ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

イラン・アフガン紀行 学校を建てよう 6

2009年05月06日 | Weblog
 イランの被災地の視察を決めた時、いつしか
自分自身が被災にあった地域の人たちを支援する
いつしか、当然の思いが日に日につのっていた。
渡航費にせよ、事務所の経営すら大変なのに
他国の震災に支援をなどと、いったい何を考えているんだ
と、友人から、また家族から評価どころか、批判され
マスコミに出たからそれに踊らされているんだ。
そのような批判も聞いた。
在日同胞からは、「足元の暮らしが大変なのに、よくそんな
ことができるもんだ」。
さまざまな批判を受けながらも、イランの視察を決定したのだが
ビザのこと、受け入れ先を探すことと、実際いくには
山積した問題がありながら、新聞記事を見た、在日イラン人
実業家から電話があり、ぜひとも渡航に当たって協力したい
との要請があり、大阪の彼の事務所を訪問することとなった。
結果、この人がいなければ、イランへ行く道筋はなかった
そして、仕事仲間の新宮市の釜本氏、神戸の中飯氏を誘い
イラン行きの準備を始めた。