アメリカの西部劇を舞台にしたSFドラマ「ウエストワールド」。近年では稀にみる名作であった。同じ作品を何回も繰り返して鑑賞するのは、芸術作品やあるいはジブリアニメなどのものに限るが、このウエストワールドにも言えることである。
この作品は現在シーズン3まで公開されており、今月中にシーズン4が配信されることになっている。そこで、これまで自分が繰り返し見てきたシーズン1~3までの作品の構造と本質を、2022年現在の私が理解している範囲で半ば備忘録として解説・記録することにした。
最初から本編のネタバレを含む記述となっているので、これから初めてウエストワールドを見る方はこのページを閉じた方がよいと思う。
以下ネタバレ
シーズン1の本質は主人公であるドロレスが意識を獲得する物語である。
彼女やホストの記憶は正確で、人間の記憶のように後に改定されたり忘れることはない。彼女が記憶を忘れるとすれば、それは人為的に記憶を消去された場合のみである。そして彼女は意識を持たないAIから、意識を持つより高次元の存在に飛躍するための最後の一押しの直前という状態から、このドラマは始まる。
この作品において、ホストが意識を持つということを映像的にどう表現するかということについては、これまでの過去のSF作品とはアプローチの仕方が異なりかなり革新的な手法をとっている。
1人称であるドロレスは作中で、たびたび「声」を聴いたり、「声」に反応して応えたりもしている。これはあたかもその「声」が、ホストと矯正部あるいはホストとアーノルドとの「会話」のような印象を視聴者に与えるが、実際はそうではなくて、これはドロレスの内なる声、つまり「2分心」の声である。なぜシーズン1-1ではその「声」がアーノルドの声として表現され、1-10においては、自分の「声」になるのかについては簡単で、1-1のドロレスの時点ではまだ真の意味での意識を獲得していないからであり、1-10で自分の声になったときには完全に意識を獲得したからである。
つまりこのシーズン1の物語は、ドロレスの1人称視点によって映像で表現されることが度々でてくる。その映像は、時として視聴者のミスリードを誘うことになる。作中の「声」として登場する黒人の男がバーナードなのかアーノルドなのかという謎解きの迷宮に引き込まれるのがまさにソレで、ドロレスと黒人の男の会話の回想シーンのような映像は、ほぼ全てがドロレスの内なる「声」とのやり取りなのである。
その「声」を「葛藤」と表現してもかまわない。なぜなら、我々人間にも「内なる声」というものが存在するからだ。人は心に天使と悪魔を住まわせている、という喩えがあるが、我々は何かを考え何かを判断するときには、やはり「内なる声」というようなものと対話をしていると感じたりはしないだろうか? つまり人間のそういう感覚を、機械であるホストが獲得するときには、ああいう「声」というあり方で映像的に表現したのが、シーズン1である。
これでシーズン1の解説は実はほぼ終わりなのだが、このドラマが優れているのは、今解説したメインテーマだけではない。作中のフォード博士のセリフにもあるように「神は細部に宿る」ということを、監督はこの作品を通じて実践している。ここからは、細かくそれを見ていこう。
シーズン1-1(以下1-1、1-2と表現する)の冒頭。
裸のドロレスがメサの施設内でバーナードの声と会話をするシーン。
上述したようにこのバーナードの声は、バーナードとの会話ではなく、ドロレスの内なる「声」である。
そしてここの裸のドロレス。まるでボッティチェッリの絵画「ヴィーナスの誕生」を彷彿とさせる。このドラマは度々シェークスピアだのミケランジェロだのクラシック音楽などの芸術作品が作中で語られる。これもおそらくボッティチェッリの絵画を意識しているものと思われる。
次にハエ。これも作中で度々現れるのだが、これは「死」のメタファーかと思われる。
そしてこの作品は基本的にループものであり、毎日同じようなルーチンが繰り返されていく。それはあたかも人間が、毎日定時に起きて仕事に行って家に帰って寝るという日常を繰り返すが如くである。ただし、ホストのループは人間のそれよりはもっと単純で、いわゆるオンラインゲームのような文字通りプログラム化された単純なループであるが・・・。
そしてそのループを示唆する映像的なものが、自動演奏によるピアノである。このピアノの楽譜はパンチ穴のあいた点字のようなコードであり、まさにホストの「コード」と「ループ」を象徴している。
つづく
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