プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

「寺カフェ」について考えてみた

2019-10-19 19:30:09 | お寺
月に一回、「寺カフェ」という名前で
お寺の入口脇のスペースを「カフェ」にしている。

カフェと言っても、ドネーションしていただいた
コーヒーメイカーでコーヒーを淹れ、
いらした方とおしゃべりする場、という感じ。
たいていは、まず、ご住職が美味しい日本茶を入れてくださる。

お昼にはご住職がご飯を炊いて、お魚を焼いてくださったり、
かきあげの天ぷら入りのおうどんを作ってくださったり。
言い出しっぺの私は、いらした方とのおしゃべりに興じ、
その間に周りの方々がご飯の準備をしてくださるという、
自由すぎるカフェである。

お代はドネーションなので、
たくさん集まる日もあれば、
ほぼ0のときもある。
ビジネスをやる人から見たら、
何をしているのだ? ということに
なるのだろうけれど、
こういう場が大事だ、と私の中の何かが言っている。

何か目標を持って、それを達成する、
というのがふつうの頑張り方のように思うのだけど、
かたくななまでに「目標」を拒否している。
とにかく「あること」Being。
あることに意味があると、こだわってみている。
何かを為すことではなく、
何かをやり遂げることではなく、
まあ、そこに居て、
いらした方と一緒にそこに居る。

何かの作業をするわけでもなく、
だれかが作業を持ち込むのであれば、
まあ、それもいいかと拒否するわけでもなく。
(人手があるから使ってやれ的なのは嫌だけど)
そんな風にしていると、
何か「こんなことをしてはどうか?」的な
アイディアを持ち込んでくださる方もあり、
それがみんなの集うチャンスに繋がることもあり。

このビーイングでいて、周りの人との
インタービーイングを楽しんでいると、
なんか、いい感じなのです。
それがお寺でやらせてもらえているっていうのが
ありがたいです。



10月10日、「命灯会」でした

2019-10-13 11:46:45 | お寺
10月10日、パロロ本願寺で命灯会がありました。
震災後、100回目の月命日となる
7月10日からはMyo Tou E in Hawaiiの名前で
継続的に行っています。

東日本大震災を忘れないために
始まった命灯会は
月命日に当たる日本時間の11日、
ハワイでは10日の午後7時半ごろから、
2本のロウソクを、
1本は今を生きられなかった命のため、
もう1本を今を生きている命のために灯し、
お経を読んでいただきながら、
震災のことなどを思う時間としています。
読経と黙祷の後は、ロウソクの明かりの中で、
それぞれが自分の思いを話すこともできます。
震災だけでなく、亡くなった方への思いを
シェアするグリーフサポート的な場ともなっています。

使っているキャンドルは気仙沼の
キャンドル工房のもの。
海や空の色を思わせる青いキャンドルです。
気仙沼のキャンドルを使うことで、
東北に少しでも資金が回ることに
つながります。

パロロ本願寺にこだわらず、
いろいろな場所で続けていけたらなぁと
思っていて、聞くところによると、
ハワイ大神宮さんには
震災犠牲者之霊璽が祖霊社に
合祈されているとのこと。
こちらでも命灯会を
やらせていただけたらなぁと
思っているところです。


photo by Atsushi Takebayashi

「まは、さてあらん」

2019-10-12 20:56:25 | お寺
「そんなこともあるさ」
というのが私の落ち込みからの
復活の呪文だというのは多分、
自著の中にも書いたと思うのだが、
この間から見まくっている
仏教関係のYoutubeで
親鸞が
「まは、さてあらん」
といったという言葉が出てきて、
おお〜と思ったりしていました。

周りの人を助けるとか手伝うというときに、
「私」の力でみんなの苦しみをなんとかしようとする、
自分に「それって仏にお任せするってところから
ずれてるんじゃない?」と突っ込んでる。

自分と他者とのテーマ、
助けるとか、癒すとかは
親鸞のお話の中にいっぱい出てきて、
「カウンセラー」という役割で見ると、
とっても興味深いです。

お寺でダラダラ

2019-10-04 08:16:37 | お寺
金曜日は仕事が無い日なので、
お寺に行く日にしている。
原稿を書いたり、本を読んだり、
ネットサーフィンをしたり。

お寺にいるよ〜と言っておくと、
友達が遊びに来てくれたり、
今日はお寺のキッチンでお料理教室やってるよ〜
という人と会えたりする。
たまたま、バナナの葉が必要だとやって来た友人にも
久しぶりに出会えたりする。

お寺は駐車場が広いし、
なんか開放的だし、
自分のペースでの動きを取り戻すのに
ピッタリな場所。

しかも、ニュースレターの名前がクエなので
お昼時には美味しいご飯にありつける。
今日は昨日、わざわざTKGまで行って
買って来てくれた生で食べられる卵が
あったので、卵かけご飯とサラダと
花豆の甘煮。美味しかった!

そんなこともできるお寺。
これからどう存続していくか。
みんなが緩やかにつながれる場所として、
何かシェアして学べる場所として、
何かできるプラットホームにできたら、
楽しいのではないかなぁと思いを巡らす
一日でした。

良かったら、遊びに来て下さい。

パロロ本願寺ニュースレター「KUYE 倶会 (unity)」のこと

2019-10-02 10:15:04 | お寺
パロロ本願寺の藤森住職、通称ノリさんは、
毎月「倶会」というニュースレターを出している。
読みは「くえ」。
昼時にお寺に行くと、
何か食べさせてもらえるので、
ぴったりな名前なのだが、
意味はunityだそうだ。

昨日もニュースレターの発送作業があり、
その時間、手のあいている人が集まって、
400通以上を発送する。
おしゃべりしながらの手作業は、
みんなで近況をシェアできて楽しい。
そして、終了後にはおきまりのランチ。

その時に、ニュースレターの日本語部分に
書いてくださった内容の話が出て、面白かった。
以下、ニュースレターから、
ノリさんの文章の引用です。


『拠り所のことを思っていると、正信偈の「依修多羅顕真実」との教えが気になってきたのです。
「修多羅に依って真実を顕す」とは、どういうことか?「修多羅」とは、お経、ブッタの教えのことを言います。
インド語でのスートラの漢訳なんです。余談ですが、こないだフイリピンのお友達がタガログ語にも、
スートラという言葉があり、インドからきたのではと言ってました。
英語でもsuture という言葉、手術用の縫い糸を言うそうです。スートラがシルクロードを渡って広がったのでしょうかね?
おもしろいですね。ところでその「修多羅」との持つ意味は、織物の縦糸という意味です。
過去、現在、未来へと縦に貫いている普遍的なものを表わしているそうです。
もう一方、横糸は、常に、移り変わって行くもの、あてにならないもの、私の生活を表しているようです。
この言葉は、つまり、真実に生きるとは、決して私が「真実」であるかどうかを判断するような「真実」でなくて、
「修多羅」なる未来、現在、過去をつらぬくものを「依」り所にしたときに「真実」なる生き方ができるんだよと、
親鸞は、示唆しているように思えてきます。』


この後にグレタさんの気候変動についてのスピーチや、
今度、パロロ本願寺でスピーチしてくださる
ロバート梶原さんの話や、
植木等の「スーダラ節」のスーダラは
このスートラのことだという話や、
中島みゆきの「糸」の話があったりして面白いのですが、
これを聞いて、そうか、宗教者は縦糸にスートラを思うのか、と
いつもあんまりお坊さんっぽくないノリさんが、
仏教者なんだよなぁと妙に納得。

自分のことで考えてみれば、
スートラを拠り所、という感じではないけれど、
その一部分は「いいなぁ」と思っている。
ただ、スートラだけではなく、
いろんなところのいろんなものから
「いいなぁ」を持ってきて縦糸的にしているようだ。

織物をしたことがある人は知っていると思うが、
縦糸を張るのはとっても手がかかる。
糸の長さを調整したり、
綜絖に一本おきに糸を通したり、
上手に巻き取って、
いい感じの張り具合を保ったり。
縦糸が張れれば、あとはるんるんと
左右に糸を通して織ることができる。

ノリさんのお話に乗って考えるとすると、
縦糸を「これで行こう」と思うまで
結構、大変だし、これで行こう、と思ってからも
いい具合に織り進めるような状態に持って行くまで
ちょいと手間がかかる。
そういう意味では、途中で色を変えたくなったり、
幅を広げたくなったり、
うっかり横糸を引っ張りすぎて、
ひきつれてみたり。
縦糸について思うだけで、いろいろイメージが広がる。

人生が織物に例えられるのも、
むべなるかな、だなぁと思ったのでした。


お寺のこと

2019-09-25 08:29:11 | お寺
日本ではお寺の中の人と話す、
なんてことはまず、無かった。
まさかハワイでこんなにお坊さんたちの
知り合いが増えるとは。

行くと、だれかに会えるという場所としても、
お寺は面白い。
きっと、檀家さんや門徒さんは、
「私のお寺」として、
自分ちの庭や離れのように、
身近なものだったのだろう。
お祝いごとでそこへ行き、
悲しいことがあってもそこへ行き、
故人を偲びにそこへ行く。
仏法を説くわけだから、
生きる指針の拠り所でもあったろう。

コミュニティの「公共の場」でもあり、
親密さと間合いとが
一般的な人間関係や仕事関係とは
異なる場でもある。

昔々、カトリックの教会に
親に連れられて行っていて、
(なんせ幼児洗礼だから)
思春期にさしかかる頃、
「急にwarm heart 過ぎる人々が現れて
妙にチヤホヤと親切な場」という雰囲気が
とても偽善的に思えて、行かなくなったが、
お寺に見える方たちに今の自分が「いい人」的雰囲気を過剰に
表現していないとは言えない。

日曜日のお参りの後はランチサービスなどが
あって、実質的なサポートにもなっている。
一緒に食べることには、大きな意味がある。

公共の場として、お寺をどうしつらえるか。
これも大事だ。
以前、パロロ本願寺の本堂は、
不要なものが溢れて、倉庫化していたり、
窓の前にダンボール類が山積して、
謎の暗闇ができていたりしたそうだ。
この気持ちいい空間ができたのは、
現住職になってからのことらしい。

お寺をどういう場にするか。
住職やお寺に関わる人々の気持ち次第。
良規さんのように、あれだけ大きなものを
託されてしまう場でもあることを考えると、
「預かる」とか
「自分のものじゃないけど、
自分のもののように扱う」的な不思議な所有の仕方や
責務の負い方をする役割でもある。
目指すは「経済的発展」ではなく、「公共」。
経済的発展以外の意味を探せる、
稀有な場所でもあるのだ。
サステナビリティについて、考えるにも最適。

支えているのはボランティアの
「ここをいい場にしたい」という思いなので、
一体、どういうことが「いい場」なのかについても
考えられる。
お寺って、奥が深いなぁ。

「命の深呼吸」上映会やりました

2019-09-23 07:33:46 | お寺
パロロ本願寺、映画上映月間となった9月。
22日、日曜日はドキュメンタリー
「命の深呼吸」の上映会をしました。
英語での名前は「The Departure」
おくりびとと同じタイトルですが、こちらはドキュメンタリー。
「死にたい」と訴える人々の相談に乗り、「死」や「生きる」ことに関わり続ける
臨済宗の僧侶、根本一徹さんの生活を追っている。
根本さんはいのちに向き合う宗教者の会もやっている。
監督は米国人ラナ・ウィルソン。

ハワイの他のお寺で上映会をやったと聞いて、
パロロ本願寺でもどうかな、と思って見つけた。
日本ではDVDがまだないようだが、
こっちでの入手は可能かも!と思って探したら、
Aamazonで16ドルちょっとで買えました。
英語字幕が付いているので、完璧。
パロロ本願寺での催しは、英語がメイン言語とされていて、
日本人が開くものでも、英語通訳が入る。
コミュニティにオープンでなくてはいけないのだから、
当然といえば、当然なことだ。

カウンセラー的な立場で見ると、
自分の身体や家族にかなりな負担をかけながらの
関わりは、大丈夫なのだろうか、継続できるのだろうか、
あるいは安全なのだろうか、と気がかりになる。
けれども、そのように関わられることが
自分にも他者にも
大きなサポートになっている面もある。

命の深呼吸オフィシャルサイトで、
原宿カウンセリングセンターの所長である
信田さよ子さんは
『自殺という重いテーマについて、監督は登場人物を美化せず赤裸々に描き出す。
見る者に残されるのは、ひとは自分を救うために他者を救うのかという問いかけである。』
とおっしゃり、
精神科医の春日武彦さんの、
『ギブアップする場面があって驚かされた。その苦しげな表情。
「死ぬ以外の選択肢」を、自ら体現してみせつつ真摯に向き合う以外に方法はないだろう。
でも、それすら万能ではない。そんなことなど百も承知で、彼は戦い続ける。誰にも真似はできない』
などとするコメントにある通りだ。

「カウンセリング」は
カウンセラーやクライアントの安全を確保して、
どうサポートできるかという枠組みを守る。
そのように関わり合えるセッティングを作る。
コミュニティでの関わりはその外側にある。
カウンセリングでできることは限られている。
彼自身の抱えるグリーフが
グリーフによるエネルギーが
彼を突き動かしているようにも見える。

監督のラナ・ウィルソンさん。
「死にたい」と口にしたら119されちゃう米国から来て、
彼の関わりはどう見えたのかなぁ。

映画終了後、みんなで感想をシェアしたり、
日本から見えた方の手料理と
ノリさんの炊き込みご飯やおみおつけ、
メンバーの方が持ってきてくれたサラダなど
お料理もシェアして、
秋のいっときをシェアしました。

国際平和デー「銀河の雫〜はじまりはひとつ」上映会しました

2019-09-22 10:40:09 | お寺
国際平和デー。
かっこちゃんの「銀河の雫〜はじまりはひとつ」 上映会、
機材トラブルもなく、無事に始まり、
かっこちゃんの子ども時代のお話や
質問に答えての「1/4の奇跡」についてのお話、
終わったあとは
ノリさんのお茶とお漬物でみんなでおしゃべりして、
無事に終了。
言葉にならないなぞのウルウルがやってくるステキな映画です。

カッコちゃんのお話のあと、
リンダ先生がお連れになった、ネパールコミュニティから
いらして下さった女性は、みんなからのリクエストに応じて下さり、
かっこちゃんや小林さんたちも一緒に、映画の中にも出てくる、
旗が風にたなびくさまを歌ったネパールの民謡、
レッサンフィリリを歌って下さいました。

かっこちゃん、小林さん、はるばるいらして下さって
ありがとうございます。
お寺にいらして下さったみなさま、
パロロ本願寺での上映を快くOKして下さった
ホノルルファンデーションのひろ子さん、
突然のお願いにニコニコ
通訳を引き受けて下さったリンダ先生、
お寺を好きに使わせて下さる藤森先生、
受付その他、細々したことを全て
引き受けて下さった操さん、
本当にありがとうございます!
とっても嬉しい時間でした😃

本日のドネーションはかっこちゃんを通じて
ネパールへの支援となります。

寺カフェ、ハックされてパーティ会場に

2019-09-20 21:33:06 | お寺
毎月1回、開催している寺カフェ。
本日は午前中、掃除道の方が日本から見えて、
ホノルルのグループと一緒に
お寺のお掃除をするとのことで、
午後からオープン。

うっかり焼きそびれたバタロールのドーは
お寺で焼くことにして、お気に入りの粉捏ねシートと
オーブンシートとのし棒を持参。

到着後、寺カフェに来てくれていた友人と
バタロールを成形して、二次発酵させていると、
マカハのちえみさんがステイしているお客様と
お昼ご飯を持ってきてくれた。
素晴らしくおいしい、グリーンカレー。
土鍋で炊いてくれたスイートライスがぴったり。

掃除道の方達へ、と差し入れてくれた
チリコンカンもたくさん余っていたので、
こちらもいっぱい。

住職のノリさんや、理事の操ちゃん、
アクセサリー作りを教えにきたユリちゃんや、
ハワイステイを楽しんでいるご夫婦もジョインして、
寺カフェはパーティ会場へと様変わり。

3時半からは、ミイラニさんの「ハワイ語講座」。
ハワイのカルチャーの深いところから掘り起こして、
解説して下さるので、とっても腑に落ちる内容。
ミイラニさん、ハワイ大学でハワイ文化を学び
マスターディグリーを持っていらっしゃる。
クムフラであり、ハワイ語で会話ができる。

みんなでワイワイ言いながら、
ハワイ語が文字を持たなかったこと、
「音」つまりはバイブレーションが大事になることなど教えてもらう。
ハワイ語を学ぶということは、
ハワイアンの方達が世界をどう見ているのかを知ることでもある。
ピジンイングリッシュとの関連など、
話題は多岐に渡り、今後の展開が楽しみ。

お寺がごちゃまぜ化していくのが、
とっても面白い。

命灯会でした

2019-09-11 11:00:03 | お寺
日本での11日、ハワイでは10日が東日本大震災の月命日。
ちえみさんたちのチャリティマッサージ、
今回が99回目。
6時ごろに終わって、7時15分に集まり命灯会を行いました。
ノリさんにお経をお願いして、まずはお詣り。
2本ずつ、ろうそくを灯し、日本時間の2時46分、
ハワイ時間7時46分に合わせて1分間の黙祷。
アメリカでは9.11の前日でもあり、篤さんは星条旗シャツ。
これからロスに向けて出かけるというところに、
奥さまといらして下さいました。

お経が始まると、9月9日が小林真理子さんの命日だったことや、
ビールを買いに行ったKahara Mallのすぐそばに住んでいたまどかさんのことや、
先ほどまでご一緒していた方とKids Hurt Too Hawaiiのヒロさんとのつながりのこと
なんかがどっと押し寄せてきて、ティッシュもハンカチも持たずに席に座ったことを後悔しました。

日本の台風15号の被害のことや
30年ほど前にカウアイ島を襲ったハリケーンで
ノリさんのお寺が吹っ飛んでしまったことなども話題にのぼり、
どこで、いつ、何が起こるか分からないよね、と。

終わった後は操さんが大神宮から頂いてきた
でっかいオナガの魚、
丸ごと一匹を煮魚にして、
みんなでいただきながら、おしゃべりを続けたのでした。
楽しい夜になりました。



Photo by Atushi Takebayashi

Temple Gardening

2019-09-08 13:23:43 | お寺
「下の畑にいます」的な張り紙。
今日のパロロ本願寺のサンデーサービス。
毎週日曜日の礼拝、という感じで
キリスト教会のようだけど、
ハワイではお寺でもサンデーサービスという名前で
毎週日曜日に礼拝の時間がある。

今日はお経をあげたあと、
秘密の花園で作務。
山ほど降り積もった枯葉を集め、
積み上げた落ち葉をゴミ袋に詰め込み、
ゴミの集積所まで運び出すという作業。

テンプルモーニング
の日曜日版。
お寺のメンバーもいるけど、
ガーデニングが得意な人や
ボランティアサービスの
一貫で来た学生も参加。
ワイワイ言いながら葉っぱまみれに
なるのも楽しい。

終わった後はみんなで食事。
お寺で暮らしている、と言われる理由は
ここにもある。お昼時にいると、
何か食べさせてもらえる。
ノリさん特製のむっちゃ美味しいお茶も出てくる。


そんなふうにお寺がいろんな人の
楽しく集まる場所として機能すれば、
どんどん檀家さんがいなくなっていくハワイでも、
お寺がお寺としての存在理由をキープしていけるように思う。
先の松本紹圭さんのブログの「お寺に仏教はない?動的なお寺のとらえ方」にある通り、
いろいろかかわっていくうちに「聖地になっていく」っていう感じがする。

今月は
10日にチャリティ・マッサージ命灯会 (&ボーズバー)
13日に「Beyond the waves」の上映会とUSATO展
20日に「寺カフェ」
21日に「銀河の雫〜はじまりはひとつ〜」上映会と山元加津子監督のお話会
22日に「いのちの深呼吸」の上映会

と、イベントが目白押しです。
ハワイにおいでの際には、よかったらお声をかけて下さいね!
お寺でお目にかかりましょう。

お寺で遊ぶ

2019-09-06 10:59:45 | お寺
パロロ本願寺に住んでいるのではないか、
と言われている。
いっそ、寺女になってしまおうかとも思うが、
まあ、もうちょっと後でもいいかな。
お寺というシチュエーションは
じっくりお話を聞く、というのに
ぴったりなように思う。

今朝はガーデンに参加。
この間の日曜日にボカシを作り、
「やっぱり、ちゃんと自分の食べるものを作ろう」
と思った。トマトが育てたいのだが、手元に
トマトの種はなかったので、きゅうりとズッキーニとを
蒔いた。果たして、芽が出るだろうか?
トマトの苗をDown to Earthにでも行って買ってこよう。

テンプルモーニングなる活動があることを知った。
お寺でお掃除するのもいいなぁと。
松本紹圭さんのnoteも読んで、
一照さんの八九成という言葉も味わい深い。なるほど。
この間会いに行った、佐藤良規さんも地域の
神社とお寺にかかわる人たちをごちゃまぜにするという意味で、
神社のお掃除活動を始めたと聞いた。
すてきなアイディア。

そんなことを思いながら山ほどの実をつけてくれた
マンゴの木から落ちる大量の葉っぱを掃き集める。
隣りのスターフルーツの木からも熟した実や葉っぱが
落ちてくる。なんだかむちゃくちゃ豊かなのである。

ここのガーデンにはツリーハウスがある。
つい、最近、完成したもので、アレヨアレヨという間に
出来上がった、手作りである。
その中でこれを書いているのだけれど、
気持ちのいい風が吹いて、
なんだかお昼寝がしたくなってくる。
これで、生の音楽があったら最高だな。

「銀河の雫〜はじまりはひとつ〜」 上映会やります

2019-09-05 12:49:44 | お寺
お寺にはたくさんの可能性がある。
読み聞かせは曹洞ミッションを使わせていただいているが、
パロロ本願寺では寺カフェや
映画上映会をやらせていただいている。
本堂にはたくさんの椅子が並び、
プロジェクターとスクリーンがあれば、
映画上映にはぴったり。

今回、ホノルルファンデーション
ひろ子さんが山元加津子監督を日本から
お招きし、ホノルルミュージアムで上映会を
やるのに便乗し、お寺でも上映会をとお願いした。
9月21日は国際平和デーでもある。

『僕のうしろに道はできる~奇跡が奇跡でなくなる日に向かって~』
の上映会がUniversity of Hawaiiであったときに
ハワイ報知で取り上げさせていただいて、
とっても印象深かった。
かっこちゃんの物事に対しての
いろいろな解説がとても腑に落ちて、
「なるほどなぁ」と思った。
かっこちゃんのは理学部出身で、
生物の仕組みをわかりやすく伝えるのが
とても上手だ。私も微生物系だったので、心の中で
激しくうなづきながらお話を聞いた覚えがある。
21日も22日も講演会と上映会があるので、
お時間が合うところで、是非!

お寺の可能性はまだまだ広がる。
お寺の本堂の脇にあるキッチンはちえみさんの夫
フランキーとその仲間の方たちの協力で美しく機能的に
生まれ変わり、より多くの人と何かできるスペースになった。
最近ハマってる小麦粉セラピーのワークショップでもやろうかな。