喜びもそういう時あるけど
悔しさってジワジワくる時がある。
仕方ないと割り切ったつもりでも
知らぬ間にずっと振り返ってしまっている。
悔しさが後から増幅してくる。
子どもたちにも全力サポートして頂いたスタッフにも申し訳ない。
親御さんにも。
A監を受けるべきではなかったのではないかと自責の念に苛まれる。
子どもたちの力を発揮させられなかったのもそうだが、試合後、グラセンに1人も出てこないチームに負けたってことが悔しくてたまらない。
最後の大会に向けての試合内容振り返りは寒い中子どもたちに話した。
しかし、嫌な予感がしたのは朝早く起きてしまい(正しくは一度目が覚めて眠れなかった)時間的に余裕があったにも関わらず、自転車をグランドに向かっている途中でやっぱり積んでおいた方が良いかなと思った事だった。引き返すにはどうだろっていうぐらいの時間と距離だったので嫌だなぁと。
やはり、案の定であった。
予定では車を停められる予定で行動していた。監督会議で普段使用しないチームには工事中だと注意を一言欲しかった気もするのだが。
結局歩く羽目になって試合前の精神的、肉体的、物理的な準備に備えられなかったことだ。
時間の余裕がありそうでなかった。
野球技術的には当日の朝に突然上手くなるわけではない。
試合当日はやってきたことを100%発揮させるお膳立てと十二分の成果が出るようにサポートすることだ。
それが足りなかった。
試合前コーチ陣の活用法も甘かった。人数が揃っていたのに稼働率が悪かった。
やはり率先して動けるのはベテランなのだと感じた。外部大会や試合前準備に不慣れな指導者に指示が出来なかったのは今更ながら大きな反省だった。
子どもたちもA監が見当たらないことで心の中に自分でも気付かない小さな不安があったに違いない。
外部大会限定のゲームキャプテンは機能したのだろうか。
私は効果はあったと思っている。
本人もやろうとしていた。
周りもお前がキャプテンだろ的なところはあった。
そして今回外れた選手や周りの選手の声が出始めている。
だが、六年生全体にキャプテンとはなんぞやという意識がまだ薄く感じる。本人も周りも意識が低いのは時代なのか、そうではないと思うのだが。
育てたように子は育つ。私が甘いのと同じように子どもたちも甘いのだろう。
キャプテンシーって生まれ持って持ち合わせるものなのか、環境で育てられるものなのか。
意識で変わると思っている。
バラバラになった心をひとつにと思ってやって来たがまた一段上に上がらなくてはならない。
より良いチームになっていくために。
大会敗退の話に戻るが、
試合前コミュニケーションで戦術の意味をもっと浸透させておくべきであったとしみじみ反省している。
試合時間もあったが、守備の、攻撃の、タイムをそれぞれ効果的に取れたのではないかとも。
しかし、子どもたちは確実に成長していてミーティングで少しだけ触れたがもっと肯定するところも強調すべきだった。
子どもたちは肯定されることで安心して前に進める。私もまだまだです。
いずれにしろこの時期は紙一重が大きな差となってしまうことを改めて認識させられた。
残された一つの試合。
子どもたちが悔いのない全出力ができるようにしたい。