九十九橋を南へ足羽川を渡る。
まっすぐ行ってすぐの久保町の信号で左手に橘曙覧生家跡の碑がある。
そこを東に向かう。次の信号は左内だ。もちろん橋本左内から採った町名だ。近くに左内公園があって左内の像と墓がある。右に行けばすぐ愛宕坂、足羽山に登り口だ。道なりに足羽山の東を進む。二つ目の信号を左へ曲がる。ほどなくフェニックス通と合流する。福鉄の電車が走る通りだが、次の新木田の交差点で電車は左にそれていく。幅を狭めたフェニックス通を南下していく。100メートルほどで木田の一里塚がある。と言っても何ほどかの空き地に案内板があるだけだが、奥は世直し神社とある。
*松本荒町の一里塚がどこかわからない。中荒井の一里塚まで36町は普通で松本までの24町は少し間隔が近いようだ。
木田銀座が見えてくる。
松岡屋さんという呉服屋くらいからフェニックス通から分かれた道に入るが、間もなくまた合流する。その後またY 字に分かれる道を右へ入る。そのまま道なりに狐川を渡り、しばらく行くとショッピングタウンベルに突き当たる。仕方がないのでベルの裏を進む。
江端川を渡る。玉江橋という橋だ。
道のカーブがなんとなく旧街道っぽい。下荒井から中荒井の集落を抜けようかというところに一里塚があった。
田んぼが広がってくるが、この道とほぼ平行に走っているフェニックス通はこの辺りは車のディーラーが軒を並べているはずだ。
麻生津まで来た。ここは宿場だ。
本陣跡
朝むつ川に架かる朝むつ橋
芭蕉と西行の碑
そのまま街道らしさのないでもない道を南下。やがて上江尻町でフェニックス通に出る。フェニックス通はここで西循環線と分かれ、つつじ通りと名前を変え鯖江を南下る。
旧北陸道はフェニックスから斜めに東へ入る道になる。
間もなく浅水川で、橋に北国街道の表示がある。
鳥羽橋から南方向に続く道。
11キロ少々で右手に兜山古墳が現れる。直径70メートルの大きな円墳だ。てっぺんに神社があり、埋葬施設などは調査されていないが5世紀頃と比定されている。
兜山の南数百メートルに小高いところがあり森のようになっている。神社がある。北陸道はその脇を通るが、そこに案内板がある。
少し変わったアジサイが咲いていた。
鯖江藩の中心はここから3キロ程南の旭町で陣屋跡がある