戦国時代、加賀越前双方、大聖寺の争奪で血を地で洗った。主に加賀一向宗門徒勢と越前朝倉勢である。最終的に織田信長が朝倉も一揆勢も斬り従え、加賀は前田家の領地となり、大聖寺も支藩となった。江戸時代には北陸道の宿場としてそれなりに繁栄したようだ。
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*大聖寺城案内板1
*大聖寺城案内板2
大聖寺城址登り口付近には芝生公園があり、大きな廟がある世に見えたので行ってみると忠魂碑だった。
城址から北へ、大聖寺川を渡り、高速道路の下をくぐり、片野の湿地へ行ってみる。
ラムサール条約にのった湿地である
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ガンや鴨・白鳥の有力越冬地。観察館がある。だがまだ大規模の渡りには至らず、それでも鴨がちらほら。何種類か教えてもらったが、その場ではわかってもすぐわからなくなる。だいたい図鑑の色彩はあまり宛にならないようだ。
シラサギ(ダイサギ?)百舌鳥のメスもいた。
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もう少し北へ、片野の海岸だ。
*水際に黒い鳥がいた。クロサギらしいのが魚を捕らえていた。
*海岸線左手、福井県芦原の風車列が見える。