K氏と共に気仙沼に住む大学時代の友人Y氏のもとへ。震災の日から1ヶ月は避難所生活、その後アパートに戻れたという。アパートは津波の高さよりも若干高い場所にあったのが幸いし、財産などを失うことはなかったようだが、この5ヶ月の間に経験してきた凄まじい生活のことを詳しく教えてくれた。激励に行ったつもりが、気丈に振る舞うY氏の言動に、逆に自分も頑張らなければと考えさせられた。写真は20年前3人で訪れた陸中海岸国立公園 気仙沼湾。公園内の施設の多くは波にさらわれていたが、お相撲さんのモニュメントは津波に耐え、復興のシンボルになっているという。
地盤が沈下したため、魚市場は周辺は水没と破壊の状況。
海岸近くの高等学校校舎。3階部分まで津波がきたことが分かる。地盤が沈下したため溜まった水が引くことはなく沼化していた。
火災が起きた地域。警察車両も多く、行方不明の方を捜索していた。
海から800mも内陸に流されてきた大型の船。このまま保存されるという話もあるらしい。わたしたちも復興のために継続して取り組めることに少しずつチャレンジしていきたい。