マカハの豪邸でホームステイを提供しているちえみさん。
ハワイに来た年に関わったナデシコクラブで出会った。
その当時から彼女がずっと続けているのが
チャリティ・マッサージ。
毎月ハワイの10日、日本では11日にあたる日に
東日本大震災を思い出しながら行われる。
ちえみさんはシェフだけど、
マッサージセラピストでもある。
セラピストはマッサージをして、
お客さんはマッサージ代を払うのだが、
マッサージセラピストは受け取らず、
これがちえみさんたちの運営するNPOへの
ドネーションになる。
ドネーションはお金のまま寄付をするというよりも、
たとえば、おのくんを購入したり
マッサージ用のシーツの布を買って
東北の女性たちにシーツに仕立ててもらい、
それをマッサージセラピストたちに販売する、
というような職業機会の提供型のサポートをしている。
彼女のパワーはアメージング! という言葉がぴったり。
何が本当に大事なのか、一本筋が通っているのです。
ハワイに来た年に関わったナデシコクラブで出会った。
その当時から彼女がずっと続けているのが
チャリティ・マッサージ。
毎月ハワイの10日、日本では11日にあたる日に
東日本大震災を思い出しながら行われる。
ちえみさんはシェフだけど、
マッサージセラピストでもある。
セラピストはマッサージをして、
お客さんはマッサージ代を払うのだが、
マッサージセラピストは受け取らず、
これがちえみさんたちの運営するNPOへの
ドネーションになる。
ドネーションはお金のまま寄付をするというよりも、
たとえば、おのくんを購入したり
マッサージ用のシーツの布を買って
東北の女性たちにシーツに仕立ててもらい、
それをマッサージセラピストたちに販売する、
というような職業機会の提供型のサポートをしている。
彼女のパワーはアメージング! という言葉がぴったり。
何が本当に大事なのか、一本筋が通っているのです。
ハワイの公立学校は7日、8日あたりから
新学年が始まっています。
昨年は8月1日からだったので、今年は
ちょっとゆっくり目ですね。
5月の末からの長〜い夏休み。
習ったことをすべて忘れてしまうのではないかと
親としては危惧するところ。
サマースクールに通う子どもたちが
多いのもうなづけます。
サマースクールでどんどん単位をとって行って、
高校の課程を早く終了することもできます。
その上で、高校在学中に大学の単位になる科目を
安い授業料で取る、
(大学で取ると、同じ単位でも値段が高いのです)
という賢い方法もあるので、
サマースクールは単位の先取りという意味でも
人気があります。
そして、ハワイでの新学期。
毎年、全ての教科の先生がシラバスを配布して、
それに子どもと親とがサインをします。
さらに、いろいろな調査用紙も来ます。
書くことがいっぱいあって、毎年、とっても気が重い。
さすがにそろそろ慣れてきましたが。
毎年「う〜む」と思うのは、
「あなたのお子さんはhomelessですか」的な調査が
入っていること。聞くところによると路上(というか公園)から
通っている同級生もいるとのこと。
何十億もするコンドミニアムに住む人と
ホームレスの人とが数十メートル内に暮らしている
というのがハワイです。
眠れる森の美女のお話を
もしかしたらトラウマタイズされた心と
その回復という視点で見れるのではないかなと
思いついて、もう一度どんなお話だったか
確認しようとネットであれこれ見ていて、
こんなサイトを見つけました。
ペロー版の「人食い鬼」が出てくるほうのお話は
今回、初めて知り、後半も面白いなぁと思って読みました。
さて、仙女たちからお姫様がもらったギフトはどんなものだったかな、
と見てみると、
最初の仙女は、王女が世界中で一番美しい女性になれる祝福を、
次の仙女は、王女が天使の心を持てる祝福を、
三人目の仙女は、何をするにも、驚くほど優雅にふるまえる祝福を、
四番目の仙女は、誰よりもうまく踊れる祝福を、
五番目の仙女は、どんな鳥よりも美しい声で歌える祝福を、
六番目の仙女は、どのような楽器も見事に演奏出来る祝福を王女に贈りました。
もしかして、感情についてブロックされているかも? と
ちょっと期待したのですが、「天使の心」を持てる祝福をもらっていたのですね。
うがってとらえ直してみるとしたら、博愛→一人の男性への愛、
親として我が子への愛、喪失の悲しみといったより人間的な感情を
体験的に知るというふうに考えられないことはないですが…。
「茨の森の中に閉ざされ、時の止まっている世界」は
トラウマタイズされた心とのアナロジーとして、
重なるところがあるように思います。
ただ、「回復」のイメージが「人食い鬼」の駆逐というような
プロセスとは違うように感じるので、よりぴったりくる
物語をもう少し探そうと思っているのですが。
後半の部分があることで、ますます、
「女性性」という視点で
面白い見方ができる物語であることは確かです。
(あれこれネットサーフィンしていて見つけたサイトからリンクさせていただきました
問題ありましたらご連絡くださいませ)
もしかしたらトラウマタイズされた心と
その回復という視点で見れるのではないかなと
思いついて、もう一度どんなお話だったか
確認しようとネットであれこれ見ていて、
こんなサイトを見つけました。
ペロー版の「人食い鬼」が出てくるほうのお話は
今回、初めて知り、後半も面白いなぁと思って読みました。
さて、仙女たちからお姫様がもらったギフトはどんなものだったかな、
と見てみると、
最初の仙女は、王女が世界中で一番美しい女性になれる祝福を、
次の仙女は、王女が天使の心を持てる祝福を、
三人目の仙女は、何をするにも、驚くほど優雅にふるまえる祝福を、
四番目の仙女は、誰よりもうまく踊れる祝福を、
五番目の仙女は、どんな鳥よりも美しい声で歌える祝福を、
六番目の仙女は、どのような楽器も見事に演奏出来る祝福を王女に贈りました。
もしかして、感情についてブロックされているかも? と
ちょっと期待したのですが、「天使の心」を持てる祝福をもらっていたのですね。
うがってとらえ直してみるとしたら、博愛→一人の男性への愛、
親として我が子への愛、喪失の悲しみといったより人間的な感情を
体験的に知るというふうに考えられないことはないですが…。
「茨の森の中に閉ざされ、時の止まっている世界」は
トラウマタイズされた心とのアナロジーとして、
重なるところがあるように思います。
ただ、「回復」のイメージが「人食い鬼」の駆逐というような
プロセスとは違うように感じるので、よりぴったりくる
物語をもう少し探そうと思っているのですが。
後半の部分があることで、ますます、
「女性性」という視点で
面白い見方ができる物語であることは確かです。
(あれこれネットサーフィンしていて見つけたサイトからリンクさせていただきました
問題ありましたらご連絡くださいませ)
新聞社で働いているとき、
インタビューして記事にすることも多かった。
もともとカウンセラーなので、何を聞いても
そのまま「なるほど」と思ってしまう。
ただただ、聞き入ってしまい、
鋭いツッコミや質問というものが出てこない。
よっぽどのことがないと
「え、それはどういうことですか?」と
いう感じにならず、
「聞いているうちに、答えがわかるだろう」
のように聞き入ってしまう。
そして、記事を書きながら
「しまった、ここを聞いておくべきだった」とか
「数字、データがあやふやなまま聞いてたな」とか
もうちょっとちゃんと聞けばよかった
と思うことがしばしば。
カウンセラーとして話を聞いている時には、
ほぼ「感情」に関心を向けている。
状況をそう受け取っているとしたら、
どんなことを感じるだろうか、
ということにチューニングする。
カウンセラーのための質問は最小限にとどめ、
カウンセリングを深めるための質問になっているかを
吟味しながら投げかける。
インタビュアーのときには、その人のその人らしさを
なるべく表現してもらえる機会を作りたいと願う。
なので、インタビューする側の意図が
それなりに影響した話になっていく。
もちろん感情にも関心を持つけれど、
事実やできごとを押さえようと、
いろいろな質問することにもなる。
語り手のための質問というよりは、
聞き手、書き手のための質問になる。
その質問が聞き手のためのものなのか、
語り手のためのものなのか…。
いい質問はどちらにとっても
次が開け、よりその人の語りたい核心に
迫るものなのだろうなぁ。
インタビューして記事にすることも多かった。
もともとカウンセラーなので、何を聞いても
そのまま「なるほど」と思ってしまう。
ただただ、聞き入ってしまい、
鋭いツッコミや質問というものが出てこない。
よっぽどのことがないと
「え、それはどういうことですか?」と
いう感じにならず、
「聞いているうちに、答えがわかるだろう」
のように聞き入ってしまう。
そして、記事を書きながら
「しまった、ここを聞いておくべきだった」とか
「数字、データがあやふやなまま聞いてたな」とか
もうちょっとちゃんと聞けばよかった
と思うことがしばしば。
カウンセラーとして話を聞いている時には、
ほぼ「感情」に関心を向けている。
状況をそう受け取っているとしたら、
どんなことを感じるだろうか、
ということにチューニングする。
カウンセラーのための質問は最小限にとどめ、
カウンセリングを深めるための質問になっているかを
吟味しながら投げかける。
インタビュアーのときには、その人のその人らしさを
なるべく表現してもらえる機会を作りたいと願う。
なので、インタビューする側の意図が
それなりに影響した話になっていく。
もちろん感情にも関心を持つけれど、
事実やできごとを押さえようと、
いろいろな質問することにもなる。
語り手のための質問というよりは、
聞き手、書き手のための質問になる。
その質問が聞き手のためのものなのか、
語り手のためのものなのか…。
いい質問はどちらにとっても
次が開け、よりその人の語りたい核心に
迫るものなのだろうなぁ。
たまたまが重なって、今年の初めから
ハワイ東海インターナショナルカレッジ(HTIC)で
週2日、カレッジ・ライフ・カウンセラーをやっています。
カポレイというホノルルからは離れた、今、バンバン開発が
進んでいる街にある学校で、やや長距離の車通勤。
運転に慣れてきたところだったので、よかったです。
ハワイに来てから、
キッズハートツーハワイでのファシリテーターはしていたものの、
カウンセラーとしてのアイデンティティはほぼ、皆無。
ブログのタイトルも変えようかなぁと思いながら
忙しさにまぎれて、そのままになっておりました。
「もう、カウンセリングに携わるのはあきらめようかなぁ」とも
思いつつ、新聞社で働いていたのですが、
昨年、10月に「やっぱりカウンセリングの仕事が好きらしい」と
思い直し、退職。
さて、大学に入り直そうか、英語をどうしようかと
思っていたところに、たまたま、日本語でも大丈夫というお仕事の話が。
履歴書を出したり、就職のための面接をしたり、メールのやりとり、
ほかのファカルティの先生方との会話が
すべて英語だということを知ったのは、後の祭り。
まあ、アメリカの大学なわけなので、当たり前といえば当たり前。
以前から知っている方たちが先生やスタッフにいらして、
かなりの緊張はしたものの、なんとか面接試験をパス。
学生さんたちと久しぶりにご一緒するのが、
なんとも楽しいです。
移住して間もなく、ハワイ大学であった
茂木健一郎氏のイベントでたまたま知り合って、
ずっと授業を受けてみたかったロビン先生も
たまたま、春学期にHTICで教えていらして、
授業に混ぜてもらう、というような体験もできました。
いろいろ、ままならない生活ではあるのですが、
会いたいと思う人に会え、やりたいと思うことのできる
不思議な島のようです。
ハワイ東海インターナショナルカレッジ(HTIC)で
週2日、カレッジ・ライフ・カウンセラーをやっています。
カポレイというホノルルからは離れた、今、バンバン開発が
進んでいる街にある学校で、やや長距離の車通勤。
運転に慣れてきたところだったので、よかったです。
ハワイに来てから、
キッズハートツーハワイでのファシリテーターはしていたものの、
カウンセラーとしてのアイデンティティはほぼ、皆無。
ブログのタイトルも変えようかなぁと思いながら
忙しさにまぎれて、そのままになっておりました。
「もう、カウンセリングに携わるのはあきらめようかなぁ」とも
思いつつ、新聞社で働いていたのですが、
昨年、10月に「やっぱりカウンセリングの仕事が好きらしい」と
思い直し、退職。
さて、大学に入り直そうか、英語をどうしようかと
思っていたところに、たまたま、日本語でも大丈夫というお仕事の話が。
履歴書を出したり、就職のための面接をしたり、メールのやりとり、
ほかのファカルティの先生方との会話が
すべて英語だということを知ったのは、後の祭り。
まあ、アメリカの大学なわけなので、当たり前といえば当たり前。
以前から知っている方たちが先生やスタッフにいらして、
かなりの緊張はしたものの、なんとか面接試験をパス。
学生さんたちと久しぶりにご一緒するのが、
なんとも楽しいです。
移住して間もなく、ハワイ大学であった
茂木健一郎氏のイベントでたまたま知り合って、
ずっと授業を受けてみたかったロビン先生も
たまたま、春学期にHTICで教えていらして、
授業に混ぜてもらう、というような体験もできました。
いろいろ、ままならない生活ではあるのですが、
会いたいと思う人に会え、やりたいと思うことのできる
不思議な島のようです。