-1+1=0 規模1
-10+10=0 規模10
-100+100=0 規模100-1000+1000=0 規模1000
-10000+10000=0 規模10000
まずは単純モデルを考える。細かい間違いには目をつぶる。
マイナスは借金、プラスは現金とする。借金と現金を合わせると0となる。規模とは、人口が増えたり社会が大きくなれば、貸し借りの数字は比例して増えるものと考える。
ここまでは、たくわえの多さについて述べた。この現金を使うことにはまだ言及していない。どんなに規模が大きくなろうとも、全ての人がまったく現金を使わないなら規模の大きさに意味はなくなる。
ここで現金の50%を「使う」ことにしよう。そうなると
-1+1=0 規模1 市場0.5
-10+10=0 規模10 市場5
-100+100=0 規模100 市場50-1000+1000=0 規模1000 市場500
-10000+10000=0 規模10000 市場5000
たくわえの50%使うことを「市場」と呼ぶことにする。市場規模と現金の規模は比例する。市場規模と借金の規模は比例する。
ここでたちまち疑問が生まれる。
①どんなに規模がでかくなっても、全ての借金を全ての現金で返してしまえば0になってしまう。借金も消えるが現金も消えてしまう。ここにまず違和感がある。すくなくとも自然界にはこういうものは見たことがない。あるとすれば、物理学における陽子と反陽子、電子と反電子などの理論の中にだけある。
②現金を使っても、それは誰かの現金になるだけで、現金は借金が存在している限り消えない。従ってモノの売り買いは際限なく出来る。モノという資源は有限にもかかわらずである。借金や現金の仕組みと有限な資源との間には辻褄があわないことがある。ここに違和感を感じる。
もちろん我々は知っている
借金はいずれ返さなければならないというルールが世間にあることを。
資源とは自然界の資源だけではなく、知的所有権のような人間が作り出した付加価値もそう呼ぶことを。
しかしそうであっても取引は無限、資源は有限には変わりがない。また、全ての借金の返済するとこの世から現金がなくなるということにも変わりがない。
経済はこの2つの仕組みになってるので、いつも違和感を感じ、なにかペテンにかけられた気持ちになる。
まあとりあえずそのことは考えずに先を進めよう。
資源は有限だが取引は無限についてまず考えよう。
資源は自然界の恵みであり、同時に知的所有権のように人間の生産物でもある。つまり有限な資源という側面もあるが、人間の生産力というある意味無限の資源という側面もある。(ただし有限な資源を使って生産力を得ているから有限だし、人間の時間毎に作れる生産物には限りがある点で有限だ)
取引を需要と表現するなら、取引の無限性は需要の無限性と表現することができる。
需要に対して資源・生産力が追っついていなければいわゆるインフレになり、反対になればデフレになる。
取引(需要)とは、「使う」ということであり、使う=市場だとは上で述べた。
従って、取引=需要=使う=市場 需要=市場ということが出来る。
その考えに基づくとデフレとは
❶市場が資源・生産力と比べて縮小していることを表すし
また別のいい方をすれば、
❷資源・生産力が市場と比べて過剰であるということを表してもいる。
認識を❶としてみるか❷としてみるかによって、デフレにおける政策は変わることに留意いただきたい。❶の解釈に立てば、市場を大きくする政策を採ることになり、資源・生産力に合わせる形で取引を増やすまたはカネを使う。❷の解釈に立てば、資源・生産力を小さくする政策を採ることになり、取引やカネの使う量を合わせる形で資源・生産力を減らす。
❶を財政出動政策❷を緊縮財政政策という。
国は自ら借金と現金を作り出すことができる存在である。借金と現金の規模が「たくわえの規模」であり、そのたくわえの50%を使うことを「市場の規模」と上で述べた。つまり国は現金(借金)を作り出し、それを使うことによって市場の大きさを操作することは出来る。しかし資源・生産力を操作することはなかなかできない。つまり国は需要は操作できる。供給は操作しにくい。
次にバブルというものを考えてみよう。
バブルとは「局所的なインフレ」ということができる。世の中の物価相場と比較して、ある商品の物価だけが急激な値上がりをして、しかもそれでもその取引が冷めないことをいう。
これが起こる過程はいくつも考えられる。
❶その商品を作るための資源・生産力が著しく毀損している場合。
❷その商品に値段よりも価値があると人々が思い込んでいる場合。
❶は需給バランスが悪いことによって起きる現象。
❷は売れ過ぎる商品である。価格を上げても売れ過ぎる商品である。
❷が厄介で、大抵は人間の思い込みに根ざしたものだ。この商品は「9将来さらに価格が上がるに違いない」という幻想を集団が本気で思い込んでいれば、この装置は起動する。投機商品に多い傾向がある。金融商品、金融派生商品にこの傾向がある。
❶によるバブルは主に自然界の資源が足りなくなってきた時に起こりやすい。
❷は大抵が人間の生産物によって引き起こされる。◯◯権などという人間が作り出した権利という商品は、人間にある思い込みをさせる傾向が強い。
人間を騙すために、人間は偽りの生産物を作ったりする。
生産物は偽りのだろうがホンモノだろうが生産物と割り切るか、偽りの生産物は生産物とは認めないと頑張るか。
そして、それらが混ざった「生産物」を買う人がいたとして、それを「市場がある」と認めるか、「偽りの市場」として退けるか。
経済は本質的には、法律に違反しない限りは、全ての生産物を認める傾向にある。従ってそれらが取引によって市場が拡大するこということを認める傾向にある。
私には違和感ばかりで、どうも経済にはあまり関わりたくないと思う次第である。