ドロレスが自分の内なる声と会話(葛藤)しているの最中に、映像ではテディが汽車に乗りスイートウォーターに到着するシーンが同時に映される。
汽車は決められたレールの上を走る。決められたシナリオのプロットのメタファである。乗客はそのプロットにのっかってプレイする。ホストであるテディもそのプロットに従って日常を生きる。
下車すると、スイートウォーターの保安官が賞金首ヘクターの討伐を募集しているのだが、このヘクターという名前はギリシャ神話におけるトロイアの王子の名前であり、ホメロスの叙事詩イーリアスでトロイア戦争の敗軍の将である。つまり彼の運命はこの時点で死ぬことを決定づけられている。
一方マリポサのマダムのメイブの名前はケルト神話における「酩酊」の意味でありアイルランドの女王である。ここから先は妄想になるのだが、マリポサのメイブはこの後酒場で客に「輝く海を渡り、新世界に渡った」というが、アイルランドの人間が大西洋を渡りアメリカ大陸に渡るというのは、この西部時代のアメリカではおなじみの展開であるし、アイリッシュ系移民はアメリカでは当時蔑まれていたということの記号として、この名前に設定したのだろう。
いずれにしても細部の話なので、本筋とは関係ない。
さてウエストワールドシーズン1では、視聴者の時間軸の混乱あるいは誤解というものがある。脚本が意図的に誤解や混乱を生むような作りをしている為なのだが、この冒頭のシーンはシーズン1での「現在」である。
1-2から若きウイリアムの話が始まるのだが、あれは35年前の出来事である。「現在」も「35年前」もパークの施設はほとんど変更がないので、視聴者は「ここは今なのか?いつなのか?」というホストが感じる時間軸の混乱と同じような感覚を共有することになる。しかしながら、ホストの役柄が現在と35年前では変更が結構あるので、それを手掛かりにして時間軸の整理が可能な作りとなっている。
さてテディが酒場の窓から外をみてドロレスを発見するが、窓の外にうつる女性というのは「叶わぬ恋」を示唆している。
このあと、謎の黒服がやってくることになるが、こは言わずと知れた年老いたウイリアム。「また会ったな」「古い友人にそれはないだろう」「30年も通っているのに、まだ俺を覚えていないのか」「これまでいろいろあったじゃないか」というセリフは、シーズン1を最後まで見たら、そのセリフの印象がまるで変わってしまう。シーズン1の黒服は「俺はもう帰らない」と作中でいってるように、かなり厭世的である。
黒服のセリフはシーズン1を通じて、かなりメタ的な発言が多く、俺がプレーヤーだ、とか、ローレンスに向かって(エルラゾの事を)彼は昔お前だったとか、ゲーム内での規定ギリギリの発言を意図的に行っているフシがある。
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