コロナウイルスが猛威を振るっている中、気温もようやく暖かくなり始めた今日この頃。昼間の気温ですこし汗ばむ陽気が見え始め、過ごしやすくなってきた。本来なら花見や旅行などの花鳥風月を愛でる季節としては最適でありながらも、目下の新型ウイルスの情勢下では出かけるわけにもいかず、しかたないので明日からは、去年などに赴いた国内旅行の簡易旅行記をUPしていきたい。
毎日の報道をみていると、どうしても新型コロナと経済対策などの暗いニュースが多く、加えて家の中で過ごすことが多くて、どうも精神衛生上悪い。
エアコンの効いたいつも同じ温度で安定した家。いつも同じ照度で照らし続ける電灯の元でパソコンの電源を入れて、いつもと変わらぬサイトを見に行くという生活。これを養老孟司は「人間がつくった秩序空間」あるいは「脳化社会」と呼んで、その環境のみでの生活をつづけることに警鐘を鳴らした。氏曰く、人間がつくった秩序空間だけで生活するというのは、人間の意識に強く反映された生活であると言う。つまり上述した「いつも同じ温度」「いつも同じ照度」「いつも同じ刺激」となり、これは意識上は心地いいようだが、実はそうでもないらしい。氏に言わせれば、我々の身体はいまだサバンナのサルであり、我々の動物的な身体には、前述した「脳化社会」「人間がつくった秩序空間」のみに生きてると、どうも脳内にその秩序生活による「澱がたまる」ようで、無意識的に澱すなわちストレスがたまるようだ。
たまに表にでて、同じ温度でもなく、同じ照度でもなく、目だけの刺激ではなくて聴覚や嗅覚、触覚、味覚などの新たな刺激に触れるのも、サバンナのサル(われわれ人間)には必要なようだ。近代社会で問題になっている鬱などの精神病は、つまるところ、この澱が解消されずに溜まった結果として引き起こされるのではないか?と氏は喝破する。
したがって、現在コロナで外出ができない状況にある我々は、まさしくその「澱」がたまりつつあることを示しており、春の陽気が訪れても、それを楽しむことができないので、我々は現在澱を解消できずにおり、すなわち鬱に向かって進んでいる過程にあるのかもしれない。それゆえ、せめて視覚において少し刺激あるものを、ブログの日記的に書くことによって、私の澱を少しでも沈めたく思い、明日から少しずつ去年の国内旅行記をまとめながらUPしていきたい。