プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

リビングオハナの「おはな文庫」

2019-09-30 11:59:22 | 日本語
毎月1回、曹洞ミッションのお部屋を使わせてもらって
日本語の絵本の読み聞かせをやっている。
いっしょにやってくれていた仲間が
一人辞めてしまったので、
一人で開催をすることになった。
そうしたら、なかなかに気が重い。
ボランティアなので、
「やる気」が全てなのだが、
夏休みが明けてから、未開催が続いている。
なんとか、来月は開きたいなぁと
思いつつ、本の整理へ。

日本語教室で使えそうな本を物色。
「こどものとも012」の絵本が
いい感じ。
字も大きいし、
具体的なシーンと選ばれた言葉が
使われている。
以前、持って行ったとき、
五味太郎作の絵本も人気があったので、
探してみる。
数冊、見つけて持ち帰ることにした。

自分用には昔話。
珍しい慶良間列島のお話の
「黄金りゅうと天女」。
そして、転がるおむすびについていくと、
何かが起こるというパタンをフォローする、
「にぎりめしごろごろ」。
赤羽末吉の挿絵がとても魅力的。

「こぶじろう」はいろんなものに
食べられながら、生還するっていう
ちょっとグロいけど生命力あふれる面白さ。
単純だけど内容以上の何かを伝えている昔話。
なんとも好きだわぁ。

イングリッシュマフィン作りました(小麦粉セラピー)

2019-09-29 11:29:27 | Life in Hawaii
イングリッシュマフィンが好きなのですが、
ハワイで売っているのが、なんか、今ひとつ。
ちえみさんのレシピで作ってみました。
円い形に抜いてから、二次発酵させて、
そのあと、フライパンで両面各10分焼くので、
オーブンに入れて、あとはよろしく! という
いつものパンとはちょっと違いますが、
自家製、美味しい! 

パンをオーブンに入れるとき、
頭の片隅に「カエルの王女」の物語が思い浮かびます。
ワシリーサの作り方を盗みにこっそり、
お兄さんたちのお嫁さんが見に来るのですが、
発酵させない小麦粉の塊をオーブンに入れて見せる。
「え〜、そんな意地悪していいのぉ?」と
義に燃える幼い私は思ったのですが、
こういう引っかかりがあるのが面白いのですよね。

思えば、昔々はドライ酵母なんてなかったわけで、
もし、ふわふわパンを作るなら、
いい感じで発酵する酵母をキープしている必要があったでしょうね。
ロシアなんて寒そうだし、ふわふわに膨らませるのは技術が必要だったかも。
小麦粉を精製するのも、ましてや漂白なんてなかったから、
白パンを作る白い小麦粉を手に入れるのも大変だっただろうなぁ。
なんて妄想逞しくしながら、小麦粉をこねてます。

お料理本、次ページのエッグベネディクトを
作る予定なのですが、10個作ったうち5個は
出来立てで、みんなで食べてしまいました。

翌朝、エッグベネディクトに挑戦!
レモンとパセリが必要であることに気づき、
ホールフーズへ。

すっかりハロウィーンモードでした。
季節感のないハワイ、
ホールフーズのディスプレイで感じとることに(笑)
オランディーヌソースもレシピ通りに作り、
お酢入りの水でボイルした卵も作り、
頑張って、完成。

これは日曜日の朝、
時間がゆったり目にあるときに作るのがよさそうです。

「おひさま あはは」読みました

2019-09-28 08:55:43 | 日本語
Youtube、すごいなぁと思いながら、
河合隼雄さんのとなりに出てきた
中村元さんの仏教関係の音声を聞いている。
ハワイにある東西をつなぐH1というフリーウェイを使って
週3日ほど、西側に走っているのだが、この間、聞くのにピッタリだ。

この絵本は日本語の教室で人気があった。
前川かずお作「おひさま あはは」(こぐま社)
見開きで絵が片側ページ、文字が反対側ページに。
安定の「笑い顔」で、どの子も寄ってきて聞く。
ペッタリと膝の上に座り込む子もいたほど。
一人の子はどうしても持ち帰りたいというので
貸し出し、お母さんや妹がすっごく面白がっていた、
と報告してくれた。
とっても単純な本なのだが、
どこが、そんなに面白かったのか興味深い。

上のクラスの子どもたちは
これぐらいのひらがななら読めて、
内容もわかるので、
一冊全部「読めた!」という嬉しさを味わえる。

「できた!」というときの
子どもの目のキラキラ。
なんともいえません。

シンシアのGreaf Work Training Center of Hawaii

2019-09-27 10:58:54 | grief support
8月8日、9日の2日間、
シンシアのグリーフサポートの
ワークショプがあった。
日本から、すでに子どものグリーフサポートに携わっている
14人の方がいらした。

10時から5時までびっしり。
レクチャーはもちろん、特にQ&Aの部分に時間を割いて、
Joiningのスキルなどについて、その意味や
実践する上での疑問点に丁寧に答えていた。

グリーフには力がある。
グリーフを体験すると、寂しさ、悲しさ、むなしさ、
不安、落ち込みなど、気持ちがざわざわしたり、
いてもたってもいられない感じになったり、
ぐっと重たいものを抱えたような気分を味わう、
など、さまざまなものが内面で動く。

このさまざまに動くものをエネルギーと捉え、
このエネルギーの出口、表現されるところを用意する。
そんなことを子どものグリーフサポートでは
やっているのではないか、と私は理解している。

このマインドセットでものごとを見ると、
この行動や表現の後ろには、
どんなグリーフがあるんだろう? 
というような見方になる。
全てをグリーフと結びつけるなんて、無謀なのだけど、
「変化」はグリーフなわけなので、
思えば日常のなかでチリリとしたグリーフを味わってるの
かもしれない。

グリーフは周りの人のグリーフを掻き立てる。
なので、子どもたちのグリーフに関わるとき、
自分のなかが揺さぶられ、自分自身のグリーフが
わき上がってくることも当然のこと。
だからこそ、自分自身のグリーフやそのケアが重要になる。
ファシリテーターどうしのサポートが大事だ。

田口ランディ対談集「仏教のコスモロジーを探して」読んでます

2019-09-26 11:00:43 | 読んだ本
昨日、河合隼雄さんの最終講義のYoutubeがフェイスブックで流れてきて、
ユンギアンじゃなくて、パーソンセンタードの心理学です、
と言われても「ああ、そうですね」って思えちゃうなぁと
思いながら一気に見た。面白い。
ストーリーテラーなんだなぁ。
人間性心理学ではコンステレーションとか共時性、元型という
ワードは使わないだろうけど。

そしたら、この間からフェイスブックに流れてくる
トランスパーソナルの流れのティール組織の話からの
連想で、宝箱でランディさんの本を見つけ出したん
だったよなぁ、って思い出して見たら
トップの対談相手が
吉福伸逸さんだった。

と言っても、この方も三鷹に研修会をお願いしに行く人に
くっついて行って、遠巻きに見ていただけ。
その当時、トランスパーソナルが妖しく見えてたからね。
もったいなかったなぁ。

対談、面白い。
脚注があっても私にとってはチンプンカンプンで
あやふやなことだらけなのだが、
「人を救う」というところから仏教がおかしくなった、
という部分が私にとってはツボ。

『菩薩が「一切衆生救済」のために戻ってくる、
「人を救う」という発想が入ってきた途端に
僕は仏教は堕落したと思う』
とある。

「わが内なるすべての衆生」ならわかるが、
「人を」としたところで自己と衆生という分裂を
起こしている、と。
河合隼雄さんの最終講義の中にも、
このテーマ、絵入りで入ってたなぁ。

「私」と「あなた」のテーマは、
ティクナットハンの
「インタービーイング」という言葉と共に、
この「救う」や「癒す」という言葉が
今の私にとって、フック。

お寺のこと

2019-09-25 08:29:11 | お寺
日本ではお寺の中の人と話す、
なんてことはまず、無かった。
まさかハワイでこんなにお坊さんたちの
知り合いが増えるとは。

行くと、だれかに会えるという場所としても、
お寺は面白い。
きっと、檀家さんや門徒さんは、
「私のお寺」として、
自分ちの庭や離れのように、
身近なものだったのだろう。
お祝いごとでそこへ行き、
悲しいことがあってもそこへ行き、
故人を偲びにそこへ行く。
仏法を説くわけだから、
生きる指針の拠り所でもあったろう。

コミュニティの「公共の場」でもあり、
親密さと間合いとが
一般的な人間関係や仕事関係とは
異なる場でもある。

昔々、カトリックの教会に
親に連れられて行っていて、
(なんせ幼児洗礼だから)
思春期にさしかかる頃、
「急にwarm heart 過ぎる人々が現れて
妙にチヤホヤと親切な場」という雰囲気が
とても偽善的に思えて、行かなくなったが、
お寺に見える方たちに今の自分が「いい人」的雰囲気を過剰に
表現していないとは言えない。

日曜日のお参りの後はランチサービスなどが
あって、実質的なサポートにもなっている。
一緒に食べることには、大きな意味がある。

公共の場として、お寺をどうしつらえるか。
これも大事だ。
以前、パロロ本願寺の本堂は、
不要なものが溢れて、倉庫化していたり、
窓の前にダンボール類が山積して、
謎の暗闇ができていたりしたそうだ。
この気持ちいい空間ができたのは、
現住職になってからのことらしい。

お寺をどういう場にするか。
住職やお寺に関わる人々の気持ち次第。
良規さんのように、あれだけ大きなものを
託されてしまう場でもあることを考えると、
「預かる」とか
「自分のものじゃないけど、
自分のもののように扱う」的な不思議な所有の仕方や
責務の負い方をする役割でもある。
目指すは「経済的発展」ではなく、「公共」。
経済的発展以外の意味を探せる、
稀有な場所でもあるのだ。
サステナビリティについて、考えるにも最適。

支えているのはボランティアの
「ここをいい場にしたい」という思いなので、
一体、どういうことが「いい場」なのかについても
考えられる。
お寺って、奥が深いなぁ。

料理と掃除

2019-09-24 20:36:55 | ルーティン
数日前から、
生きてくのに身につけておくべきスキルは何だろう?
と、結構、真面目に考えていた。
コミュニケーションスキルとか、
EQとかあれこれ思っていたのだが、
ふと「料理と掃除だ」と思い至った。

机の周りじゅうに溢れかえっている書類やパンフ、
本類を見て、うんざりしているところだった
せいかもしれない。

私にとっては料理と掃除は
「時間があったらやるもの」的な位置づけで、
まずは「仕事」が優先。
いざとなったら外注。
杉並に暮らしている時には、
ご近所にお惣菜屋さんがいっぱいあり、
リーズナブルなお値段だったので、
存分に利用させてもらっていた。
掃除も、まあ、汚くなったらする、的な。
生活の中にルーティンとして
織り込まれないまま、現在に至っている。
(って、気づくのが遅すぎ)

ところが、ハワイに来て、
手頃なお惣菜はなく、
手頃な外食もなく、
自分で作る以外、美味しくて
リーズナブルなものにありつける
可能性がムッチャ低くなった。

周りを見回すと、みなさん、
とっても美味しいお料理で
周りをもてなしている。
自分もやったほうがいいよなぁ、と。
そんなわけで、自分で料理する機会が増えた。
ところが、料理に慣れていないと、
いちいちレシピを見て、量を計る必要があり、
ますます、時間がかかるという事態。

さささ、と美味しい料理の作れる友人たちを
羨望と尊敬の眼差して見つめる日々を送っている。
一品持ち寄りパーティの多いここでは、
おいしい手料理は称賛される。
作り甲斐があるというものだ。

あーあ、若い頃からルーティンにして、
料理と掃除を朝、起きたら顔洗うのと同じぐらい、
「やるのが当然」って感じにしておくべきだったなぁと猛省中。
ま、今からでも遅くないので、
精進して料理と掃除に精を出すか。

崇拝している内田樹先生も、
「料理と掃除」についてお書きになっていることを、
不思議なシンクロニシティで知った。
英雄的行為と思って頑張るしかないな。

「命の深呼吸」上映会やりました

2019-09-23 07:33:46 | お寺
パロロ本願寺、映画上映月間となった9月。
22日、日曜日はドキュメンタリー
「命の深呼吸」の上映会をしました。
英語での名前は「The Departure」
おくりびとと同じタイトルですが、こちらはドキュメンタリー。
「死にたい」と訴える人々の相談に乗り、「死」や「生きる」ことに関わり続ける
臨済宗の僧侶、根本一徹さんの生活を追っている。
根本さんはいのちに向き合う宗教者の会もやっている。
監督は米国人ラナ・ウィルソン。

ハワイの他のお寺で上映会をやったと聞いて、
パロロ本願寺でもどうかな、と思って見つけた。
日本ではDVDがまだないようだが、
こっちでの入手は可能かも!と思って探したら、
Aamazonで16ドルちょっとで買えました。
英語字幕が付いているので、完璧。
パロロ本願寺での催しは、英語がメイン言語とされていて、
日本人が開くものでも、英語通訳が入る。
コミュニティにオープンでなくてはいけないのだから、
当然といえば、当然なことだ。

カウンセラー的な立場で見ると、
自分の身体や家族にかなりな負担をかけながらの
関わりは、大丈夫なのだろうか、継続できるのだろうか、
あるいは安全なのだろうか、と気がかりになる。
けれども、そのように関わられることが
自分にも他者にも
大きなサポートになっている面もある。

命の深呼吸オフィシャルサイトで、
原宿カウンセリングセンターの所長である
信田さよ子さんは
『自殺という重いテーマについて、監督は登場人物を美化せず赤裸々に描き出す。
見る者に残されるのは、ひとは自分を救うために他者を救うのかという問いかけである。』
とおっしゃり、
精神科医の春日武彦さんの、
『ギブアップする場面があって驚かされた。その苦しげな表情。
「死ぬ以外の選択肢」を、自ら体現してみせつつ真摯に向き合う以外に方法はないだろう。
でも、それすら万能ではない。そんなことなど百も承知で、彼は戦い続ける。誰にも真似はできない』
などとするコメントにある通りだ。

「カウンセリング」は
カウンセラーやクライアントの安全を確保して、
どうサポートできるかという枠組みを守る。
そのように関わり合えるセッティングを作る。
コミュニティでの関わりはその外側にある。
カウンセリングでできることは限られている。
彼自身の抱えるグリーフが
グリーフによるエネルギーが
彼を突き動かしているようにも見える。

監督のラナ・ウィルソンさん。
「死にたい」と口にしたら119されちゃう米国から来て、
彼の関わりはどう見えたのかなぁ。

映画終了後、みんなで感想をシェアしたり、
日本から見えた方の手料理と
ノリさんの炊き込みご飯やおみおつけ、
メンバーの方が持ってきてくれたサラダなど
お料理もシェアして、
秋のいっときをシェアしました。

海水の温度、上昇

2019-09-22 19:39:35 | 考えたこと
ハワイがムッチャ、暑い
地球温暖化が起きている、いや、冷却期だという議論があり、
友人の科学者もむしろ冷却期じゃないかと言う。
でも、こんなに暑いのはなぜ?
嵐がこんなに激しくなってるのはなぜ?

そんな中、原発に関するビデオを見た。
放射性物質の管理が難しくて危険なのは周知のこと。
でも、今回、冷却するために海水が使われていて、
熱くなった海水は海に流され、周りの海を温めていることに気づいた。
そんなこと、問題だって言うの、あんまり聞いたことないよ〜!って思ったのだが、
この熱水、日本中の川の温度を2度上げることができるほどだ、
と書いてあるブログも見つけた。
CO2による温室効果っていうよりも、
直接、海を温めている。
一体、あったまった海はどうやって冷えるのだろう?
クローズドのシステムで、
エネルギーは保存されるんじゃなかったっけ?
ただただ、どこかがあったまっていくだけなのでは?

2度って生体にとってはかなりな温度だよね。
36.5度の体温が38.5度になったら、辛いもの。

昔、働いていた大学で学生と話してたら、
その院生は魚のメス化の研究をしている人で、
女性の使う避妊薬が尿となり、最終的に海に流れこむせいで、
魚がメス化すると聞いた。
その時に、ああ、海の水だって有限だよね、
無限に希釈できないよね、
と思ったことを思い出す。

ハワイの周りの海の温度が2度、上がっているらしい。
サンゴが白化する危険がある。
この水温の上昇、日本だけではなく、
世界中の原発やその他の工業過程などで、
海水が冷却水として使われるせいってことはないのかな?
なんでこのこと、あんまり解説がないのかな?

国際平和デー「銀河の雫〜はじまりはひとつ」上映会しました

2019-09-22 10:40:09 | お寺
国際平和デー。
かっこちゃんの「銀河の雫〜はじまりはひとつ」 上映会、
機材トラブルもなく、無事に始まり、
かっこちゃんの子ども時代のお話や
質問に答えての「1/4の奇跡」についてのお話、
終わったあとは
ノリさんのお茶とお漬物でみんなでおしゃべりして、
無事に終了。
言葉にならないなぞのウルウルがやってくるステキな映画です。

カッコちゃんのお話のあと、
リンダ先生がお連れになった、ネパールコミュニティから
いらして下さった女性は、みんなからのリクエストに応じて下さり、
かっこちゃんや小林さんたちも一緒に、映画の中にも出てくる、
旗が風にたなびくさまを歌ったネパールの民謡、
レッサンフィリリを歌って下さいました。

かっこちゃん、小林さん、はるばるいらして下さって
ありがとうございます。
お寺にいらして下さったみなさま、
パロロ本願寺での上映を快くOKして下さった
ホノルルファンデーションのひろ子さん、
突然のお願いにニコニコ
通訳を引き受けて下さったリンダ先生、
お寺を好きに使わせて下さる藤森先生、
受付その他、細々したことを全て
引き受けて下さった操さん、
本当にありがとうございます!
とっても嬉しい時間でした😃

本日のドネーションはかっこちゃんを通じて
ネパールへの支援となります。

ミイラニさんの「優しいハワイ語ビギナー」

2019-09-21 09:48:28 | Life in Hawaii
昨日のHOLOHOLO Projectの
寺カフェの一環で、
ミイラニさんにお願いして
ハワイの文化とハワイ語とのクラスを
開いてもらった。

せっかくハワイに住んでいるのだから、
ハワイアンカルチャーをちゃんと分かりたいと
思いつつ、断片的にしか触れることがなかった。

ハワイについて知り始めて、
一番初めに、おおおって思ったエピソードは
ランディさんのところで鼻笛を知ったとき。
「鼻笛があって、口は嘘をつくから
鼻で笛を吹いた。ひとりひとり、音が違っていて、
声と同じようなものだった」というようなお話。
なんというか、「嘘つく」ことが
織り込まれているってところが魅力的。
「嘘はダメです!」っていう感じじゃない。

昨日のクラスでも、
ハワイの文化が陰陽の考え方のように
バランスが重視されていること、
出したら、戻ってくること。
Aloha mai kakou と挨拶するとき、
相手へのAlohaと自分へのAlohaの
両方の意味が入っていること、
といった説明があってとても興味深い。

その場、全員への挨拶の言葉と
相手と二人だけの挨拶の言葉とが
違っているとか、これも興味深い。
一人に向かって、二人に向かって、
三人以上に向かって、
で言い方が変わったりする。
この一点だけでも、興味深すぎる。

昨日はまだ、トライアルの1回。
これから、5回シリーズぐらいで、
クラスをお願いしたいと画策中です。
ミイラニさんは毎日、ハワイ語が送られてくる
メルマガをなさってて、登録は下記からできる。
美しい写真とハワイ語が毎日、届く。
「ミイラニの今日のハワイ語」





寺カフェ、ハックされてパーティ会場に

2019-09-20 21:33:06 | お寺
毎月1回、開催している寺カフェ。
本日は午前中、掃除道の方が日本から見えて、
ホノルルのグループと一緒に
お寺のお掃除をするとのことで、
午後からオープン。

うっかり焼きそびれたバタロールのドーは
お寺で焼くことにして、お気に入りの粉捏ねシートと
オーブンシートとのし棒を持参。

到着後、寺カフェに来てくれていた友人と
バタロールを成形して、二次発酵させていると、
マカハのちえみさんがステイしているお客様と
お昼ご飯を持ってきてくれた。
素晴らしくおいしい、グリーンカレー。
土鍋で炊いてくれたスイートライスがぴったり。

掃除道の方達へ、と差し入れてくれた
チリコンカンもたくさん余っていたので、
こちらもいっぱい。

住職のノリさんや、理事の操ちゃん、
アクセサリー作りを教えにきたユリちゃんや、
ハワイステイを楽しんでいるご夫婦もジョインして、
寺カフェはパーティ会場へと様変わり。

3時半からは、ミイラニさんの「ハワイ語講座」。
ハワイのカルチャーの深いところから掘り起こして、
解説して下さるので、とっても腑に落ちる内容。
ミイラニさん、ハワイ大学でハワイ文化を学び
マスターディグリーを持っていらっしゃる。
クムフラであり、ハワイ語で会話ができる。

みんなでワイワイ言いながら、
ハワイ語が文字を持たなかったこと、
「音」つまりはバイブレーションが大事になることなど教えてもらう。
ハワイ語を学ぶということは、
ハワイアンの方達が世界をどう見ているのかを知ることでもある。
ピジンイングリッシュとの関連など、
話題は多岐に渡り、今後の展開が楽しみ。

お寺がごちゃまぜ化していくのが、
とっても面白い。

長新太作・絵「ごろごろ にゃーん」読んでみた

2019-09-20 09:00:57 | ルーティン
Kから5年生までいる日本語クラス。
アクティビティと読む、書くが多めなので、
日本語絵本の読み聞かせをしたら、
ひとつながりの日本語を聞くという意味でも
いいんじゃないかなぁと
ちょっとした合間に読んでる。

今回は長新太さんの「ごろごろ にゃーん」。
わたし的にはとてもツボな本で、
同じフレーズが何回も出てくるので
子どもも面白がるんじゃないかと思ったが、
意外と「何だろう、これは?」的な
とまどいの方が多い反応。

英語にはオノマトペがあんまりないから、
「ごろごろ にゃーん」の意味を
受け取ろうとして難儀をしてたのかな。
グリーンの濃淡の絵が
意外と地味だったのかなぁ。
もうちょっと授業っぽく、
猫は日本語でなんてなくか知ってる?
とかやってから話したらよかったかなぁ。

こんな風にいろんな本を持っていっては
子どもたちの反応がわかるのが
とても興味深い。
今度は何を持っていこうか。

井上信子著 神田橋條治対話「対話の技 資質により添う心理援助」(新曜社)

2019-09-19 10:51:34 | 読んだ本
「33個めの石」は1日で読める。
けれども、たくさんの「引っかかり」や
「見ないことにしていたこと」などを
心の中に振りまく。

おととい掘り当てた宝箱の中には
神田橋先生の本もあった。
ハワイのブックオフで見つけて、思わず買ったもので、
パラパラと拾い読みをしただけで忘れてた。
どういう経緯でこの本が絶海の孤島にたどり着いたのか、
そちらも興味深いのだけど、
赤や青のラインがいっぱい引いてある。

カウンセリングのスタイルを
どうやって作ってきたのかを振り返ることになる。
この研修を受けているときに、
UHウェストオアフの先生にも聞かれた。
「どのようなカウンセリングをしているのか?」と。

基本的にはロジャース的なアプローチ。
聴く。そして感情の言語化、整理をサポートする。
テーマによっては認知療法的な考え方も有効だ。
家族心理学やブリーフサイコセラピーの知見も使う。
ミンデルのアプローチはハワイに来てから意識するように
なったけれど、プロセス指向的に見たら、どう見えるだろう?
と状況を見るようにもなった。

さらに、基本の基本である、自分の内側に目を向けること。
このことを抜きにしてカウンセリングはありえない。
森岡氏の投げかけは、内面をよりエグく、
掘り進む助けにもなる。

そして、
何と言っても「言葉」だ。

ハワイに来て、言葉が荒いと感じた。
けれども、最近、移民にとって日常のやりとりの言葉が荒削りになるのは、
仕方がないような気がしている。
喉が渇いて仕方ない時に
「恐れ入りますが、もし、お手数でなかったらお水を一杯、いただけますか?」
なんて言う余裕はない。
「水くれ! 水!」となる。

慣れない外国語でそれをせざるを得ないのだ。
恐れ入りますが、とか言ってる余裕はない。
とにかく、欲しいものを手に入れるための言葉になる。
相手を「おもんぱかる」なんて余裕はないし、
おもんぱかっても、見当違いになることも多いのかもしれない。
そうしたら、欲しいものを欲しいと言い、
裏の意味をあれこれ忖度することはせず、
要らないものや嫌いなものにはしっかりnoを言う。
このスタイルが優勢になってもおかしくない。

さらに、日本語を忘れる。
細かい言い回しが曖昧になる。
そう考えると、息子や娘の言葉が
「ぞんざいな」日本語になっていっていることも
仕方ないような気持ちになる。
まあ、相手が母親だからってことがあるにしても、だ。
同じことを英語で言われても、
無礼な! とは思わない言葉がいっぱいある。


森岡正博著「33個めの石」(春秋社)読みました

2019-09-18 08:58:44 | 読んだ本
昨日、バージニア工科大学の話をブログに書いていて、
「33個めの石」という本を持っていたはずだ、と思い出した。
本を入れてあるプラスティックケースを一つづつ開けながら、
日本の家に置いてきたのかなぁ、
こっちで見た気がしたのは勘違いだったかなぁと
半ば諦めた最後の箱で見つけた。
その箱には他にも、「これこれ!」というような本が詰まっていて、
宝箱を探り当てたような感動。

著者がどなただったか、全く覚えていなかったのだが、
森岡正博氏だった。
うわぁ!
森岡氏がいいなぁ、と思い始めたとっかかりはなんだったかなぁと
ご著書をチェックしてみたら
「自分と向き合う「知」の方法」だった。
1995年にPHPから出ている。
そうそう、「自分を棚上げにしない」
というアプローチにとても共感したのだった。
この態度は今の私のスタイルに影響している。

「無痛文明論」でおおお、と思い
「感じない男」が出たときに、
あら、私の本のタイトル「感じない子ども こころを扱えない大人」を
知ってるのかも? と密かに喜んだり、「男」にしただけで、
全然、意味が違ってくる面白さというか気味わるさを感じたものだった。
最近、ふと「宗教なき時代を生きるために」を手に取ったりしてたのも
偶然じゃないかもしれない。

「33個めの石」はバージニア工科大学での事件後の追悼で、
亡くなった方たちをリプレゼントする32個の石が置かれたとき、
その横にだれかが33個めの石を置き、
犯行後自殺した学生も加えられた、というエピソードから。
あとがきにはこの、33個めの石についての後日談も載っていて、
示唆的で興味深い。思わずうるっとしてしまった。

ハワイのホオポノポノだったら、
きっと初めから33個だったのだろうなぁなんてことも。

ネガティブな感情や感覚に対して、
ざらっとした後味の悪さみたいな露悪的な面も持ち込みつつ、
なぞな優しさを感じさせる語り口。
ネガティブ・ケイパビリティを考えるとき、
絶対、参考になるアプローチ。

いつかどこかで直接、お話ししてみたい方のお一人だなぁ。
ここに書いておくと、叶うかもしれない。