眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

俳句の「卒論」と私の「卒論禍」

2024-11-15 19:00:27 | 日々の雑記帳
今日の空。
昨日の午後からの曇り空はその後、雲を集め、夜は雨となりました。
夜来の雨は今日の午前中まで降り続き、午後から少し「雨あがる」。



さて、昨日は週一のお楽しみの「ブレバト!」デー。
俳句の感想を少し書かせていただいていますが、絵の方も好きです。
昨日の色鉛筆はレベルが高くて楽しく拝見。
一発特待生の女優の真凛さんの作品は実にお見事。先生も過去イチのうまさと
絶賛なさっていましたが、たしかに隙のない完成度でした。すごい。



俳句の1位は俳優の矢柴俊博さん。色鉛筆の方も2位でしたから、
天は二物を「与えず」ではなくて「与えた」という感じですね(笑)
カルチャー教室にも通って勉強なさっている「成果」が出たようです。
夏井先生も「続けてください」とエールを送っていらっしゃいました。


網棚に置きし卒論 冬の朝
お題は「うっかりミス」

早稲田大学でフランス文学を学んだ矢柴さんの実体験だとか。
「卒論」を網棚に置き忘れるなんて、胃が痛くなりそう。
結果、どうなったのかと、この句のあとのストーリーが気になる俳句ですが、
留年なさって、7年半かけて卒業なさったそうです。
「卒論」というモノに語らせるという俳句の魅力が詰まった作品でした。


昇格査定は名人8段の森口瑤子さん。
おでんは玉子 逞しき口内炎

9段に昇格の査定となりました。
私、森口さんの作品がとても好きなんです。
ほかの方がよまない独特の世界をよんでいらっしゃる。
たしか、5年ほど前、たしか、初回に登場なさったときの句がこう
だったと思います。

仏壇の向日葵までもくたばりぬ

お母さまを春に亡くし、その気持ちをよんだ作品。
「くたばる」ということばは、「くたばれ、くそババア」みたいに
結構、激しく罵るときに使われるイメージがあるので、「はっ」と
させる言葉ですが、「くたばる」という言葉をあえて使うことで、
お母さまを亡くしたことに対する悔しさとか、憤りとか、そんな
強いかなしさ、心象を描いていらっしゃるなあと感心した句でした。

昨日の句も「逞しき」という表現が秀逸ですね。
心地よく、潔く、のことば選びに感心してしまいます。

句集査定は永世名人フルーツポンチ村上さん。
雑巾にガラス破片と今朝の冬

今回は残念ながら、「ボツ」。森口さんも言ってらっしゃいましたが、
私も「と」が気になりました。並列の意味が伝わって来なかったなあと。
もっとガラス破片の冷たさと冬の冷たさが際立つよみ方が欲しいなと。

・・・・・・・・
矢柴さんの「卒論」で、私も大学卒論提出の日のことを思い出しました。
もう、あんなに大変なことはなかった。くー。
自分の卒論ではないのです。友達の卒論作成に巻き込まれて大変だったお話。

以前、書いたことのある親友のAではなく、Bのこと。
Bは卒論が書けないと私に泣きついて来て、本当に困りました。
私は近代の専攻でしたが、彼女は中世。正直に言って、分野が近代なら、
いろいろと提案のしようがあったのですが、中世はそこまで詳しくない。
「担当教授に相談したら?」と言うのですが、先生は手取り足取りは
なさってくださらないらしく、「どうしようどうしよう」と言うので、
私は自分なりに調べて、「こういうテーマにしたら?」と具体策を提案。

それ以来、もう毎日毎日、電話がかかって来る。論文の展開等を説明
するのですが、「書けない」と泣く。まあ、私に書かせたいくらいの
気持ちだったと思いますが、いくら何でも、宿題ならともかく、卒論を
肩代わりするのは気が引けるし、私だって私の卒論がある。

その電話がもう長くて長くて、絶対に切らない。毎日、その電話に
付き合うだけで、自分の論文の時間が足りなくなって行く。
さすがに、「もうちょっと自分で考えてやってから聞いてくれない?」と
突き離そうとするのですが、「だって無理。私、ママ(私のこと)じゃないもん。
書けない」と泣く。いやいや。それじゃ、なぜ自分が書けるテーマを
見つけなかったの?と疑問でしたが、すでにテーマを変えて書く
ような時間はなく、後戻りはできなくなっていたので、ひたすら、こう書いて、
ああ書いて、これを調べてそこに入れてと、手取り足取り指導を続ける(汗)

結局、提出日に。「まだ、できていない」と言うので、「もう、論文を持って
うちに来て。手伝うから」と、来させて、最後の仕上げを手伝う。
いろいろ迷惑をかけ続けて来たAの方は意外にレポート類はきちんと出せる
学生だったので、論文はきちんと書けていたけど、「一緒に出しに行こう」と
言うので「今、Bの手伝いをしているから家に来て」と呼びつけると、
どたばたしている私たちを見てAは呆れ顔。さすがに何かを言うと、間に合わないと
思ったらしく、黙って見ていたけど、険しい顔していました。

そして、もう提出時間ぎりぎりになったので、タクシーで大学まで3人で行き、
なんとか間に合わせて提出したという綱渡り。
本当にあんなに焦ったことはありません。
自分の論文は仕上がっていたのに、Bのせいで遅れたら話になりません。

その後、Aはめちゃくちゃご機嫌が悪かった。
「ママ(私のこと)がいなかったら、Bは留年確定だったのに、なーんか腹立つ」
とのこと。自己責任で留年すべきだったのではないかということらしく。
たしかにね。別の友人Cは留年したのに、Bは卒業できましたので。

振り返ってみると、Bは卒業後、学生時代からお付き合いしていた彼と
すぐに結婚しましたので、留年しても問題なかったのかなと(笑)
矢柴さんも7年半かかって卒業されたところで、今のようなすばらしいご活躍を
なさっているわけですから、ね。人生いろいろ。

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