Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

衣替えの季節

2020年03月30日 21時48分40秒 | 世間話
コロナウイルスが猛威を振るっている中、気温もようやく暖かくなり始めた今日この頃。昼間の気温ですこし汗ばむ陽気が見え始め、過ごしやすくなってきた。本来なら花見や旅行などの花鳥風月を愛でる季節としては最適でありながらも、目下の新型ウイルスの情勢下では出かけるわけにもいかず、しかたないので明日からは、去年などに赴いた国内旅行の簡易旅行記をUPしていきたい。
 毎日の報道をみていると、どうしても新型コロナと経済対策などの暗いニュースが多く、加えて家の中で過ごすことが多くて、どうも精神衛生上悪い。
 エアコンの効いたいつも同じ温度で安定した家。いつも同じ照度で照らし続ける電灯の元でパソコンの電源を入れて、いつもと変わらぬサイトを見に行くという生活。これを養老孟司は「人間がつくった秩序空間」あるいは「脳化社会」と呼んで、その環境のみでの生活をつづけることに警鐘を鳴らした。氏曰く、人間がつくった秩序空間だけで生活するというのは、人間の意識に強く反映された生活であると言う。つまり上述した「いつも同じ温度」「いつも同じ照度」「いつも同じ刺激」となり、これは意識上は心地いいようだが、実はそうでもないらしい。氏に言わせれば、我々の身体はいまだサバンナのサルであり、我々の動物的な身体には、前述した「脳化社会」「人間がつくった秩序空間」のみに生きてると、どうも脳内にその秩序生活による「澱がたまる」ようで、無意識的に澱すなわちストレスがたまるようだ。
 たまに表にでて、同じ温度でもなく、同じ照度でもなく、目だけの刺激ではなくて聴覚や嗅覚、触覚、味覚などの新たな刺激に触れるのも、サバンナのサル(われわれ人間)には必要なようだ。近代社会で問題になっている鬱などの精神病は、つまるところ、この澱が解消されずに溜まった結果として引き起こされるのではないか?と氏は喝破する。

 したがって、現在コロナで外出ができない状況にある我々は、まさしくその「澱」がたまりつつあることを示しており、春の陽気が訪れても、それを楽しむことができないので、我々は現在澱を解消できずにおり、すなわち鬱に向かって進んでいる過程にあるのかもしれない。それゆえ、せめて視覚において少し刺激あるものを、ブログの日記的に書くことによって、私の澱を少しでも沈めたく思い、明日から少しずつ去年の国内旅行記をまとめながらUPしていきたい。


日本経済とか

2020年03月30日 03時29分00秒 | 政治 経済
経済についての話題は多いが、本当のところは経済なんて誰にもわからないテーマである。それは移ろいやすい人の集団の心を読む行為と同じだからである。
今回のコロナの件で、安全と経済という相反する問題があったとき、わかりやすい記事に仕立てようとしたら、安全だけを取り上げる。また、経済だけを取り上げるといった極端な路線に進めば楽である。
安全管理がなってない!といえば、まあ否定する人もいないだろうし、経済が悪くなる!と言ってもそれは事実だろう。
あまり人気のない論説は、できる限り、安全も経済的損失も両方とも損なわない方法という極めて抽象的で真ん中なものだ。
人気がない。何しろそれは、経済を損なわないレベルでの死者数はやむを得ないという主張にも見える論説だし、もしくは過剰な死者を出すくらいなら経済なんて悪くなってもかまないという主張にも見え、どちらのサイドの人々からの評判が悪くなることは請け合いだからである。

さて、経済が悪化すると自殺者が増える。
安全が脅かされてると病死者が増える。
GDP1%の下落で自殺者が年間1000人減るという。

ではここで思考実験をしてみよう。
現在の措置を安全度100とする。(100%安全という意味ではない。現在の死者数の推移を便宜的に100という数字にしてるだけだ)   そして安全度が現在100として1安全が減ると、死者数が年間100人増えると仮定する。現在の安全度を維持するなら、GDPは年間2%下落すると仮定する。つまりこのままだと年間2000人は経済の悪化が原因で自殺するわけである。
  ここで、もし安全度を10下げて90にしたら、死者はこれまより1000人多く亡くなることになる。しかしながら安全度を下げたお陰で、GDPの下落は0.5%まで減ったとしよう。この場合GDPの下落による自殺者数は500人となり、病気の死者と自殺者の合計は1500人となる。
  現在の状況における死者が2000人を前提としているから、結果的にこのシミュレーションでの安全度を安全10下げるということは、死者が少なくなるということになる。安全度の低下による死者数の仮定やGDP悪化による自殺者数の仮定はあくまで仮定であり、その信憑性や実効性は精密に確認されなければならないが、この仮定が正しいとすれば、安全度を10下げた方が、多くの人の人命は今よりは守れるという結論になるが、これはあくまでマスの論理である。
実際に集団とは、子供、青年、老年がおり、どの層がどのくらい死ぬのかは、ここでは語られていない。経済などの影響は、実際は老人の死亡と青年の死亡を一緒にして同じ効果になるとは考えられない。
さらには病死の増加と自殺者の減の状態と、病死の減少と自殺者の増加の状態を比べたとき、人々の印象として、どちらの方がよりショッキングな出来事なのかということについては、理屈では解き明かせないものがある。なってみないとわからない。
未来の分岐は1つしか経験できない以上、両方同時に経験して比較はできないのである。
従って、経済について何か語れることがあるとしたら、あくまで単純モデルのマスの事柄だけである。しかしそんなものは、先ほどの思考実験で書いたような内容であり、きわめて機械論的な思考で、本当の意味では役に立たない。