プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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茅山荘、行きました

2013-10-11 17:41:48 | 著書
久しくブログに投稿していなかったのですが、
ふと、思い立って戻ってみました。

2年経って、やっとホノルルのアウェーな感じが薄れました。
今でも相変わらず、店員さんに注文すれば「?」と聞き返され、
水もれがあっても、セキュリティに電話する勇気を集めるのに
1日かかるという状況ではあるのですが、
そのこと自体があまり
「うううっ」
とか
「あああっ」
とかいう感じではなくなりました。

車の運転も、今日、久しぶりにしたわけですが、
自分のロットから出るときに「あれ、どっち側?」と
一瞬思ったぐらいで、逆側走行への抵抗感は
なくなりました。

チェックでの支払いという、
数字をいちいち英語で書いて、封筒に入れて、
切手を貼って投函するという面倒な作業も
いちいち、
「あーあ」
とか思わずにできるようになりました。

さて、
9月に藤田一照さんという曹洞宗のお坊様のやっている
坐禅の会に行きました。
一照さんの奥様の高校時代からの仲良しさんが私の知り合いで、
その方が
「ななさんと絶対、合うと思う」
と言って連れて行って下さったのです。

それはそれは素晴らしいロケーション。
山門を入り、敷地の中を流れる川を渡り、坂道を登るとその上に
僧堂として使っている東屋が。
朝の光の中で緑が揺れ、茅(実は葦だとか)葺きの屋根が
すばらしい建物です。
「これは、すごい! ありがたすぎるなぁ」とドキドキして
入ってみると、大勢の人が座布団一つ分のスペースを確保しつつ
場所を分け合って座っていました。

一照さんのオリエンテーションで
「背骨を伸ばすのではなくて、伸びるという感じ」とか
「私がやっているというのではなく…」とかの
言葉がとても面白い。
身体と言葉がつながっていました。

これは、この間ホノルルで体験したヨガの動きと同じだなぁと
思いながら身体がほぐれていきます。

足の指をほぐしたときに、
わはは、ハワイではサンダルだから、
指の間が簡単に離れるぞ、と。
逆に言えば、ハイヒールとストッキングの生活に
戻るのは、かなりな努力がいるということです。

下半身、上半身とほぐれたところで、坐禅が始まります。
痛みをこらえてすわるなんて、ナンセンスだというお言葉に、
とにかく自分の感覚に集中できる姿勢、態勢を整えることを
心がけました。

その日の坐禅は20分で1セッション。
途中、ちょっと休んで後半20分。

それが長いのか短いのか、一般的なのか
なんせ、初めてのことでわからないのですが、
私にはちょうどよかった。
初め、組んだ足がしびれてきて
「う、まずいのか? これは立てなくなるのか?」
と不安になってきたのですが、
「いやいや、きっと終わったときに伸ばしたらすっごい気持ちいいぞ」
といなしたら、気にならなくなりました。

2回目のセッションのときだったか、
一照さんが
「音が聞こえます。同時にいろいろな音が聞こえますね。音だけではない
感覚もあって、風が通ったり」
といったことをおっしゃっていたときに、

「あれっ?」と。
外から聞こえてくるはずの鳥の声が
自分の内側から聞こえるのです。
「おやおや、なんだろう、カンチガイ?」
と思って、確かめてみるのですが、
やっぱり自分の内側から聞こえる。

あまりにも面白くて、この感覚、はまりそうです。
そういえば、ずっと前に新宿の雑踏で身体が裏返しに
なってしまったような感覚に陥ったことがあるのですが、
そのときとちょっと似ています。
そのときより、ずっと快適で楽しいでした。

坐禅終了の鐘の音とともに鳥の声は消えてしまいましたが、
内側から外側が聞こえるのなら、
自分の外側は自分が作りだしているのか? という
疑問が胡蝶の夢のようにふつふつと。
不安や疑念という形じゃなく、期待や面白さという形で
漂ってきたのでありました。

終了後、一照さんのお宅にお邪魔して、
ちょうど、来ていた若者も交えて、
おしゃべりをあれこれ。
帰り着いたのは8時すぎ。
素晴らしい一日でした。