いまどこ ―冒頭表示2
キーボードの2段めと3段目はなぜ互い違いになっていないの - 教えて!goo:
に答えてってな形で部分統合しようかナとも思う。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c11db5b33d4a1d67900e568ab0dc6273ではちょっとスレ違うと思う。
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
カリグラフの特許図では、数字兼用の大文字キー[Ⅰ][O]が数字段の直下にあったが、実売機では記号をはさんで下に移動
カリグラフ特許図では、数字兼用大文字キーⅠOが89の直下にあったが、実売機では記号をはさんで下に移動
カリグラフのIOのうつろい
その後のカリグラフでも、IOは数字行とは一段あけてある。
カリグラフにおいても、タイプバーの隣接忌避はあったであろう。
レミントン№2と複式カリグラフを比べれば、数字を打つ分には、カリグラフに利があるな。ゼロを小文字oで通すのでなければ。
カリグラフ特許図では、数字兼用大文字キーⅠOが89の直下にあったが、実売機では記号をはさんで下に移動
カリグラフのIOのうつろい
その後のカリグラフでも、IOは数字行とは一段あけてある。
カリグラフにおいても、タイプバーの隣接忌避はあったであろう。
レミントン№2と複式カリグラフを比べれば、数字を打つ分には、カリグラフに利があるな。ゼロを小文字oで通すのでなければ。
ホイートストーンのは当初は5ビットではなかった、ようなかんじ。
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/intercomp/5nidle.htm
どういう計算になるのかな。
フル5ビットではなく、5桁のうち、2桁のみを使用していた。って感じか。
すると、5の二つの順列?5×4かな、はて。
でも、のちには、違っていたような感じだったが、、
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/intercomp/5nidle.htm
どういう計算になるのかな。
フル5ビットではなく、5桁のうち、2桁のみを使用していた。って感じか。
すると、5の二つの順列?5×4かな、はて。
でも、のちには、違っていたような感じだったが、、
91年問題もあったな。1900年問題の前に。1891年、1919年問題
ショールズらのマシンでは、大文字のみ機では、大文字[I][O]で数字[1][0]を代替。そして、当初はIの移ろいとして見られた。数字01の移ろいとも見れる。
製品製造は1873年にはじまり、
大文字のみ機では、大文字[I][O]で数字[1][0]を代替。タイプバー[1][9]の連接。1891年1900年問題1919年問題。数字のテンキー化は無視?
大文字機では、大文字[I][O]で数字[1][0]を代替。タイプバー19連接が問題。1891年1900年1919年。テンキー化は無視?
レミントン№2以後、数字段の数字を、以前より右に一キーずらして配置、小文字[l]大文字[O]で数字[1][0]を代替。タイプバー[9][o]の連接。仮に、大文字シフト状態で90を打てば、問題あるかもだが、そうすると、小文字Lが打てない。1890年問題、1900年問題。
だが結局、ゼロの独立が先に起こったようである。
一方、三段機では、早くから電信互換配列が行われていたかもしれない。
数字[1]が最終的にキーボードの四段機の数字段先頭に位置したのは、いつからだろうか。
グリフィス・ミニモーションの配列(1949年)においてでさえも、数字キー[1]は、独立していない。そして、大文字[I]は2の下側にある。(直下でないのは、タイプバーの隣接への配慮もあるか?)
いったい、現代のQWERTY配列が成立したのは、なぜ1882年8月と定義されるのであろうか?数字キーのテンキー化は無視?以前は、数字キーは8ないし9しかなかった。
アンダーウッドの当初特許でも、8キー。
白洲次郎のQZERTYにも数字キー[1][0]がないようだ。http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c1edb33bbf3dc97ce66cf925385b7d24
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数字キー[0][1]について
ショールズらのマシンでは、大文字のみ機では、大文字[I][O]で数字[1][0]を代替。そして、当初はIの移ろいとして見られた。数字01の移ろいとも見れる。
製品製造は1873年にはじまり、
大文字のみ機では、大文字[I][O]で数字[1][0]を代替。タイプバー[1][9]の連接。1891年1900年問題1919年問題。数字のテンキー化は無視?
大文字機では、大文字[I][O]で数字[1][0]を代替。タイプバー19連接が問題。1891年1900年1919年。テンキー化は無視?
レミントン№2以後、数字段の数字を、以前より右に一キーずらして配置、小文字[l]大文字[O]で数字[1][0]を代替。タイプバー[9][o]の連接。仮に、大文字シフト状態で90を打てば、問題あるかもだが、そうすると、小文字Lが打てない。1890年問題、1900年問題。
だが結局、ゼロの独立が先に起こったようである。
一方、三段機では、早くから電信互換配列が行われていたかもしれない。
数字[1]が最終的にキーボードの四段機の数字段先頭に位置したのは、いつからだろうか。
グリフィス・ミニモーションの配列(1949年)においてでさえも、数字キー[1]は、独立していない。そして、大文字[I]は2の下側にある。(直下でないのは、タイプバーの隣接への配慮もあるか?)
いったい、現代のQWERTY配列が成立したのは、なぜ1882年8月と定義されるのであろうか?数字キーのテンキー化は無視?以前は、数字キーは8ないし9しかなかった。
アンダーウッドの当初特許でも、8キー。
白洲次郎のQZERTYにも数字キー[1][0]がないようだ。http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c1edb33bbf3dc97ce66cf925385b7d24
数字キー[0][1]について