背番号89
これは、我がレッドソックス硬式野球倶楽部の名誉顧問のお名前です。
そうなんです・・・
在スラバヤ日本領事館 野村総領事とは2005年、当時、在スラバヤ総領事館デンパサール駐在官事務所所長を務めておられた時代にまで遡り、今日に至るまでお付き合いをさせて頂いております。
実は・・・
自分のインドネシアへの野球活動に対し・・・
メンバー以外の人間で1番最初に強力なアシストをしてくれたのが・・・
何を隠そう・・・
この野村総領事なのです・・・
2006年7月のこと・・・
野村総領事は、バリ島で開始した・・・
自分の野球普及活動を日本へ発信すべく・・・
知人である朝日新聞のジャカルタ支局の・・・
藤谷支局長へ連絡を入れてくれたのです・・・
当初、この事については全く自分は知りませんでした・・・
その後、朝日新聞の藤谷支局長がバリ島へ来られ・・・
当時練習で使用していた軍隊のサッカー場で取材を受けたのです・・・
その時の報道記事がこれです↓
また、自分にとって、この報道記事は・・・
日本語のメディアに最初に搭載された記念すべき記事でもあります。
-2006年8月 記念すべき朝日新聞搭載記事ー
そんな・・・
野村総領事とのエピソードを少々・・・
2006年にレッドソックス硬式野球倶楽部を創設し、ジャカルタで開催された国内クラブチームトーナメントに参戦した時のこと・・・
全試合を終了し、国内8位入賞、また、グッド アピアランス賞という賞を受賞しバリ島に帰郷したのですが、用事があり自分だけチームとは別に数日間ジャカルタに居残ったのです。
そして、バリ島へ帰郷した際、ジャカルタからバリ島への飛行機が3時間強も遅れ、バリ島への到着が大幅に遅れてしまいました。しかし、この遅れに対し、野村総領事は空港近くの日本食レストランで自分の帰郷を”ずーーと”待っていてくれたのです。
更に、自分の空港への迎えにも、ご自分の車を出してくれました。
バリ島帰郷が大幅に遅れ・・・
空港から野村総領事の待っておられる・・・
日本食レストランに到着・・・
{俺 何だだか知らないんだけど お前達のこと 好きになっちゃったんだ}
{自分でも良く分かんないんだけど お前のこと 好きになったんだよ}
{好きになっちゃたものは しょうがないよな・・・}
これは、その時の野村総領事から頂いたお言葉です。
何処の馬の骨とも映らない・・・
自分の様な人間に対して・・・
投げかけて頂いたお言葉・・・
心底嬉しかったです・・・
ズシンと体全体に沁みました・・・
また・・・
当時の野村総領事のご自宅はサヌール・・・
周囲には各国の大使館などもあり非常に閑静な場所です・・・
エントランスには池があり・・・
そして・・・仏陀の石造があり・・・
お庭にはプールがあり・・・
数度となく・・・
野村総領事のご自宅にお邪魔をさせて頂きました・・・
そんな中でも大爆笑だったのが・・・
スラバヤ日本人会サッカー部の方々とお邪魔した時です・・・
大酔っ払いしたスラバヤ日本人会サッカー部の面々・・・
当時、スラバヤに駐在されていた警視庁の岡本領事が・・・
先頭をきって・・・
傘をひろげ・・・
パンツ1枚になり・・・
プールに・・・
ドブン・・・!
続いて・・・
1人・・・
また1人・・・
総勢10数名がプールの中に・・・
パンツ1枚で・・・
綺麗に整列をしながら・・・
並んでいます””
その直後、岡本領事の音頭と共に・・・
ゆらゆらと左右に揺れ出し・・・
トッ トッ トトロ・・・と
[となりのトトロ」を大合唱・・・
居間で見ていた野村総領事と自分は・・・
腹を抱えて大爆笑していた思い出があります・・・
更には・・・
野村総領事は2006年から搭載された自分の全新聞記事、また、2009年のインドネシア代表ナショナルチームのアジアカップ初制覇の記念写真、そして、NHKドキュメントのDVD等をもご自宅に保管してくれています。
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自分のインドネシア野球普及活動開始からこの方・・・
実に7年越しに応援、後押しを続けてくれている方・・・
それが・・・
背番号89 野村 昇 総領事なのです。
インドネシアでの野球普及活動の扉を開けて頂いた
野村総領事
心より御礼申し上げます
有難う御座います
先日、野村総領事に面会をさせて頂き、昨年のインドネシア国体予選大会での決勝戦時の写真、そして、東ジャワ州野球史上最高位となる準優勝メダル獲得時の写真、更に、今回のインドネシア国体決勝大会参戦に向けた強化練習時で使用しているチームのTシャツを贈呈させて頂きました。
尚、インドネシア国体決勝大会出陣時には、東ジャワ州代表チームのユニフォーム、帽子、ジャケット1式を贈呈させて頂きます。
勿論、背番号は89番(ヤキュウ)です。
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