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北京郊外にある万里の長城の観光地は三箇所あるが、その中でもっとも有名な場所は「八達嶺長城」である。
万里の長城まではバスが出ている。ここでタクシーを使うのはハッキリいって勿体無い。万里の長城行きのバスは徳勝門から出ている。徳勝門への最寄の地下鉄は积水潭駅で降りて徒歩で徳勝門まで歩く。バスの番号は919番だが、919番のバスは徳勝門よりもはるか手前にもあるので、そちらには間違っても乗らないように。市内を回るバスと、万里の長城行きのバスとでは明らかにバスの形状が異なる。長城行きのバスは長距離バスで観光バスのようなつくりをしているから分かりやすい。料金は片道12元。タクシーで行ったらおそらく片道100元くらいは取られるのではないか?
現在の万里の長城は明代に作られたものである。始皇帝の時代の長城は土塁。しかも、その長城でさえすべて始皇帝が作ったわけではなく、戦国の七雄と言われる趙や韓などが作ったものを始皇帝が繋げたというものである。国内にも長城はあったらしいが、それらは取り壊されたという。
それにしても凄い人である。人、人、人だ。人だらけ。西域から北京に戻ってみるとさっそく人だかりである。
万里の長城は傾斜も激しい。所によっては15度くらいの傾斜の場所がある。そこは階段もなく、ひたすらの坂である。
とにかく、今回の旅行は遊牧民にちなんだ土地をずっと回ってきた。締めくくりが遊牧民の進入を防ぐ万里の長城であったというのも面白い。
しかし流石に北京郊外の長城は、西域のものは違って堅牢かつ壮大である。山の峰にそってどこまでも長蛇のように続いている。
明国の力の大きさを示す建築物ではないか。
今回の旅は北京~ウルムチまで列車を使い、ウルムチから飛行機で北京に戻るという、合計7,000キロにおよぶ大旅程であった。わずか11日間の現地の滞在であったので、これまでにないほどの強行軍を強いられたが、特に印象に残る土地はやはりトルファンであった。西安・北京に関してはともかく、トルファンにはもう一回今度はゆっくりと滞在してみたい。
旅行記を長々と書いてきたが、今回のこの長城編でおわりである。
さぁ、来年はまたどこにするかなぁ。
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万里の長城まではバスが出ている。ここでタクシーを使うのはハッキリいって勿体無い。万里の長城行きのバスは徳勝門から出ている。徳勝門への最寄の地下鉄は积水潭駅で降りて徒歩で徳勝門まで歩く。バスの番号は919番だが、919番のバスは徳勝門よりもはるか手前にもあるので、そちらには間違っても乗らないように。市内を回るバスと、万里の長城行きのバスとでは明らかにバスの形状が異なる。長城行きのバスは長距離バスで観光バスのようなつくりをしているから分かりやすい。料金は片道12元。タクシーで行ったらおそらく片道100元くらいは取られるのではないか?
現在の万里の長城は明代に作られたものである。始皇帝の時代の長城は土塁。しかも、その長城でさえすべて始皇帝が作ったわけではなく、戦国の七雄と言われる趙や韓などが作ったものを始皇帝が繋げたというものである。国内にも長城はあったらしいが、それらは取り壊されたという。
それにしても凄い人である。人、人、人だ。人だらけ。西域から北京に戻ってみるとさっそく人だかりである。
万里の長城は傾斜も激しい。所によっては15度くらいの傾斜の場所がある。そこは階段もなく、ひたすらの坂である。
とにかく、今回の旅行は遊牧民にちなんだ土地をずっと回ってきた。締めくくりが遊牧民の進入を防ぐ万里の長城であったというのも面白い。
しかし流石に北京郊外の長城は、西域のものは違って堅牢かつ壮大である。山の峰にそってどこまでも長蛇のように続いている。
明国の力の大きさを示す建築物ではないか。
今回の旅は北京~ウルムチまで列車を使い、ウルムチから飛行機で北京に戻るという、合計7,000キロにおよぶ大旅程であった。わずか11日間の現地の滞在であったので、これまでにないほどの強行軍を強いられたが、特に印象に残る土地はやはりトルファンであった。西安・北京に関してはともかく、トルファンにはもう一回今度はゆっくりと滞在してみたい。
旅行記を長々と書いてきたが、今回のこの長城編でおわりである。
さぁ、来年はまたどこにするかなぁ。
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