガ通りに入り、
カラカウア通りを走りながら、
違和感が無くなってきたなぁと。
5年4ヶ月。
震災の年の3月に引っ越したので、
同じ年数がたっている。
多くの人から「震災のせいで?」と聞かれる。
たまたま、3月で娘の中2が終わるので、
それに合わせて引っ越すことに決めていた。
ちょっと迷ったけれど、予定を変更しなかった。
ワイキキを運転しながら「なんで、こんなところ
走ってるんだろう」と現実感がずっと無かった。
それが、5年を過ぎたあたりから「ふつー」になった。
震災がきっかけで移住した人にとっても、
もしかしたら、移住先が「自分のところ」な感じに
なってきている時期かもしれない。
昨日、お話をうかがった福島のラジオで長く
アナウンサーをなさっていた大和田新さんが言っていた。
日系二世と一世とのギャップがあると聞いたけれど、
震災後、福島から移住した人にも同じようなことが言えると。
親たちは「帰る」という感覚があるけれど、
子どもたちにとって、すでに今、居るところが
自分の「帰る」ところ、という感覚になってきていて、
親と子どもとで感覚にギャップがある、と。
子どもたちも、こっちがホームな感じになってるのかなぁ。
息子にとっては人生の約1/3、娘にとっては約1/4がこっち
ということになってきているんだものねぇ。
親の感覚とはまた、違ってきているだろう。
不思議だ。
サラトガ通りに入り、
カラカウア通りを走りながら、
違和感が無くなってきたなぁと。
5年4ヶ月。
震災の年の3月に引っ越したので、
同じ年数がたっている。
多くの人から「震災のせいで?」と聞かれる。
たまたま、3月で娘の中2が終わるので、
それに合わせて引っ越すことに決めていた。
ちょっと迷ったけれど、予定を変更しなかった。
ワイキキを運転しながら「なんで、こんなところ
走ってるんだろう」と現実感がずっと無かった。
それが、5年を過ぎたあたりから「ふつー」になった。
震災がきっかけで移住した人にとっても、
もしかしたら、移住先が「自分のところ」な感じに
なってきている時期かもしれない。
昨日、お話をうかがった福島のラジオで長く
アナウンサーをなさっていた大和田新さんが言っていた。
日系二世と一世とのギャップがあると聞いたけれど、
震災後、福島から移住した人にも同じようなことが言えると。
親たちは「帰る」という感覚があるけれど、
子どもたちにとって、すでに今、居るところが
自分の「帰る」ところ、という感覚になってきていて、
親と子どもとで感覚にギャップがある、と。
子どもたちも、こっちがホームな感じになってるのかなぁ。
息子にとっては人生の約1/3、娘にとっては約1/4がこっち
ということになってきているんだものねぇ。
親の感覚とはまた、違ってきているだろう。
不思議だ。