ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

夢のいくつか

2024-04-05 | 私の好きなこと
イースターの日曜日は光り輝くような日:集う教会の駐車場で



二人の娘たちは、よく父親の夢を見る。特に末娘の夢は往々にして、胸に迫る思いを伴うことが多い。

日曜に集う教会の礼拝堂に隣接する板敷床の大きな部屋は、バスケットボールやバレーボールのできるコートにもなるし、クリスマスやイースターの季節の食事の機会には大きな丸いテーブルがいくつも置かれる。又カルチャーホールともなり、若い人々のダンスも行なわれる。ステージも併設されていることもあり、簡単な音楽コンサートや青少年や子供たちによるお芝居なども催す。緞帳を引くとそこはステージで、ステージの両端は裏方さんや出演者が出入りする狭い場所がある。

末娘の夢では、その小さな場所に父親が座っていた。娘はチェロ奏者として演奏することがあり、夢でもそんな設定らしい。ある時の夢では、ステージに行くほんの一瞬前に父親がステージ端のその狭い場所に折りたたみ椅子に座っているのを見たと言う。父親は蛍光的に光を放つような真っ白な衣服で、娘の大好きな笑顔の父親だと言う。

「最後の晩に、おやすみなさいとお父さんの目を見て話した時よりも、ずっとお元気そうで、私の知っている通りの穏やかで平和なおとうさんよ。」

「おとうさんは私に大きなハグをくれてどれだけみなを愛していることかと言ったの。でも『みなが、特にあなたのおかあさんが悲しみに暮れている時は、辛くて、胸が痛む。』と。それで、夢なのに、私は涙をこぼしながら起きたの。」

末娘にとってそして私や家族にとって、なんとProfound(深い意味)な夢だろうか。

。。。これから悲しくなったら、5分で泣き止み、気持ちを整えて笑みを浮かべるようにしましょう、と私が言うと、娘は、「私も。」と微笑んだ。

しばらく日が経ってから末娘は朝起きてきて、言った。
「おかあさん、また見たわ。今度は前よりも短くて、なんだかおとうさんはとても忙しそうだったの。でも目覚めた時、とてもとても嬉しい気持ちになっていた私なのよ。おとうさんは霊界にいても、私たちをとても愛していると言葉がなくとも、はっきりわかったの。」

クリスマスの頃の夢には、父親は好きだったプレイド(格子縞)のシャツを着て、家族がみな集まっていた居間の椅子に満面の笑みを湛えて静かに座っていた、と言う。娘はそんな父親にすぐ気がつき、逃したくないと、父親のすぐ傍の床に座り、腕を父親の膝に置いたと言う。それでもやがて父親は立ち上がり、壁を抜けて行ってしまった、まるで「ほら、今はこうすることもできるんだよ、」と言わんばかりに。

私は末娘の肩を抱いて、娘の耳元で囁いた。「お父さんが、いらしてくださり、私もとても嬉しいわ。でもおとうさんは、あちらの世界でも、どなたかをお助けするのにお忙しいのよ。そして貴女も十分知っているように、大丈夫よ、復活の朝に、私たちは皆また再会するし、そうすれば、もう時間がない、ということはなくて、永遠なのよ。」

「卒業・旅立ち」から9ヶ月にならんとするのに私たちは未だに夫の、父親のことを話す時、涙ぐんでしまう、5分間でそれは終えようと努力はしつつも。

同時期に長女の見た夢も、毎年繰り返されてきたクリスマスの朝の模様だった、と言う。
クリスマスの朝に、いつものように居間のクリスマスツリーの下で、皆が起き出してくると、最後に階段を父親が降りてくる、と言う。「おとうさんは集まっていた皆を、そりゃあ嬉しそうにニコニコ見ながら降りてきたのよ。それだけ、なんだけれど、起きた時とても幸せな気持ちだったわ。」

私はもちろん、子供たちの誰も創世記にあるヤコブの11番目の息子ジョセフのように、夢を解き明かすことはできないし、ジョセフのように「驚くべきテクニカラーの七色のコート」を持ってはいない。だが、娘たちのこうした夢は単純にそのまま受け止めて、夫が私たちと霊界においてもコンタクトをとっていると思っている。

心のうちにまるでアーリントン墓地のケネディ大統領のお墓にある「永遠の炎」のように愛や思い出や希望を燃やしつづけ、その炎や灯りを絶やさずにいる。

さらに、先日の北部州の姉を訪ねた折のこと。姉は私よりは一回り年上で、長年患っている背中の病気もあり、夫の葬儀には出席を見合わせた。そのしばらく後に私は葬儀のプログラムを郵送したが、姉は仏教徒でも神道でもなく、ましてどの教派のクリスチャンでもなく、そのプログラムにある葬儀の開会の讃美歌がどのような物なのか見当も付いてはいなかった。

その讃美歌は、All Creatures of Our God and King(日本語では、神は造り主、だと記憶する)で、これはアッシシのフランシスの作ったものである。そしてカトリック教徒間では、フランシス(セイント・フランシス)は動物を愛護するセイントとしても有名である。

夫の葬儀のあらましさえ知っていなかった姉は、葬儀の日の晩に、夢を見た。麗らかな春の日のようで、青い木々、そして大海のようにどこまでも美しい草地で、姉ともう一人の姉と私がピクニックをしていると、姉の7年前に亡くなった夫と私の夫が仲良く笑いながら一緒にピクニックに加わり、その二人の他にもう一人多少お年を召したようなヒゲを蓄えた男の方も微笑みながらやってきた。その方がやってくると、みなの周りには多くの動物たちがやってきた、と言う。

その夢の話をしてから、姉は「変な夢でしょう?」と言った。「それがね、私たち姉妹以外は、輝かんばかりの真っ白な服装で、お年を召したような方はローブのような衣を召していたわ。 それにしても、どなただったのかしら。」と言った。

家族で葬儀の準備の話し合いをしている時、次男が「お父さんの好きな讃美歌は、。。。」と言い出し、それを葬儀で歌ったら、と提案したのだった。それが、先述の讃美歌であった。はるかな昔、幼かった次男は父親にどの讃美歌が好きか尋ねたら、そう答えた、と言った。

姉の夢について私が、思うことを伝えると、姉はほぼ絶句したが、私とて、セイント・フランシスまで夢にご登場なったとは、と、とても驚いた。

その後私の滞在中に、再び義兄と私の夫が同じように姉の夢に現れ、ふたりとも、いそがしそうに立ち働いていた、と言う。先の夢と同じ服装で。面白かったのは多くの人々が必要としているモーターホームをもっと買わなければと話していたと言う。霊界でもモーターホーム?その意味はそれこそヤコブの11人目の息子ジョセフもお分かりにならないだろう。それにしても義兄と私の夫は、同じように、人をお助けするにいつでも躊躇なくいた人たちだった。

そんな姉の見た夢も、私たち姉妹の心を和ませ、幸せに感じられたのだから、私や姉は相当単純に作られているに違いない。


愛犬Boo(ブー)も藤の花びらに囲まれてイースターを骨型のスナックで楽しんだ。








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