元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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バリ レッドソックス リトルリーグのジャカルタ スントール遠征

2006年06月26日 10時54分20秒 | バリ島、インドネシア国内の野球 ソフトボール
話はちょっとさかのぼって、2004年10月にバリ レッドソックスの母体の1つである軟式野球チームダブルデッカーズ(DD)が創設されました。当時の野中総監督は20007年1月に開催されるインドネシア高校国体に出場するバリ州代表チームの練習とダブルデッカーズ軟式野球チームの練習をかけ持ちする野球漬けの日々を送っていたのですが、ダブルデッカーズ軟式野球チーム結成後の翌年、2005年5月に大人達の硬式野球クラブより一足先にリトルリーグ部門が発足したのです。


たった数名からのスタートのバリ レッドソックス リトルリーグ。
結団式の模様も大きく地元のメディアに取り上げてもらい大反響を呼んだのです。チームの命名については野中総監督の原点で少年時代に育った「青葉台レッドソックス」から名前を取り、「バリ レッドソックス」と命名したのです。
現在の「青葉台レッドソックス」は地域性の部分からチーム名が「横浜青葉」に変更されてしまいました。でも日本国内では強豪チームに成長をし、近年では内田(日大三高―ヤクルトスワローズ)や福田(横浜高校―中日ドラゴンズ)など甲子園で優勝をし、プロに入団した有名選手を輩出しています。

ちょっと脱線しましたが、このチーム名については、只単に松坂のいる「ボストンレッドソックス」から命名したのとは重みが違うんですよん・・・と、 ひとり人思い入れの強い野中総監督談です。

即効、ジャカルタのインドネシアリトルリーグ連盟へ出向き加入をさせてもらい、ジャカルタリトルリーグの最終リーグ戦で、アジア太平洋大会(APT)に出場するインドネシア代表ジュニアリーグ(14歳以下)チームとの決戦にジャカルタのスントール球場へ乗り込んだのです。








野中総監督、野林ヘッドコーチ、桑山MAKIアシスタントコーチ、フレンキーアシスタントコーチ、プトゥチームマネージャーが記念すべき初首脳陣になります。




結果はTKO・・・完全ノックアウトでした。
TKOでも何でも全然OKです。バリ島から初めて乗り込んだんですもの。
飛行機に乗るのも初めだった子供だっていたんです。子供達にとっては全てが良い経験になったと思います。皆、お疲れさまね

また、今回のジャカルタスントールへの遠征に関する費用は、野林ヘッドコーチ(日大三高ー近鉄ー広島ーヤクルト)が中心となって協賛金を集めてくれ、遠征が実現出来たのです。野林ヘッドコーチ並びに関係者の皆様、心より御礼申し上げます。
 
子供達からも・・・「有難う御座いました 


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