熱田神宮
平家物語第3巻「大臣被流」
藤原師長は、頼長の次男。保元の乱で頼長が死に、息子達も流罪になったが、許されて、師長は太政大臣にまでなった。しかし治承3年(1179)清盛のクーデターで、後白河の周りにいた43人もの公卿たちは一掃される。太政大臣師長は再び流罪となり、流刑地は尾張。この師長はなかなかの風流人である。「古を思遣、鳴海潟塩路遥かに遠見して、常は朗月を望み、浦風に嘯き、琵琶を弾じ、和歌を詠じて、なほざりがてらに月日をおくらせたまひけり」その師長が尾張三宮熱田明神に参詣した。琵琶を弾くと風流など解さない田舎の者たちも集まってきて「万座奇異の思ひをなす。」果ては「風香調の内には、花芬馥の気を含み、流泉の曲の間には月清明の光をあらそふ。・・・・神明感応にたへずして、宝殿大いに振動す。」
治承3年の政変は11月だが、平家物語ではこの年の10月、文覚が高雄神護寺の勧進を言い立て後白河の所に暴れこむ。この時後白河の前で太政大臣妙音院こと師長が琵琶をかきならし、朗詠めでたうせさせ給ふ。邪魔されたということで後白河は文覚に怒り狂った、ということになっている。
熱田神宮の近くに白鳥御陵と称する古墳がある。
ヤマトタケルと尾張のミヤズヒメの話がある。ヤマトタケルは父からあちらへ行って戦え、こちらへ行って平定してこい、とこき使われる、ヘラクレスの12の冒険みたいな話なのだが、東征譚にミヤズヒメが絡む。いろいろあって、しかしめでたく結ばれたはずなのだが、ヤマトタケルはミヤズヒメの元に神剣草薙剣を置いて伊吹へ行ってしまう。伊吹の神は巨大な白猪、これに敗れたタケルは死ぬ。タケルは故郷大和をまほろばと歌い白鳥となって飛び去る。「其の國より飛び翔り行きて、河内國の志幾に留まりましき。故、其地に御陵を作りて鎮まり坐さしめき。即ち其の御陵を號けて、白鳥の御陵と謂ふ。」だから河内の白鳥陵と思っていたがここにも白鳥陵があるのだ。
ミヤズヒメは尾張臣の娘で、預かった草薙剣をご神体としたのが熱田神宮、王家に伝ったのはその形代、だとしたら、安徳と共に壇ノ浦に沈んだものは形代に過ぎないのだが・・慈円は草薙剣は王家武力の象徴と解く。王家を支える武力は頼朝となったことで必要がなくなったという吃驚のご都合主義。訳が分からない。
近くに頼朝生誕地がある。
ほんまかいな?京都生まれの京都育ちだと思っていた。義朝と藤原季範の娘は京都で結ばれたのだろう、妊婦の旅はきつかろうにこの母は京から尾張へ下向して赤子を産んだのか?
藤原季範の母の実家が熱田神宮の宮司の家柄だったという。これは尾張臣の子孫だったとしたら、頼朝は尾張の臣のミヤズヒメの子孫ということになるような。
ここには信長も関わる。