ホリデー快速奥多摩行きはとても混雑していた。
奥多摩駅に着くと、到着した電車から降りてきた大勢の登山客で駅前広場はごった返していたよ。仮設のトイレも長蛇の列だ。
溢れかえった登山客の群れの中に、青いウインドブレーカーを着た見覚えのある体形を見つけた。今日一緒に走っていただく自転車仲間のIWAさんだ。
「IWAさん!」
「おはようございます」
「いまの電車で来たんですか」
「いえ、もっと前に着いていました。もう自転車も組んであります」
「ずいぶん早いですね」
混雑するホリデー快速を避けて前の電車に乗ったら早く着いたという。
すごくいい天気だ。
氷川大橋の先にあるコンビニで水とおにぎりを買って出発。(コンビニはこの先塩山まで一つもない)
国道411号・青梅街道桧村橋のすぐ手前から奥多摩むかし道(旧青梅街道)ヘ入るよ。奥多摩湖までの国道は行楽日和で車が多そうだし、古く狭いトンネルがたくさんあるからね。
みみ爺は、奥多摩むかし道には以前4回訪れている。鶴峠、風張峠、松姫峠を訪ねたとき。それと小河内ダムから奥多摩駅まで山道も含め全線を歩いたときだ。何度来てもいい道だと思う。
「IWAさんは来たことがありますか」
「ないと思います」
一部砂利道もある。以前来たときよりもなんとなく荒れているような気がする。この秋に来た大きな台風のせいだろうか。
「いい道ですね」
と、IWAさん。
「あれ??、吊橋ありましたっけ?」
と、みみ爺。
「途中で一つ見えましたよ」
路面の凸凹を気にして走っているうちに、ダムの手前で道が突き当たり、折り返すように国道へ上って行くところまで来てしまった。うっかり、しだくらの吊橋も道所の吊橋も通り過ぎてしまったんだ。…IWAさんにその二つの吊橋を見て渡ってほしかったんだが。
奥多摩むかし道から国道(青梅街道)へ出て、奥多摩湖の手前のちょっと長めの中山トンネルをぬけたあたりから野生のサルを何度も目にする。電線にも、山の斜面にも、木の枝にも。サルは人馴れしているようで、すぐそばでカメラを構えても逃げようとする様子もないよ。
奥多摩湖だ。水はとても濁っている。地元の人に聞くと、
「濁りが取れるのは、年内は無理だね」
「やっぱり台風ですか」
「そう、台風で」
ここにも台風の影響が残っているんだ。
しかし大きいなあ。静かな眺めだなあ。
「最高にいい天気ですね」
「すばらしいですね」
銀杏の葉の黄葉が輝くばかりだよ。
湖面はどこまでも静かだ。
鮮やかな峰谷橋だ。
日曜日だからかオートバイが多い。ものすごい爆音を撒き散らして追い越していく集団もいる。
前方の橋は麦山橋だね。
松姫峠や奥多摩周遊道路の風張峠へ向かう深山橋の前を過ぎてからは、車やバイクの数がいくらか少なくなったようだ。
右手の鴨沢橋から山梨県に入る。東京都との県境だね。
鴨沢橋からの景色だよ。もみじが真っ赤に紅葉している。
道は少しずつ上っているが、まだそれほどきつい勾配でもない。紅葉に彩られた山々の景色を楽しみながら淡々とペダルをこぐ。天気もいいし気分は最高だよ。
きつい勾配が時々現れるが、気分はいい。青い空、まぶしい日差し、紅葉の山々。たまらん。
そろそろ丹波山村だ。
江戸時代には青梅街道は大菩薩峠を越えて甲府に至る道だったが、この丹波山村から大菩薩峠へ向かったのだろうか。それにしても大菩薩峠はそうとうな難所だっただろうなあ。むかしの旅人は、きっと命がけで旅をしたんだろう。
柳沢峠を越えて甲府へ至る現在の青梅街道は明治11年(1878)に開通されたそうだよ。
川の水がきれいになってきたよ。
丹波山村を過ぎると、道はいよいよ本格的な上りになってきたよ。みみ爺の自転車はとたんにスピードが落ちる。
ペダルをこぐのがつらくなると、気を紛らわせるために山の紅葉に目を向けるんだ。すると不思議とつらさを忘れることができる。
川の姿が細く急流になってきたね。
みみ爺のスピードが遅くなり、IWAさんが前へ出る。
たまらず一休みだ。
左手の崖下を覗くが、ガードレールが低いのでちょっと怖いよ。
急流を下る川がとてもきれいだ。心地よい水の音もたえず聞こえてくるよ。
上りは果てしなく続く。何でこんなに辛い思いをしてまで峠道を走ろうと思うのかと、ペダルをこぎながら自分に問う。心が折れかかっている証拠だ。
新しいトンネルをいくつもぬけた。中には勾配もきつく、くねくねと曲がっていて出口が見えず、距離の長いのもある。その長いトンネルの中をよちよち上っているときに、オートバイの集団が追いかけてきて、すさまじい爆音に身の縮む思いがしたよ。
眼下の水の流れと紅葉が美しい。なんだかんだと言っても、やっぱり来てよかったと思う。
お腹がすいた。
ここでちょっと遅いお昼をいただくことにしたよ。
「まだ半分ですね」
IWAさんが上りの距離のことを言う。
「3時までには峠に着けますかね」
と、みみ爺。
この時季日が暮れるのが早い。3時ぐらいに峠に着ければ、あとは下りだから時間はかからない。暗くなる前には駅まで行けるだろう。
IWAさんの自転車だよ。軽そうでいいなあ。
「奥入瀬渓谷みたいだ」
と、IWAさん。みみ爺は写真でしか見たことがないが、そんな感じだ。
「あそこまで上れば平になるかな」
急勾配が現れるたびに、みみ爺は何度もそんなことを口にする。
「平になりましたね」
と、みみ爺。
「平に見えるけど、上ってますね」
と、IWAさん。
山の稜線が低くなってきたね。標高は1200~1300メートルは超えているだろう。
もうすぐだ。
最後の力を振り絞ってペダルを踏むよ。
「よいしょ、よいしょ」
つい口からこぼれる。
なんとなく峠が近い雰囲気だよ。
ああ、やっと峠に着いたよ。峠の碑がある。なんだかとてもうれしい。
傍目なんか気にしちゃいられない、みみ爺はここで上半身裸になって、汗でびっしょり濡れたシャツを2枚取り替え、その上からウインドブレーカーも2枚重ねて着たよ。手袋も用意してきた冬用の厚手のやつに替えた。上って来たばかりで体はまだ温かいが、気温がかなり低いから、下りはきっと恐ろしく寒いに違いない。
富士山を展望できる場所があった。車やバイクで上って来た人たちがたくさん集まっているよ。遠くに見える富士の姿に、「オーッ」とか「ウワァー」とか声を出している。みみ爺もたぶんそんな声を出してはしゃいでいたかもしれない。
さあ、いよいよ20キロの下りだ。
下っていく途中も富士山がきれいに見えるよ。
あまりにきれいな眺めなので、ついカーブの途中で自転車を止めると、
「カーブの途中で止まっていると危ないですよ」
と、IWAさんに注意される。
下りはものすごく寒いよ。体が寒さでガチガチに固まってしまう。これは危ない。ハンドルを握る腕の動きがぎこちない。
ずっとブレーキをかけっぱなしなので手は痛くて、もう強くレバーを握れない。
橋が大きくカーブしている。
5年前の9月、上日川峠から下ってくる途中で遠くからこの橋の姿を見た。そのときから、いつかあの橋を渡ってみたいと思っていたんだ。それがいま実現した。思っていたとおり、迫力のあるすばらしい橋だよ。
橋の下を覗いて見たら恐ろしく高い。
西に傾いた午後の日が山々を明るく染めているよ。
旧道(?)へ入ると、こんな古い橋もあり静かでいい。
番屋橋という小さな石橋のたもとに水場があったよ。
「この水は、長い年月を経て風化した花崗岩や砂礫を幾重にも透しては流し、この番屋の地に湧き出た真清水です」と案内が書かれている。
長い時間かけて大菩薩の地下を旅して湧き出た水は、飲んでみると、とてもまろやかで美味しい水だったよ。
西日が山々を夕日色に染めている。まるでみみ爺の頑張りを褒めてくれているような優しい景色だよ。
峠付近では震えるほど冷たかった空気が、下へ下りて来たらだいぶ暖かくなったよ。
塩山やまが見える。駅はもうすぐだ。暗くなる前にたどり着けてよかった。
塩山駅の前に、甲州民家・旧高野家住宅がある。その大きさ、優雅さが目を引く。江戸幕府の命を受けて漢方薬の原料「甘草」を栽培していたことで甘草屋敷と呼ばれているそうだよ。見学することはできるが、開館が9:00~16:30までで、みみ爺たちが自転車を止めようとしている目の前で入り口を閉められてしまったんだ。
今日は一日秋晴れのいい天気に恵まれてよかったよ。
峠までの長くきつい上り坂、その峠からの恐ろしく寒い下り坂。でも、多摩川の源流近い流れの姿も紅葉も美しく、そして峠から眺められた富士山もじつにきれいで、ほんとに楽しかった。これだから自転車はやめられない。みみ爺はまだまだ頑張るぞ!
IWAさん、一日ご同行ありがとうございました。お疲れ様。
奥多摩駅に着くと、到着した電車から降りてきた大勢の登山客で駅前広場はごった返していたよ。仮設のトイレも長蛇の列だ。
溢れかえった登山客の群れの中に、青いウインドブレーカーを着た見覚えのある体形を見つけた。今日一緒に走っていただく自転車仲間のIWAさんだ。
「IWAさん!」
「おはようございます」
「いまの電車で来たんですか」
「いえ、もっと前に着いていました。もう自転車も組んであります」
「ずいぶん早いですね」
混雑するホリデー快速を避けて前の電車に乗ったら早く着いたという。
すごくいい天気だ。
氷川大橋の先にあるコンビニで水とおにぎりを買って出発。(コンビニはこの先塩山まで一つもない)
国道411号・青梅街道桧村橋のすぐ手前から奥多摩むかし道(旧青梅街道)ヘ入るよ。奥多摩湖までの国道は行楽日和で車が多そうだし、古く狭いトンネルがたくさんあるからね。
みみ爺は、奥多摩むかし道には以前4回訪れている。鶴峠、風張峠、松姫峠を訪ねたとき。それと小河内ダムから奥多摩駅まで山道も含め全線を歩いたときだ。何度来てもいい道だと思う。
「IWAさんは来たことがありますか」
「ないと思います」
一部砂利道もある。以前来たときよりもなんとなく荒れているような気がする。この秋に来た大きな台風のせいだろうか。
「いい道ですね」
と、IWAさん。
「あれ??、吊橋ありましたっけ?」
と、みみ爺。
「途中で一つ見えましたよ」
路面の凸凹を気にして走っているうちに、ダムの手前で道が突き当たり、折り返すように国道へ上って行くところまで来てしまった。うっかり、しだくらの吊橋も道所の吊橋も通り過ぎてしまったんだ。…IWAさんにその二つの吊橋を見て渡ってほしかったんだが。
奥多摩むかし道から国道(青梅街道)へ出て、奥多摩湖の手前のちょっと長めの中山トンネルをぬけたあたりから野生のサルを何度も目にする。電線にも、山の斜面にも、木の枝にも。サルは人馴れしているようで、すぐそばでカメラを構えても逃げようとする様子もないよ。
奥多摩湖だ。水はとても濁っている。地元の人に聞くと、
「濁りが取れるのは、年内は無理だね」
「やっぱり台風ですか」
「そう、台風で」
ここにも台風の影響が残っているんだ。
しかし大きいなあ。静かな眺めだなあ。
「最高にいい天気ですね」
「すばらしいですね」
銀杏の葉の黄葉が輝くばかりだよ。
湖面はどこまでも静かだ。
鮮やかな峰谷橋だ。
日曜日だからかオートバイが多い。ものすごい爆音を撒き散らして追い越していく集団もいる。
前方の橋は麦山橋だね。
松姫峠や奥多摩周遊道路の風張峠へ向かう深山橋の前を過ぎてからは、車やバイクの数がいくらか少なくなったようだ。
右手の鴨沢橋から山梨県に入る。東京都との県境だね。
鴨沢橋からの景色だよ。もみじが真っ赤に紅葉している。
道は少しずつ上っているが、まだそれほどきつい勾配でもない。紅葉に彩られた山々の景色を楽しみながら淡々とペダルをこぐ。天気もいいし気分は最高だよ。
きつい勾配が時々現れるが、気分はいい。青い空、まぶしい日差し、紅葉の山々。たまらん。
そろそろ丹波山村だ。
江戸時代には青梅街道は大菩薩峠を越えて甲府に至る道だったが、この丹波山村から大菩薩峠へ向かったのだろうか。それにしても大菩薩峠はそうとうな難所だっただろうなあ。むかしの旅人は、きっと命がけで旅をしたんだろう。
柳沢峠を越えて甲府へ至る現在の青梅街道は明治11年(1878)に開通されたそうだよ。
川の水がきれいになってきたよ。
丹波山村を過ぎると、道はいよいよ本格的な上りになってきたよ。みみ爺の自転車はとたんにスピードが落ちる。
ペダルをこぐのがつらくなると、気を紛らわせるために山の紅葉に目を向けるんだ。すると不思議とつらさを忘れることができる。
川の姿が細く急流になってきたね。
みみ爺のスピードが遅くなり、IWAさんが前へ出る。
たまらず一休みだ。
左手の崖下を覗くが、ガードレールが低いのでちょっと怖いよ。
急流を下る川がとてもきれいだ。心地よい水の音もたえず聞こえてくるよ。
上りは果てしなく続く。何でこんなに辛い思いをしてまで峠道を走ろうと思うのかと、ペダルをこぎながら自分に問う。心が折れかかっている証拠だ。
新しいトンネルをいくつもぬけた。中には勾配もきつく、くねくねと曲がっていて出口が見えず、距離の長いのもある。その長いトンネルの中をよちよち上っているときに、オートバイの集団が追いかけてきて、すさまじい爆音に身の縮む思いがしたよ。
眼下の水の流れと紅葉が美しい。なんだかんだと言っても、やっぱり来てよかったと思う。
お腹がすいた。
ここでちょっと遅いお昼をいただくことにしたよ。
「まだ半分ですね」
IWAさんが上りの距離のことを言う。
「3時までには峠に着けますかね」
と、みみ爺。
この時季日が暮れるのが早い。3時ぐらいに峠に着ければ、あとは下りだから時間はかからない。暗くなる前には駅まで行けるだろう。
IWAさんの自転車だよ。軽そうでいいなあ。
「奥入瀬渓谷みたいだ」
と、IWAさん。みみ爺は写真でしか見たことがないが、そんな感じだ。
「あそこまで上れば平になるかな」
急勾配が現れるたびに、みみ爺は何度もそんなことを口にする。
「平になりましたね」
と、みみ爺。
「平に見えるけど、上ってますね」
と、IWAさん。
山の稜線が低くなってきたね。標高は1200~1300メートルは超えているだろう。
もうすぐだ。
最後の力を振り絞ってペダルを踏むよ。
「よいしょ、よいしょ」
つい口からこぼれる。
なんとなく峠が近い雰囲気だよ。
ああ、やっと峠に着いたよ。峠の碑がある。なんだかとてもうれしい。
傍目なんか気にしちゃいられない、みみ爺はここで上半身裸になって、汗でびっしょり濡れたシャツを2枚取り替え、その上からウインドブレーカーも2枚重ねて着たよ。手袋も用意してきた冬用の厚手のやつに替えた。上って来たばかりで体はまだ温かいが、気温がかなり低いから、下りはきっと恐ろしく寒いに違いない。
富士山を展望できる場所があった。車やバイクで上って来た人たちがたくさん集まっているよ。遠くに見える富士の姿に、「オーッ」とか「ウワァー」とか声を出している。みみ爺もたぶんそんな声を出してはしゃいでいたかもしれない。
さあ、いよいよ20キロの下りだ。
下っていく途中も富士山がきれいに見えるよ。
あまりにきれいな眺めなので、ついカーブの途中で自転車を止めると、
「カーブの途中で止まっていると危ないですよ」
と、IWAさんに注意される。
下りはものすごく寒いよ。体が寒さでガチガチに固まってしまう。これは危ない。ハンドルを握る腕の動きがぎこちない。
ずっとブレーキをかけっぱなしなので手は痛くて、もう強くレバーを握れない。
橋が大きくカーブしている。
5年前の9月、上日川峠から下ってくる途中で遠くからこの橋の姿を見た。そのときから、いつかあの橋を渡ってみたいと思っていたんだ。それがいま実現した。思っていたとおり、迫力のあるすばらしい橋だよ。
橋の下を覗いて見たら恐ろしく高い。
西に傾いた午後の日が山々を明るく染めているよ。
旧道(?)へ入ると、こんな古い橋もあり静かでいい。
番屋橋という小さな石橋のたもとに水場があったよ。
「この水は、長い年月を経て風化した花崗岩や砂礫を幾重にも透しては流し、この番屋の地に湧き出た真清水です」と案内が書かれている。
長い時間かけて大菩薩の地下を旅して湧き出た水は、飲んでみると、とてもまろやかで美味しい水だったよ。
西日が山々を夕日色に染めている。まるでみみ爺の頑張りを褒めてくれているような優しい景色だよ。
峠付近では震えるほど冷たかった空気が、下へ下りて来たらだいぶ暖かくなったよ。
塩山やまが見える。駅はもうすぐだ。暗くなる前にたどり着けてよかった。
塩山駅の前に、甲州民家・旧高野家住宅がある。その大きさ、優雅さが目を引く。江戸幕府の命を受けて漢方薬の原料「甘草」を栽培していたことで甘草屋敷と呼ばれているそうだよ。見学することはできるが、開館が9:00~16:30までで、みみ爺たちが自転車を止めようとしている目の前で入り口を閉められてしまったんだ。
今日は一日秋晴れのいい天気に恵まれてよかったよ。
峠までの長くきつい上り坂、その峠からの恐ろしく寒い下り坂。でも、多摩川の源流近い流れの姿も紅葉も美しく、そして峠から眺められた富士山もじつにきれいで、ほんとに楽しかった。これだから自転車はやめられない。みみ爺はまだまだ頑張るぞ!
IWAさん、一日ご同行ありがとうございました。お疲れ様。