物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

2019GoldenWeek 四国 松山

2019-05-31 | 行った所

5月1日、4日目です
松山に向かう前に今治タオル本店に行く。タオル美術館に行くつもりだったのだが、タオル美術館の運営会社は今治タオルの規格外で今治タオルはないと聞き、変更。いくつか買う。

松山への途中に石手川ダムというのがあった。昔はよく四国で渇水とかで干上がったダム湖の映像を見た気がする。

松山の街歩き。結構大きな町だ。ぶらぶらする。坊ちゃん電車が走っている。昼食を摂ろうと入ったマドンナ何とかという店はひどかった。
松山城へ登る。かなりの山で歩いて登る気は市内からロープウェイで行くことにする。大変な人で、リフトの列の方がまだ早そうだったのでそっちにする。
リフトを降り、本丸前の広場だが大変な人込みで行列している。なんでも令和元年日付入り御朱印に人が群がっているのだ。しらんはそんなもの。
天守へ登る方も大行列で、最後尾2時間待ちの札持ちがいる。天守は諦め、周りの門や櫓を見て回る。大変な城郭だ。落とせるもんなら落としてみろとすごんでいるみたい。実戦の城なのだ。
雨は降りだしていないが、なんと石垣の間を霧が流れる。煙る松山城だ。
「いやー丸岡城に毛が生えた程度かと思っていたらすごいのう」という声がする。そのイントネーション、丸岡城・・・間違いなく同郷人です。



一旦ホテルにチェックインして、電車で道後へ向かう
路面電車だ。満員でしかも乗り降りが頻繁だ。しっかり機能している公共交通機関。
道後駅もごった返しだ。坊ちゃん列車が止まっていた。これは観光用だろうが、それでも普通の電車と同じ線路を走っていた。

道後温泉本館、いかめしいような滑稽なような一部東照宮でも模したようなところへはとても入れない。それこそ行列で整理券を配っている。
仕方がないから近くの別館へ行く。ところがこれも大混雑なのだ。料金もタオル・石鹸・シャンプーそれぞれ要る人、要らない人・・・
漸く脱衣所にたどり着くとロッカーも有料、入れた100円玉は戻ってこない。すぐ脇のロッカーを使っていた女の子が途中でロッカーを閉めてしまった。母親の悲鳴が上がる。何をする!まだ入れるものがあるのに!わかる、ものすごくわかる。複数の子供を連れて風呂へ入る、そのことだけでも大変なのだ、ましてやこの混雑の中だ。ここは温泉という長閑なイメージを覆し、ものすごく混んだ銭湯だ。一昔どころかもっと前のほとんどの客が顔見知りの町の銭湯にあったかもしれない雰囲気もない。満員電車内とここは大差ない。
湯船の中も落ち着かず、早々に出るが、困った、ドライヤーも有料なのだ。3分30円だって。10円玉以外受け付けない。慌てて着替えて入り口脇にあった両替機に駆け付け、脱衣所に戻る。
いやはや、散々だった。ホテルのバスを使った方がよっぽどよかった。しっかり髪を乾かしてから出たから風邪をひかなくて済んだのが幸いだ。
夕食に適当に入った居酒屋もいまいち。
実はこの日は休養日のつもりだった。行くのは松山城くらいで後は温泉でまったりしてホテルで休む。それなりにいいホテルを取った。
けれど結構よく歩き回り、道後でどっと疲れてしまった。連れの足も一向に治らず、というより動きすぎなのだろうが。

コメント

2019GoldenWeek 四国 別子・今治

2019-05-30 | 行った所

4月30日火曜、3日目です。
雨はやんでいるものの振り出しそうな雲は相変わらず、この季節にしてはさえない日が続く。

連れが右足首が痛いという。捻挫したらしい。どこで?金比羅?いったい何時よ?その後、金丸座・塩飽と歩き回ったではないか。瀬戸大橋記念館では疲れて半分はベンチにいたような私をしり目に展示を見て歩いていたではないか。どうも自分でもどこでひねったのか自覚がないようだ。幸い運転には支障がないという。まあ捻挫なら、そう大したことはあるまい、高括ったのが悪かったのだが、それは後の話。

高松を出て新居浜、別子へ向かう。愛媛に入る。
別子銅山記念館は変わった建物だった。鉱山の坑道でもイメージしたのか、半地下というよりほとんど地下にもぐっていると言っていい。
屋根というか屋上というかは、つつじの植込に覆われている。花咲き誇る時期の写真もあったが、ほとんど咲いていなかった。
すぐわきの大山積神社の境内にディーゼル車が置いてある。なんでこんなものがあるのかといぶかしかったのだが、館内に入って解かった、鉱山鉄道が走っていたのだ。


面白い施設だ。大阪の博物館で、住友の前身の銅吹所の模型を見た。あの作業の前段階がここになる。
坑道の模型があった。細い針金上のものをつなぎ合わせ、地下に張り巡らされた坑道を模しているのだ。最初見た時には何かわからなかった。坑道だ、と思った瞬間圧倒される。こんなものを人が掘り、中で働き、生きたのか。
そして一つの産業が生まれ発展し、衰退に向かいながら次の事業、産業を生み出していく。産業遺跡、産業の歴史をこうしてとどめることに大きな意義がある。但し、なんというのかな、どうも触れてほしくないところは巧みに避けている。そんな気がしてしまった。
記念館を出ると「マイントピア、東洋のマチュピチュ」などと書いた看板がある。行ってみるかと向かったが、それらしいところへ来てみれば、道の駅のようなところで、駐車場は混み、建物内はもっと混雑。ここから鉱山跡地を観光地化したマチュピチュとやらへ行く乗り物に乗るための行列らしい。子連れが多く、大変な観光地のようだ。パスして引き返す。

今治へ向かう

しまなみ海道の四国側玄関、来栖海峡 



狂ったように潮が流れるから「くるす」という。サービスエリアに橋を吊るすケーブルの模型があった。
ざっとでも瀬戸大橋記念館を見ておいてよかった。あの部分か、と思う。



橋を渡ると自転車用に側道が作ってある。結構走っている。

大島の村上水軍博物館へ行く。
見て楽しめるよう、うまく作ってある。こういう資料館の展示は本当にうまくなったと思う。「博物館行き」は古くて使い物にならないことを言うが、そうした物の価値も少しは認められるようになったのかな。
しかし、ここも自分たちの最盛期自慢だな。塩飽は能島の手下だったようなことが書いてある。そういう時期もあったろうが、塩飽は喜ばないだろう。

今治に戻る。
雨が落ちてきた。今治城へ行く。
藤堂高虎の築城だが、天守等は再建されたものだ。広い堀の水は海水を引き込んでいる。



ホテルで食べた鯛がうまかった。
隣室の宿泊客は、千葉から尾道から車できて、今日はしまなみ80kmを自転車で走ったそうだ。
最後は雨に降られたようだ。子連れで走っている人たちも目に付いたが、大変だったろう。
自転車、ということは考えないでもなかったのだが、あっさり断念して正解だった。橋へ上る坂、島内での道・・・わが目で見ればとても無理!!な話だった。

コメント

2019GoldenWeek 四国 金毘羅・塩飽

2019-05-29 | 行った所

4/29(月)ホテル付近港を少し散歩してから琴平へ向かう。

何しろ「こんぴらふねふね」である、船の、海運の神様だと思っていたし事実そうだろう。だから私はてっきり海に突き出た半島の先端にあるに違いないと、長らく思い込んでいた。意外に内陸に入る。海辺から10km以上はあるだろう。象頭山?相当の想像力の持ち主の命名に相違ない。
知らない地方を走って入ると、山の形が妙に見慣れないように感じることがある。一番驚いたのが妙義山のあたり。異様な岩山の連続に極端なことを言うと、山が異界に片足を突っ込んでいる感じだ。四国の山々はあんな素っ頓狂なことはないのだが、どこか見慣れぬ感じはする。
さて、こんぴらさんです。朝から結構な人出だ。ふもとで車を置いたお土産屋さんは、今日は午後から雨になるというからみんな朝からお参りなのだろうという。お参りに来たというよりは、名高い千三百何十段だかの石段を登ってみようか、というだけのことなんだが。

 
   
さぬき富士が見える

やれやれ結構きつかったです       

途中の碑がちょっと面白い。明治時代に神戸の何とかという講が20数人で電話を寄付した、というもの。
  

下ってきて、「金比羅歌舞伎 金丸座」の看板に惹かれ行ってみる。芝居小屋の舞台裏、役者の控えや天井、奈落まで見たのは初めてだ。
         

丸亀港から12:10発のフェリーに乗る予定にしていた。塩飽本島へ行く。ダメもとで車を飛ばし港に付ける。港が小さかったからまだよかった。
切符を買い、船に駆け込むとすぐ出港した。20分足らずで島に到着。港に観光案内所があり、軽食を出す。パスタを食べた。
    さぬき富士が見える
塩飽水軍としてその名も高き海賊の本拠地のはずなのだが、港にあるモニュメントは咸臨丸を模したものだ。
 
勤番所へ向かう。
瀬戸内に限らず、離島の多くがそうだろうが過疎の村だ。廃屋が目立つ。しかしその中にあって、小高い丘の広い広い敷地に立派な建物が建ち、きれいに整備されている。観光案内的なものにはなかったものだ。何かと思えば、天理教なのだ。タダ同然に土地を求めたのだろう。そのうち信徒の研修だけの島になるかも。
  

勤番所は江戸時代の島の主だった人の中の当番が詰めていたところだ。どこの藩にも属さず島内で自治が認められていたという。番所の性格からしても江戸時代以降の資料しかない。早い潮流の中で生きる塩飽諸島の優秀な船乗達は咸臨丸に乗り組んだ。これもこの島の自慢らしい。さて稀有の歴史を持った島だとは思うが。塩飽水軍は戦国末期、村上水軍や、毛利との関係などで資料がないわけではない。だがその前は?手も付けられない状態かな。

雨が降ってくる。急がねばならない。芝居小屋があるはずだ。人が集まり繁栄した証だろう。

小屋はあったが固く閉ざされ中を伺うこともできない。
本格的に振り出した雨に急かされ港へ戻る。
    島猫たちに挨拶

丸亀城へ行くも雨の中とても石段を登る気がしない。博物館は閉まっていた。月曜休館はわかるがGWに休館するかね。
 

瀬戸大橋記念館へ行く。予想外に面白い施設だったのだけど残念ながら、こっちの体力がついていかない。
ぐったりしてしまった。 
 

コメント

2019GoldenWeek 四国 志度・屋島

2019-05-28 | 行った所

前代未聞の大連休、さてどこへ行こうかとだいぶ前から作戦を練ったのでした。
4/28(日)出発、高松-愛媛-高知-徳島-4県一周7泊8日の自動車旅行を企てた。

4/28(日)お天気はどうもパッとしないようだが、降られなければいい。さて出発。
北陸道-舞若道を走り抜け、順調に来たところへ現れた神戸JCT、ナビの言っていることとJCTの標識が違う!と思った時には後の祭り、宝塚に向かって走っている!次のインターで脱出、戻る。新しい道ができていたらしい。。。
明石大橋手前のトンネル付近から渋滞、おかげで明石海峡大橋からの風景をちらちら眺める余裕あり。
淡路島 通う車の速度絶え 、とはいえ、淡路島にわたると急に空いてきた。淡路島北部の公園が観光地になっているようだ。

いよいよ四国上陸、徳島県鳴門だが、取敢えず無視して高松道へ進む。
義経が嵐の中嫌がる船頭を脅しつけ、大阪福島港から四国にわたった先の阿波勝浦というのはもっと南の方らしい。

途中の津田の松原というサービスエリアにあった看板によれば、志度が近いらしい、と次のインターで降りる。
屋島で義経の奇襲に逃げ出した平家は一旦はこの志度に上陸するが、義経の追撃に再び船へ逃げ出す。
この志度、平賀源内の出身地だった。源内記念館の近くから海に向かって左前に奇妙な形の山が見える。
なだらかな山の頂上に巨大な岩がいくつも直立しているように見える。
記念館で聞くと五剣山というそうだ。頂上に5つの岩山の峰があり五剣と称したが、江戸期の地震で一つ崩れたそうだ。その左手に見えるのが屋島とのこと。



国道11号線を西へ走る。結構混んでいる。道路脇を線路が2本走る。JRと琴電らしいがこんなところでJRと私電が並立出来るのか。
高松に入る。屋島ドライブウエイ入口付近のうどん屋で遅めの昼食。讃岐うどんの一つも食わねばならない。大変混んでいたが、その割に客の流れはスムーズだ。かなり工夫もしているのだろう。
ドライブウエイを登る。中腹の展望台のようになったところに絵看板があった。合戦の説明もありわかり良かった。

写真は船隠し付近。目を左に転じると五剣山も見える。


山頂は八島神社だが眺望はきかず、阿波の太三郎さんには逢ったもののあまり面白くない。

別方向下がったところの八嶋城の方が良かった。てっきり源平の山城跡かと思ったら、「やしまのき」と読み日本書紀の世界だった。



ホテルに入り、高松城址玉藻公園散策。この堀は海の水を引き込んでいる。


ホテルで夕食。港の夜景、発着するフェリーがよく見えた。

コメント

20190421 大阪

2019-05-27 | 行った所

朝食後、地下鉄で谷町4丁目へ、難波の宮跡へ行く。広大に見えるが周りは道路などで随分切られているのだろう。また、このすぐ近くまで海が迫っていたはずだ。
高速道路越しに大阪城が見える。

大阪市立歴史博物館の前庭は古墳時代の建物群遺跡がある。

博物館は立派で、大阪城の眺めがいい。

地下鉄で道頓堀移動
お好み焼き昼食 
地下鉄で大阪駅移動、帰宅。

コメント

20190420 大阪

2019-05-27 | 行った所


朝、道頓堀散歩するも寒かった
なんば高島屋で劇場弁当用おこわ等買い物する
国立文学劇場へ向かう。今日は文楽三昧の予定ではあるのだが、この予約のチケット購入時からもたつき、実は文楽なんて相性が悪いんと違うんか、とまで思うのだ。
人形遣いはみんな黒子かと思っていたら、どうも「主使い」なる人は被り物もしないらしい。ということは肝心の人形の脇に常に人形遣いの顔がある訳で、そんなんで人形芝居になるのかなあ?などと初めての私は思うのである。
本日は 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(大序から四段目まで)と祇園祭礼信仰記/近頃河原の達引 だそうだ。
仮名手本と祇園祭礼の金閣寺は一応歌舞伎で見たことがある。少なくとも筋はわかるはずだ。
などと心配していたのだが、そこそこ楽しめてしまった。また機会があれば来てもいいかも。
近頃河原の達引は猿回しが出てくるのだ、この猿使いが芸なのだろう、しつこくやりすぎ違うかとも思ったが、おもしろいものでありました。
字幕?があるのでその点は歌舞伎よりわかりいいかも。


コメント

20190419 大阪

2019-05-27 | 行った所

昼前に大阪着。以前、天満天神方面へ地下鉄を乗り継ごうとして、えらく歩き回ってしまったので、はじめからタクシーを探す。
工事をしていて、タクシー乗り場の遠いこと。
天満天神繁盛亭前で連れと落ち合い、すぐ脇のこなもん屋でたこ焼きを食べる。このたこ焼きおいしかった。外はカリ、中はとろとろ。
繁盛亭に入る。寄席の出し物はどうもぴんと来ないのが多かった。


ホテルに移動、道頓堀今井で夕食。タケノコがうまかった

コメント

20190418 花筏

2019-05-27 | 日記

桜散り水面ひととき満開に

コメント

20190413 足羽山

2019-05-26 | 日記


足羽山散歩
桜と白山の雪の競演

コメント

20190407 北國脇往還 小谷 長浜

2019-05-25 | 行った所

木之本経由で小谷城址へ。
途中、北國脇往還の標識を見つけ降りる。
木之本が北國街道の宿場町であったことは知っていたが、ここは何だろう。
北國街道が木之本からほぼ真直ぐに南下するのに対し、脇往還は南西方向に伊吹の裾を通って関ヶ原を目指す。
概略国道8号線が北國街道に、365号線が脇往還に当たるようだ。
実際に北陸から参勤交代で使うとすれば、なるほどこっちの方が便利だったろう。



小谷へはすぐだ。ふもとの資料館へ寄る。
小谷はその名の通りの小さな谷間だ。一乗谷よりも更にぐっと狭い。
どちらかというと開けたところのイメージの滋賀に在って、何故ここ?と思うほどに。戦国の時代の城を守る意識の強さか。
北陸と美濃・尾張へ通じる街道がすぐそばにあることを考えれば不便ではなかったろうが。
小谷城址を本丸まで登る。途中まで車で行けるのだがかなりの山登りですよ。
馬酔木が咲いていた


途中、眼下に見えるは虎姫山。ここに信長勢に陣取られた長政の絶望如何ばかりか。


長浜へ向かう。黒壁スクエアあたりで昼食
よく整備されているが、あまり好みではないな。

長浜城博物館へ行きたかったのだが、このあたり一帯、桜の名所らしい。湖北ではちらほら咲きだった桜がここではほぼ満開。
あまりの混雑に駐車場を探せず引き返す。

帰途、国友鉄砲の里資料館へ寄る。

こういう小さな資料館は好きである。実際に面白かったし。
集落全体がなんだか豊かそうに見えた。

小谷スマートから北陸道に乗り帰る。

コメント