ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

イラン・アフガン紀行 学校を建てよう 5

2009年05月02日 | Weblog
 事務所に朝行くと、報道各社から電話が入っていた。
「イランの被災地に視察に行かれるのですか」。
新聞報道された内容を確認するのと、なぜ行くのかという
問い合わせが殺到した。
つい答えてしまったのが阪神大震災の当時支援してもらった
 
お返しにわれわれも何ができるかを考えるためにと、優等生
の返答をしたものふだから、次々の取材の要請が来た。
それまで、事務所の存続すら危ういのに、実際は他国の支援
どころではないはずだが、いつしか悠久なシルクロードの
世界、そしてペルシャ文明発祥の地をたずねることが、単に
観光ではなく、こうした地震をとおしてたずねることが
できればとの思いにひたり、一人いつしか被災者の救援
ができれば阪神大震災の被災の経験が生きるとも
思い、現地に視察へ行く決意が日々固まり、結果メディアの
発表することで、自分をその気に追い込んでいった。
しかし、そのイランへ行くために、イラン側の受け入れ先を
探さなければいけないし、また目的をはっきりさせなくては
ならなかった。
結果、その準備にちては、海外支援活動を行っているCODEに
前面的な支援を行ってもらうこととなったのである。

しかい、今からおもえば、無謀かつ大胆な決断であった。

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