天 狗 裁 き
【主な登場人物】
喜八 女房お咲 隣りの徳さん 家主 奉行職 鞍馬の天狗
【事の成り行き】
今はもう仮隠居ですんで錯乱することもなくなりましたが、と言うよりど
うでもよくなりましたが、仕事を持ってるときには朝目覚めた寝床の中「今
日は何曜日だったか?」と、半ボケの頭で確認したのを思い出します。
直前の夢が楽しげなもので、それを引きずりながら起きた日曜日の朝には
「楽しい時間が終わって、ひょっと今日は仕事が……」しばし、記憶をたど
り「きのうは土曜日だったのだから今日は日曜日、休みの日」安心したよう
な、儲けたような気持ちになって二度寝にかかります。
逆に仕事に追われ、得意先から電話で叱責されてる悪夢の途中で起こされ
た月曜日「あぁ、今のは夢だった。夢でよかった……」と、次の瞬間、一週
間の始まりという現実の追い討ちにウツな気持ちになってしまう。こんな夢
を毎週のように繰り返し見ていたような気がします。
今現在、そんな楽しい夢も悪夢も、夢であったのか現実であったのかも、
そんなもんどっちでも構わん毎日ですけど(2004/04/18)。
* * * * *
夢といぅものを、やっぱり年とともに見んよぉになりました。若いときは
よぉ夢見たもんでございますが、段々だんだん夢がないよぉなってもたんで
すなぁ。
常々思てることを夢に見るといぅことをよぉ申します「酒が呑みたいなぁ、
呑みたいけども金がないしなぁ」と思てると、よそから上等のお酒をもろぉ
た夢を見る「この酒はうまいんやでぇ、えぇ酒や」て、楽しんでこぉお燗を
つけてるあいだに目が覚めてしもてね「冷やで呑んどいたらよかった」てな
ことを考えるんですなぁ。
金が欲しぃほしぃと思いながら道を歩いてると、昔の一両の小判が落ちて
ます「こら値打ちもんや、ありがたい」と拾らおとすると、これが冬の話で
ガチッと地べたへ凍り付いてはがれてくれまへんねや。叩き割ろぉと思て見
ても、石もなければ棒ぎれもないし、そこで考えましてな。
温度でこれを解かそぉといぅ、ジャ~ジャ~ジャ~ジャ~小便を引っ掛け
て氷を解かして小判を拾いあげて「やれ嬉しや」と思た途端に目が覚めてね、
小判が夢でションベンはホンマもんやった、といぅよぉな。これがまぁ一番
情けない夢でございますが。
いろんな夢があるもんで、夢を扱いました噺といぅのがいろいろあるんで
すが、わたし一つだけ、これ江戸時代からある何百年も前の小噺ですけど、
ビクリするよぉな噺があるんですねぇ。
●夢見たで
■どんな夢や?
●ナスビの夢を見た
■そらゲンのえぇ夢やなぁ、一富士、二鷹、三ナスビちゅうて、お前ナスビの夢はゲンがえぇっちゅうねや
●大ぉ~きなナスビやったんや、それが
■ほぉ、これぐらいあったんか?
●そんなもんやあれへんで
■牛ぐらいあったか?
●牛ちゅなもんやない。
■え? この家ぐらいあったんか?
●この家てなもんやない
■この町内ぐらいあったか?
●この町内ぐらいてなもんや……
■どこまでいくねん、お前。
どれぐらい大きぃナスビやったんや?
●そやなぁ……、まぁものに例えたら
「暗闇にヘタ付けたよぉな……」
SF的な落語でございます。人間、よぉこんなこと考えたなぁと思うぐら
い。これがまぁ一番大きな夢の話でございますが。
夢と現(うつつ)の境目といぅものがありまして、人間あぁいぅときに自分
では覚えてませんがあんまりスカタンやらんもんでして、夜中に便所へ立っ
たりしたときにでも電気を点けたり消したり、戸ぉ開けたり閉めたり、戸締
まりしたり、やるべきことはちゃ~んとやってますねんけど、なんにもトイ
レ行ったちゅうことも覚えてませんねやなぁ。でももぉ、あんまり間違ごぉ
たことはやってないもんです。
寒い晩に男が二ぁ人、あいにく布団がひと組よりない「色気のない話やけ
ど、一緒に寝よか」ちゅうわけで、野郎同士が布団かぶって寝てると寒いも
んでっさかいな、どぉしても自分のほぉへガ~ッと布団引っ張りますわ。
ほな、隣りに寝てるやつが背中が出て寒(さ)ぶなってね、これがもぉ夢現
で勝手に布団をグ~ッとおのれのほぉへ引っ張る。ほな、こっちが背中が出
る、寒ぶい。こいつがまた無意識に自分のほぉへグ~ッと引っ張る。
こっちが引っ張って、こっちが引っ張って、夜通しこんなことしててヘト
ヘトにくたびれてしまいよった「あぁしんど、おいいっぺん起きて休もか」
何がなんや、わけが分からんよぉなります。不思議なことがあるもんで。
寝言を言ぅ人が世間にはあります。あれ、寝言に相手になると返事する場
合がある。露の五郎といぅ噺家がおりまして、あれはよぉ寝言言ぃまんねん。
昔ねぇ、若い時分に独りで家賃よぉもたんもやさかい二人で二階借りしてた
ことがある。
昼寝でも寝言言ぃまんねんさかいね、あいつわ。こっちが手紙か何か書い
てる横手で「そらいかんやないかい!」ビックリして横見たら寝てまんねん。
「どないしたんや?」ちゅうたら「○×◇△×◎……」「何がいな?」「○
×◇△×◎……」よぉ聞ぃたら全部寝言でんねんこれが。
これが有名になりましてね
「あいつよぉ寝言言ぅさかい、寝言でいろんなこと聞き出そ」
てなこと企むやつがおった。
酒弱いさかいちょっとビール一本も呑んだら寝てしまうんで、横でわぁわぁ言ぅてたら寝言言ぃだす
「どないしたんや?」
「○×◇△×◎……」
「それから」
「○×◇△◎……」
こっちが上手に聞くと、内緒話でも女のことでもみなしゃべってしまいよ
る。面白がってそんなことしてたら林家染丸さんちゅうて先輩が
「そんなことしてたらいかんねん。そぉいぅことしたら人間頭がおかしぃなるさかい、
そんなことしたらいかん」ほんでまぁ、やめたんですが……。まぁ彼の場合
はちょっとやめよぉが遅かったよぉな気がするんでございます。
あれが先年ねぇ、北海道で倒れたことがありました。脳梗塞いぅ病気になっ
てね、ホントにうまいこと助かって、今元気になりましたが、その時にもの
が言えんよぉなりましてね「あぅあぅ、あぅ」言ぅてる。嫁はん、じきに北
海道飛んで行って介抱してたんですが、寝言はハッキリもの言ぃまんねん。
わたしねぇ、こんなことはあるのかと思てビックリしたんですが、事実ら
しぃんです「どこの楽屋やこれは?」とか、言ぅてるらしぃ。嫁はんビック
リして「先生(せんせ)ちゃんとハッキリもの言ぃました」お医者はんも「そ
んなはずはないんじゃがなぁ」ちゅうて起こしてしゃべらしてみたら、やっ
ぱり「あぅあぅ、あぅ」
どぉも命令系統が違うらしぃんですがね、お医者はんも「こぉいぅケース
は初めてです」言ぅたはったそぉですが、まぁホントに元気になりまして相
変わらず毒舌を戦わして、しょ~もないこと言ぅてますわ「あのままおった
ほぉがえぇんやないか」みな言ぅぐらいでね。しょ~もないことしゃべっと
りますが。
だいたい人の寝てるところをこぉ横手で見てるといぅのは、面白い優越感
があるんですなぁ。相手は見られてるといぅことを知りまへんねん。こっち
は見てるんやさかいね、なんかこぉ、面白いもんですなぁ。
●ちょっと、あんた、そんなとこ転寝(うたたね)してたら風邪ひきまっせ。
何ちゅう顔や、誰やったかいなぁ「男の寝顔いぅたら可愛(かい)らしもんや」
言ぅてたけど、何がかいらしのん。うちのおっさんの寝顔だけは不都合すぎ
るなぁ……
●締まりのない顔……。鼻から提灯出して、また提灯、また提灯……、お祭
りの夢でも見てんねんな、この人。提灯ば~っかり出して。また提灯……、
あぁ~ッ引っ込めてしもたわ。お祭りの途中で雨が降ってきたんやなぁ、提
灯出したり入れたりしてるがな……。大ぉ~きな提灯、あぁ~ッ提灯が破れ
て中から蝋(ろぉ)が流れてきたがな。
●難しぃ顔して何やブツブツ言ぅてるわ……、へ~ッうなされてるんやわこ
の人。おぉおぉ今度はまたニタ~ッと笑ろて、どんな夢見てんねやろなぁ?
この人いったい……、あッ今度はまた真面目な顔になってきたやないか。
●ちょっと! ちょっとあんた起きなはれ、ちょっと!
■う~っ、わ~~ぅ。寝てたなぁ
●「寝てたなぁ」やないがなこの人わ。あんた今いったいどんな夢見てたん?
■え?
●どんな夢見てたんや?
■わい、夢なんか見てへんがな
●見てたがな、あんた難しぃ顔してブツブツ言ぅてるかと思たらニタ~ッと
笑ろたりして、かなり面白そぉな夢やったやないの。な、ちょっと言ぅてぇ
な。
■おら何ぼ考えても、夢なんか見た覚えはないんやがなぁ
●見てたて
■見てへんっちゅうてんねん
●ほな、わたしに言えんよぉな夢見てたんか、あんた
■そんなおかしなこと言ぅな、見てたら言ぅがな。見てへんさかい見てへん
ちゅうてんねがな。
●見てたがな、あんたがどんな夢見てやで、なんぼ悋気(りんき)しぃでも、
そんなことでゴジャゴジャ言ぅかいな「アホな夢見なはんな」ワ~ッと笑ろ
たら、それでしまいやないかいな。あんたが隠し立てするから……
■何が隠し立てや、見てへんさかい見てへんちゅうてんねんやがな
●あそぉ。
言ぃとなかったら言わいでもえぇがな……、だいたいあんた昔からそやねん、
水臭ぁいとこがあんねわ。ちょっと夢の話ぐらいしてくれても……、わてが
こないして貧乏所帯やりくりして……
■何を言ぃだすんや、見てへんさかい見てへんちゅうてるんやないかい。あ
んまりわけの分からんことぬかしてけつかったら、ボ~ンといくぞ
●ふん、
ちょっと自分が都合悪なったらボ~ンといくやなんて、どつくなと蹴るなと
えぇよぉにしたらえぇがな
■「蹴るなと……」よ~し、土性骨(どしょっぽね)に入るよぉにしたるねんさかい
●どぉにでもしなはれ、いっそ殺せ、さぁ殺せ!
■何~ッ、殺したらッ!
* * * * *
▲ま、待てまて、待てぇ。もぉ、よぉもめる夫婦(みょ~と)やなぁ、お前と
こは……
■徳さん、すまん
▲「すまん」やあるかい、お前とこはホンマに道楽や楽しみでやってんのんか知らんけども、近所のもんの身にもなれ。夫婦
喧嘩は犬も食わんぐらいのことは知ってるわい、またかと思ても「さぁ殺せ」
てな声聞ぃたら、ほっとくわけにいかんやないか。
▲お咲さん、ワァワァ泣いて涙で白粉(おしろい)斑(まんだら)になったぁる
やないか、どないした?
●まぁ兄さん聞ぃとくなはれ。この人な、昔から薄
情なところのある人やとは思てましたけどな、今日といぅ今日は……
▲今日
といぅ今日はどないしたんや?
●この人ここで昼寝してまんねやがな、こんなとこで転寝して風邪ひぃたら
いかんさかい、起こそぉと思てヒョッと横見たらな、難しぃ顔してブツブツ
言ぅてるかと思たら、ニタ~ッと笑ろたりして、何か面白そぉなを夢見てま
んねん。
●で、起こして「どんな夢見たん? 言ぅてくれ」言ぅたら「夢なんか見て
へん」とこない言ぃますさかいな「この人がどんな夢見よぉと、わてが何ぼ
悋気しぃでも夢のことでゴジャゴジャ言えへん、ワッといっぺん笑ろたらし
まいやないか。ちょっと言ぅてくれ」言ぅのに「夢なんか見た覚えない」や
なんて、わ~~ッ……
▲それで「さぁ殺せ」までいくのんか、お前とこわ……。長生きせぇもぉ。
お前とこはなぁ、子どもがないさかい、そんな気楽なこと言ぅて喧嘩してら
れんねやホンマに……。うちのお芳がな、欠き餅焼いてるさかい、向こぉ行
て欠き餅食ぅて茶ぁ飲んで、世間話でもして機嫌直しといで。行てこい行て
こい、あんまりしょ~もないことで世話焼かすんやないで。
■徳さん、いつもすまん
▲「いつもすまん」やあるかいホンマにあほらしぃ。
この嬶(かか)も、夢の話をしてくれへんさかいいぅてワァワァ泣いて「さぁ
殺せ」やなんて……。せやけど、お前、ホンマはどんな夢見てたんや?
■わいなぁ、何ぼ考えても夢なんか見た覚えはないねん
▲えぇがなえぇがな、たまには女房に言ぃにくい夢見ることもあるわい。わしゃ誰にも言えへんがな、わしだけちょっと……
■見てたらあいつに言ぅてるがな、何ぼ考えても
わしゃ夢見た覚えはないねや。
▲わしはなぁ「これは誰にも言わんといてくれ」と言われたら、どんなこと
があってもしゃべらんだけの腹持ってるつもりや。ちょっと……
■分からんやっちゃなぁ。見てへん夢の話はしゃべりよぉがないやろがな
▲あぁそぉか、お前とわしとは何や?
■大きな声出さいでもえぇがな。小さい時分からの友達や。
▲せやろ、たいがい古い付き合いやぞ。遠い親類より近い他人ちゅう言葉が
あるんじゃ、ご互い味噌や醤油の貸し借りまでして、所帯の裏の裏までお互
いによぉ分かってる。あいだ、兄弟とか何とかいぅてる、親類より上の付き
合いのわしにも、夢の話はでけんっちゅうのか。
■親類やろが兄弟やろが、見てへん夢の話はしゃべりよぉがないっちゅうねん
▲えぇわい、聞きとないわいそんなもん。これから道で会ぉてもものも言
わんさかい、そない思てくれ。
■おぉ、よぉぬかした。お前みたいな事の分からんやつと今まで兄弟分とか何とかいぅてたかと思たら、世間さまに面目ないわい。もぉうちへ来てくれな
▲「来てくれな?」喧嘩の仲裁に来たったことも忘れて、そら何ちゅうものの言ぃよぉや
■何が気にいらんねん
▲「何が気にいらん?」何ぃ、くるのんかい!
■やる気ぃか!
* * * * *
◆まぁまぁ、待てまて、待てっちゅうねん。よぉもめる長屋じゃなぁ、うち
の長屋わ……。わしがひと回り回ったら必ずどこぞで喧嘩沙汰じゃ。あいだ
お前ら兄弟とか何とかいぅて仲のえぇ友達同士やないか▲まぁ家主っさん聞ぃ
とくなはれ。こんなやつと兄弟分なんてチャンチャラおかしぃわ、ホンマに。
だいたいなぁ、ここがもめて夫婦喧嘩してたんだっせ、そこへわてが仲裁に
来たんや。
▲仲裁は時の氏神ちゅうて、氏神さんだっせわたいわ。で、なか入って「何
でもめてんねや?」言ぅたら、こいつがここで昼寝してたんですて、嬶見て
たら泣いたり笑ろたり、何や面白そぉな夢を見てまんねやて。で、起こして
「どんな夢見てたんや、言ぅてくれ」ちゅうたら、こいつ「夢なんか見た覚
えはない」「夢の話ぐらいしてくれてもえぇやないか」ちゅうてもめてまん
ねん。
▲せやから、わしがなかへ入って「アホなことで喧嘩すな」っちゅうたんだ
「しょ~もないことでもめやがって、うちのお芳が欠き餅焼いてるさかい」
ちゅうて、ここの嬶をあっちやっといてだっせ、二人きりになって「誰にも
言えへんさかい、わしにだけ、その夢の話をしてくれ」っちゅうてんのに、
こいつが「夢なんか見た覚えはない」と、こぉいぅ白々しぃことをぬかしや
がるから……
◆アホ……、他人の夢の詮索する暇があったら、去(い)んで家業に精出せ。
お前とこは家賃が三月(みつき)も溜まったぁる
▲それとこれとは話が
◆違えへん、いねいね。しょ~もないことで世話焼かしゃがって……
■家主っさんすんまへん。いや、あいつもあんな分からん男やないんでやす
けどな、今日は妙に意地になりやがって
◆しょ~もない、お前らはもぉ……、
しかし、かなり面白そぉな、夢らしぃなぁ
■家主っさん、あんたまでがそん
なこと言ぅたら困ります。いや、わてな何ぼ考えてもホンマに夢なんか見た
覚えはないんで。
◆あいつあんなこと言ぅてたけど、あんなしゃべりはないぞ。あんあやつに
チョロッと言ぅてみ、あした町内で知らんもんないよぉなってる。そのだん、
わしゃ口が堅い。ちょっとわしには……■ホンマにないんです。見た覚えは
ないんでんねん。夢なんかホンマに見てしまへんねん
◆家主と店子(たなこ)は親子も同様の間柄、ましてわしゃ町役(ちょ~やく)
じゃ。町役人(まちやくにん)を勤めておれば、いざ何ぞのときには親代わり
になって面倒も見んならん。その親代わりである町役のわしにも、夢の話は
でけんちゅうのか?
■いえ、町役であろぉが家主さんやろがな、見てへん話は言ぃよぉがござい
まへんやろがな
◆あッそぉか。今日限りこの家空けてもらおか
■そんな無茶なこと……
◆何が無茶やねん何が無茶や。ここへ入るとき「いつ何時でもご
入用の節には家を空けます」といぅ一札(いっさつ)がこっち入ったぁるのん
じゃい。町役まで勤めてる家主の言ぅことも聞かんもんを置いといたら、ほ
かの店子に示しが付かん。今日限りこの家空けてもらお。
■あぁ、さよか。わたしゃなぁ、夢なんか見てしまへんで。けどまぁ仮に見
てたとしなはれ、見てたとして、それをあんたにしゃべらんさかいといぅて、
店立て(たなだて)を食わされるちゅうなぁ、そら筋が通らん、それはない。
わたしゃなぁ、出るとこへ出てもここは動きまへんで。
◆「出るとこへ出ても?」町役向こぉへ回して公事(くじ)立てする気ぃかい。
「どんなことあっても出さなおかん」「どんなことがあっても動きまへん」
と、頑張ってみてもちょんまげ時代、町役とか家主とかいぅもんの権限は大
したもんでございます。どぉでも家を空けぇと言ぅ。この男困りまして「お
恐れながら」と願書をしたためて、西のご番所、お奉行所へこれを願ぉて出
ました。
お奉行さんもビックリした、こんなケッタイな裁判やったことがない。原
告、被告双方へ「差し紙」といぅものが立ちます。砂利の上にゴマメムシロ
といぅ目ぇの粗いムシロが一枚、そこへ座らされる。後ろのほぉへはほかの
町役連中ですな、今でゆや町内会長やとか何とかいぅよぉな町内の役員さん
連中が並んでるわけですなぁ。
* * * * *
▼家主幸兵衛、面上げぇ。差し出されたる願面によれば、そのほぉ、店子喜
八なる者の見たる夢の話を聞きたがり、それを物語らぬ故に、店立てを申し
渡したとあるが、まことか? まことか。あのここな、不届き者めが!
▼こりゃ、家主とか町役なんぞと申する者は下々町人どもの鑑(かがみ)とも
ならんければ相成らん者じゃ。それが、たかの知れたる夢の話を聞きたがり、
しゃべらんにおいては家を空けぇなんぞとは不届きせんばん。ほかの町役ど
ももよく承れ、かかる馬鹿ばかしきことにて上多用のみぎり手数をわずらわ
したる段、不届きの至り。きっと叱りおくぞ
◆へへぇ~……
▼喜八とやら、こりゃそのほぉの勝ちじゃ。家を空けるには及ばん、分った
か。裁きはそれまで、一同の者、立ちませ。ふッ馬鹿ばかしぃ……。あぁ~、
喜八とやら……、喜八……、いやなに喜八、家主が夢の話物語らんにおいて
は、家を空けぇとまで迫ったるときは、さぞ驚いたことであったろぉな。
■へぇ、町役まで勤めたはる家主さん向こぉに回して、喧嘩して放り出され
たとなったら、よその長屋も嫌がって入れてくれしまへん。ありがたいこっ
てございます▼上にも眼がある。かかる馬鹿ばかしきことのまかり通る御政
道ではないぞ。が、しかしそのほぉ、店立てを以って家主が、町役の権柄(け
んぺい)を以って迫ったるにもかかわらず、男子の一存金鉄(きんてつ)の如
く、断じてしゃべらなんだとは天晴れ大丈夫(じょ~ふ)の志、奉行ことごと
く感服いたす。
▼ん、はじめ女房が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家主までもが聞き
たがったる夢の話……、奉行にならばしゃべれるであろぉ。
■お奉行さん、わてなぁ、夢見てたら、はじめ嬶にしゃべってまんねん。ほ
なもぉ、こんなお手数かけることも何ぁんになかったんでんねん。何ぼ考え
ても、夢見た覚えはございませんので、どぉぞお許しを……
▼かく人払いまでいたした上からは、夢の話、たって聞こぉ。
■どぉぞご勘弁を、見てない話はしゃべりよぉがございません
▼将軍家のお眼鏡を以って奉行職を勤むる余にも、夢の話物語ることならんと申すか。か
く言ぃだしたる上からは重き拷問に行のぉても、夢の話聞き出してみせるが、
どぉじゃ!■もぉそんな、殺生な……
「この者に縄打てぇ」高手小手に縛(いまし)められまして、奉行所の庭の
松の木にぶら下げられてしもた「この者が夢の話しゃべると申すまで、縄目
を解くこと相ならんぞ」ス~ッと奥へ入られてしもた。ブラ~ンとぶら下げ
られて、あたりは段々たそがれてまいります。
ギリギリ縄目が食い込んでくる。上の血ぃは下へ通わん、下の血ぃは上へ
通わん。頭がボ~ッと霞んできて、ここでこのまま死んでしもたら、まぁ世
の中にこれぐらいアホらしぃ死に方はまたとない。情けのぉなっとりますと
ころへ、ビャ~ッと一陣の風が吹いてきたかと思うと、喜八の体がキリキリ、
キリキリキリ~ッ、沖天高く舞い上がった。
「あっ、縄がほどけた。ありがたい……。ここは一体どこや知らん?」ひょ
いッと顔を上げてみますと、目の前にすっくと立ったのが、身の丈は抜群に
すぐれ、真っ白い髪の毛が左右に垂れ、赤ら顔に両眼はランランといたして、
鼻はあくまで高く、手に羽うちわを持った大天狗の姿。
* * * * *
■あんた、天狗さん!
★こころ付いたか……
■ここは一体、どこでございます?
★ここは鞍馬の奥、僧正(そぉじょ~)ケ谷である
■わたし、鞍馬山まで運ばれて来ましたんで?
★久々に大阪の上空を飛行(ひぎょ~)しおれば、世にも不思議な話を聞ぃた。天下の奉行ともあろぉ者が、たかの知れた素町人の見たる夢の話を聞きたがり、拷問にかけて責めどぉなんぞは奇怪(きっかい)
せんばん。あのよぉな者に人は裁けん。
★天狗が代わって裁いてつかわした。そのほぉに罪はない。不憫な故にここ
まで運び助けとらしたのじゃ
■ありがとぉございます。見たこともない夢の
話をしゃべれ、しゃべれと言われて往生しとりました
★たわけたことよのぉ。
ん、はじめ女房が聞きたがったは女人のことじゃが、隣家の男が聞きたがり、
家主が聞きたがり、奉行までが聞きたがる。天狗はそのよぉなものは聞きた
がらぬ故、安心をいたせ。
■ありがとぉございます。もぉとにかく「見たに違いない、見たに違いない」
見てへんのに責められて往生しとりました
★馬鹿ばかしぃ……、聞ぃたとこ
ろで何になる、たかが夢ではないか……、なぁ。
★ん……、はぁ……、はじめ女房が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家
主から奉行まで聞きたがった夢の話。天狗はそのよぉなものは聞きとぉはな
い。素町人なぞと申すものはどのよぉな馬鹿げた夢を見るものか、そのほぉ
が「しゃべりたいッ」と言ぅのならば……、聞ぃてやってもよいが。
■しゃべりたいことおまへんので、へぇ。ホンマに夢なんか見てしまへんので
★ここはほかに聞く者もなき鞍馬の奥、僧正ケ谷。わしは人間ではない。
「聞ぃてやってもよい」と申しておる。わしがこぉ申しておるあいだにしゃ
べったほぉがよかろぉ
■脅かしたらあきまへん。ホンマにわては見てないん
で、見てない話はしゃべりよぉがございません。
★天狗を侮ると、どのよぉなことになるか存知おろぉ。五体は八つ裂きにさ
れ、杉の梢に掛けられる「聞ぃてやってもよいッ」と申しておるうちに……
■ど、どぉぞご勘弁を。何ぼ考えても夢なんか見た覚えはございません★ま
だそのよぉなことを……
長々と爪の伸びた指が、体へガ~ッと食い込んできた。
■あ~ッ! 助けてくれぇ~!! あ~~ッ!
【さげ】
●ちょっと……、ちょっと、あんた! えらいうなされて、一体どんな夢見
たん?
【プロパティ】
一富士、二鷹、三ナスビ=「一説に駿河国の名物を云といへり一富士二鷹
三茄子四扇五多波姑(たばこ)六座頭」出典:笈埃(きゅうあい)随筆諸
国見聞記。百井塘雨。1772年~1789年の旅行随筆。
験(げん)=ゲンがえぇ、ゲンが悪いなど、兆しの意味に用いられる。現在
は験の字を当てるが、縁起(えんぎ)の倒語ギエンをゲンと約めたもの。
スカタン=反対・失敗・当てのはずれたこと。タンは意味のない接尾語。
スカは透(すき)、すなわち空虚、空っぽ。また、当て外れの意にもな
り、へまのことをもいう。
しんど=辛労(しんろう)が変化したもの。しんどい:シンドにイを付けて
形容詞化したもの。単純に訳せば「苦しい・疲れた・くたびれた」な
どではあるが、さらにもっとなまぬるい複雑感を含むと同時に軽い、
軽妙なくたびれ方をあらわした語で、標準語では到底訳し切れない。
「あぁしんど」「あの人の話はしんどい」「そんなしんどいこと止め
とき」「お前のすること、しんどうて見てられへん」
林家染丸=三代目林家染丸:本名 大橋駒次郎、昭和43年6月15日没63才。
悋気(りんき)しぃ=焼餅焼き。~シイは「~する者」の意。真似しぃ・寝
ションベンしぃ。
けつかる=居る。する。の意の下品な悪態口に用いる語で、ケツカルだけ
でも「居やがる」の意であるが、さらに他の動詞に付いてその下品な
言い方になる。サラス・クサル・ヤガルなどと同じ意に使用するが、
この三つは動詞の連用形に付くのに対して、ケツカルだけはテに接続
する。してケツカル。言うてケツカル。など。ケッカルともいう。
どつく=打つ・殴る・小突き回す。胴突くか?
土性骨(どしょうぼね)=性質・性根を強めて、またはののしっていう語。
ど根性。ドショッポネ。
マンダラ=斑(まだら):種々の色が入りまじっているさま。また、その模
様。色の濃淡や斑(ふ)入りについてもいう。ぶち。
欠き餅=餅を薄く切って堅く乾かしたもの。カキヤ・オカキともいう。あ
られ餅・あられ。
嬶(かか)=もとは幼児語、父(とと)、母(かか)。近世、庶民社会で、自分
の妻または他家の主婦を親しんで、あるいはぞんざいに呼ぶ称。かか
あ。
ぬかす=言う・ほざく。
ちゃんちゃらおかしい=まったく滑稽だ。笑止千万だ。「ちゃんちゃらお
かしぃ、ちゃらおかしぃ」がフルバージョン。ケツが痒(かい)ぃ、と
もいう。
一札(いっさつ)=一通の文書。一枚の証文。一札入れる:保証・約束・謝
罪などの意を文書にして、相手方に差し出す。念書を入れる。
示し=手本を見せてわからせること。教えること。示しがつかない:手本
となるべき立場にありながら、手本として示すことができない。
店立て(たなだて)=家主が借家人を追い立てること。
公事(くじ)立て=訴訟。裁判。
西のご番所=大阪西町奉行:本町橋東詰めを北に入った所、マイドーム大
阪のある場所。
ケッタイ=妙な・変な・へんてこな・おかしな・奇態な・嫌な・不思議な
など、実にいろいろな意味を含んだケッタイな言葉。エゲツナイと並
んで上方言葉の両横綱。怪体とも奇態とも希代とも卦体とも当てる。
御政道=取り締まること。処置。監督。
権柄(けんぺい)=権力をもって人を威圧すること。
金鉄の如し=非常に堅固なことのたとえ。
天晴れ=人の行為がとてもすぐれていて、賞賛に値するさま。みごとだ。
感心だ。
丈夫(じょうふ)=一人前の男子。立派な男子。ますらお。
たって=要求・希望などをどうしても実現しようとするさま。無理に。し
いて。どうしてでも。
沖天=天にのぼること。空高くあがること。多く、人の勢いなどが非常に
強いことにいう。
大天狗=天狗・鼻高天狗の面は胡人(イラン系中央アジア人)がモデル。
往生する=行きづまり・どうにもならぬ困惑の意から、閉口する・困ると
いうほどの軽い意にも用いる。往生は本来仏教用語で、生き抜く力、
行き詰まった生命を限りなく進展してゆくことである。それが臨終の
意に転じ、更にその死を厭う心から、行き詰まりの意にまで転用され
るに至った。
素~=名詞に付いて、みすぼらしい人、平凡であるなど軽蔑の意を添える。
えらい=偉い:たいへん。おおいに。ひどく。同じ意味で「いかい」とい
う言葉があるが、これは京言葉。「でっかい」は「どいかい」「どえ
らい」などからの派生らしい。
音源:桂米朝 1989/06/13 米朝落語全集(MBS)