心底失望した。おそらくほとんどすべての国民がそう思っていることだろう。何に失望したのか?この国の政府にである。
何から書いていいのか、枚挙にいとまがないくらい酷い内容のものばかりである。思いつくままにつらつらと書いていこう。
まず現在まで、コロナによる死者数が少ない理由は、国民の衛生観念が高いからであろう。断じて政府の努力によるものではない。2月から今日にかけての2か月は国民の不断の努力によって政府に2ヶ月間の時間が与えられた。しかしこの2ヶ月の時間は政府の無為な時間潰しによって台無しになった。
つぎに経済について。日本政府は経済において国民を守る意志がないことが証明された。この事態に及んでもなお、政府支出をケチるのである。
溺れている人がいるのに、浮き輪をどう投げるかを検討している。
しかもあろうことか、浮き輪を投げるのが惜しいかのように浮き輪代をケチってなかなか投げないのである。
そして極め付けは、休業要請とやらである。休業命令ではなく要請である。命令なら国家の補償がセットになるから、言葉を要請を変えている。命令に見せかけた自粛を雇用者と労働者たる国民に強いているわけだ。
「国家は命令してない。要請してるだけだ。そのかわりそれを実行しなかったら、、、わかるな?」という圧力を暗に感じる。そして要請を受けて休業しても、国家による補償はない。あってもショボすぎて冗談にしか見えない。あくまで君たち国民の自粛、自主規制に過ぎない。貧乏になっても国家はたすけない。わかるな?」と言っているようなものである。
この一点をみても、すでに国家の体を成していない。
というか、国民は暴動を起こしてもいいんじゃないだろうか?どう贔屓目にみても、いまの政府は
「パンが無いならブリオッシュを食べればいいじゃない」と言っているようにしか聞こえない。
WHOに160億を配って、あのテドロスのバカを黙らせるという無駄金を使ったバカ政府。
国民に布マスクを2枚配るために400億以上もかけるバカ政府。
30万の現金給付の対象者が、住民税の非課税世帯(年収100万未満)というもので、それ以外の者には給付は無しという当初の発表をしたバカ政府。108兆の事業規模の支出などというレトリック的ないい回し。このご時世にだれが政府の「貸し付け」なんて受けるんだろう?いわゆる真水は16兆程度であり、その16兆ですら、上に述べたような人間を対象にしかしていない限定的なものであり、しかも手続きが面倒くさいものだ。
そりゃタクシー会社が会社都合で600人の首を切って、失業保険で6ヶ月間の給付に入るのもうなずける。雇用者と労働者の間で、それに合意し、のちに再雇用の約束をしたとか。国が国民を助けることなくケチるものだから、現行の制度をつかってギリギリ、あるいはブラックな行動を取るのは至極当たり前の話である。この手の方法は、今後零細企業が多く実行することになるだろう。政府がそれにたいして厳罰でもってのぞめば、雇用者も労働者も暴動を起こしても良いだろう。
政府は国民の不断の努力による感染と死亡者の少なさにあぐらをかき、ろくに収束の対策を行えず国民の生命の安全を脅かし、財産については要請などという得体の知れない命令的な圧力をかましながら、補償を一切せずに、財政規律とやらを追求し国民を飢えさせるのである。
国家の責務が、国民の生命の財産をまもる、とするなら、いまの日本国は国家の体を成していない。去年の10月の消費税10%への増税。台風19-21号の被害。そして今回のコロナウイルスによる被害。全部の対策が国民から財と安全を奪う事柄である。思えば政権を民主党から奪還したときに5%から8%に上げた消費税。あの頃から与党の馬鹿野郎ぶりは発揮していたのである。
民主党政権の時は確かにひどかった。相対的に見れば自民党はマシに思えたし、国民もそういう感覚があったから、自民党は大差で与党に返り咲いたが、こんかいの政府のやり方を見て、国民の殆どはいまの与党が政府の体を成していないほどの無能な舵取りをしていることに気づき、心の底から失望している事だろう。
どう贔屓目にみても、国民たる乗員よりも、政府たる船の船体を守ることに必死なのは明白だ。乗員が死んでも船は守ると言っているようなものだ。たとえその乗員の大多数が死んだとしても、、、、。
各都道府県の知事は、今後様々なところで休業要請という命令的な自主規制をおこない、雇用者と労働者を失業に向かわせるであろう。コロナはいつかは収束するかもしれないが、経済はそうはならず下落の一途を辿るに違いない。少なくとも国民の努力は、政府による無能な介入の為に水泡と化したのである。この失望により、コロナの死者が少なかったという優等生ぶりは、今後は発揮されることはあるまい。なにしろ、国民が不断の努力をしても政府の政策によって奈落に叩き込まれてしまったと知ってしまったから、今後は誰のためにこの努力をしてるのか?ということを国民一人一人が疑問に思ってしまっただろう。
もはや、国という共同体にたいする為、などという思いは今後間違いなくうすれ、その共同体の規模は、家族という最小単位まで粛々と縮小していくのであろう。
総理大臣がどんな言葉を語ろうが、行動においては国民を助ける意思がないと見えてしまった以上、この馬鹿野郎は引きずりおろさねばなるまい。