本当の再生
書物、それ自体は死物かもしれないが、その思想を今に生かす者があることで生命を
得る。これが本当の再生というものと言えるだろう。
これまでの人生を振りかえってみて、つくづく思うのは、自分という者は読書によって
形作られたことを痛感する。これまで、子供の時も親・兄弟から躾られたことは誠に少な
い。そして成人になって社会人になってからもほとんど直接に指導をうけた経験が皆無と
いっていいほど、他人との接点が少なかったと思う。
私は、高校三年生になるまで、教科書以外の本や新聞には全く触れる機会、意思がなか
った。高校三年生になって初めて親しい人から勧められた、ヘルマン・ヘッセの「車輪の
下」「聖母の泉」「バア-ミアン」の三冊を読んだ。その衝撃は強いものがあったのです。
初めて読む小説がドイツの作家であったことも奇跡的な出会いであった。
でも、それから直ぐ読書の習慣がついたわけではなく、二十歳代になって職場(出版関係)
への出向があってからである。時には一年間に百冊読んだ年もあった。その経験が今日まで
一応読書家の仲間入りをしたと言っていいかも知れない。対して本格的な難しいものは読ん
でいないが、手当たり次第に随想物を読んでいた。
具体的には誰の書物で何を得て感じたかは、明確にいうことはできないけれども、少しづ
つ精神の形成に沁み込んでいったものであろう。あの高校三年生の友人から本を紹介されて
いなければ、今日までの自分はなかったであろうと思っている。
現在まで良い事そうでないことも出合ったけれど、ほぼ満足の行くこれまでの日々であっ
たと、その友人に感謝している。直接感謝を伝えてお礼を申し上げたいけれど、それも叶わ
ぬなら、せめてこの機会に文字としておきたいと思ったのである。あなたのお蔭て今日があ
ります。ありがとうございました。