15日木
弁天二丁目のある場所を探し回る。徒歩五分と聞いたが、二十分以上かかった。とほほな幕開け。
馬車道から金沢文庫へ向かう。
北条家が集めた漢籍等の一部を今に伝えている小さな博物館、中国との交易、人の往き来、六浦港など興味深い。ただ、二階の特別展は東大が戦前から集めた東アジアの書籍らしかったが手に合わずパス。
トンネルをくぐり称名寺へ。鎌倉の寺は禅宗か法華かと思っていたがここは天台で、茅葺の阿弥陀堂もある。広い池に赤い欄干の太鼓橋を渡した庭は極楽浄土を模したよう。あちこちに北条家の家紋三つ鱗がある。鎌倉幕府は執権北条家の滅亡で、金沢文庫は大半を称名寺に移されたといいながら、称名寺もまた没落せずにはおれないのだ。建物や庭は近代に復元されているようだが、赤門から仁王門に至る参道の周囲は住宅が密集し、参道を車が行き交う。この辺も皆、境内の一部だったのと違うかな。
バスの時間の便が悪く、駅まで歩いて戻る。下りだからいいようなものの結構な坂で道は狭く、民家が密集している。横浜市金沢区などというとそれなりに良いイメージが先行するが、ここに住むのはかなわない。
金沢八景駅から、文庫で仕入れたばかりの知識で瀬戸橋へ行く。琵琶島、瀬戸神社。音頭の瀬戸の瀬戸だ、湾口が海峡のようになっていたのだろう。しかし、瀬戸橋を渡したことで複雑な形状だった湾は徐々に埋まり、干拓も進行した。今、六浦は海岸線は遠く望めない。三浦半島全体もそうだがこの辺りも平地は少ない。埋め立ては必然となる。瀬戸付近の埋め立て地の地名は泥亀という。
シーサイドライナーを使い桜木町まで戻った。沿線はけっこうな工業地帯だった。海岸線を望む観光用かと思いきや、これは通勤用だ。
桜木町キリンシティで一服後、赤い靴バスMラインに乗る。Cラインとはだいぶ違う高層建築の街を行く。「みなとみらい」だ。ほとんどを埋め立て地とみるが、沈下はないのか。子供向けの遊び場もあるようだった。
ぐるっと回って、日本郵船歴史博物館へ寄り、ホテルに戻る
16日金
9時ごろ馬車道を出る。各停を乗り継いだ。東京まで約一時間半、早いとみるが、毎日のラッシュの通勤となればまた別だろう。台風の雨も落ち着いてきたか、昨日は全休とアナウンスされていたしらさぎも動き出し、帰る。