みみかほう

こころの耳をすませて すてきな果報にであいたいとおもいます。

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✿百姓昭明、協和萬邦

2014年12月25日 | ✿記念日
今日12月25日は、
元号が大正から「昭和」になった日です。


大正天皇が崩御されたのが大正15年12月25日。
この12月25日から昭和元年12月25日がスタートします。







ですが、
昭和から平成になったのは、
昭和天皇が崩御された1月7日ではなく、翌1月8日でした。


大正から昭和になる時、崩御された日(12月25日)から昭和扱いになったのに対し、
昭和から平成になる時、崩御された日(1月7日)ではなく翌日の8日からスタートになった理由、
以下、yhoo知恵袋より。







・・・昭和から平成になったときは1月7日に元号を決定し閣議を経て8日施行となりました。
閣議~施行という手順は現在の元号法に基づいたものです。

一方、昭和元年の時の元号施行は旧皇室典範によって行われ施行されています。
この旧皇室典範は戦後の日本国憲法の施行によって廃止され元号そのものも一旦は法律から消えたのです。

しかし、その後も公的文書などでは慣例的に元号表記が行われていたこと、昭和天皇の高齢化、日本人の90%近くの人が元号をしようしていた現状から昭和54年に国会で元号法が成立しその年の12月に公布し即日施行されました。
「平成」の元号決定~施行はこの法律によって決定し施行されたものです。

従って崩御後の元号決定~施行に至る経緯は法律が異なっていたため1日違ったということです。



「元号法」とか「旧皇室典範」とかが、からんでくるのですね
なんだかややこしいですね。







また、このこの「昭和」に決定した際、事件が起こっています。


・・・1926(大正15,昭和元)年、大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が践祚しました。東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていたため、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じました。しかし政府は元号を「昭和」と発表したため、この「大特ダネ」は「大誤報」となってしまい、編輯主幹の木戸元亮は責任をとって辞任しました。「光文」は新元号の候補の中にありましたが、政府内では既に「昭和」に決定していました。しかし、東京日日新聞の報道から政府の公式発表までの時間があまりに短かったことから、「元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため『昭和』に急遽変更した」という噂が生まれました。


世にいう「光文事件」です。







「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓【昭】明、協【和】萬邦」からで、漢学者・吉田増蔵の考案だそうです。これは国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味です。



昭和生まれの人間にとって、
今日12月25日は、感慨深い日となります。





参考までに・・明治最後の日




・・








コメント (8)
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