2週間と開けず、長崎県美術館に行ってきました。
まず企画展示室で開催されているのは
「没後5年―求道と鎮魂の絵画―平山郁夫展」。
玄奘三蔵にはじまる仏教を修めるための東への旅、
その道筋となったシルクロード、
そしてその中に多く含まれる文化遺産・・・
そういったモチーフで知られ、院展常連であった「日本画壇の大家」。
そんなイメージから今まで意識して作品を見に行こうとは思わなかった
個人的にはそんな画家であったのですが。
広島の瀬戸内海に浮かぶ島に生まれ、自然に囲まれて暮らした少年時代。
広島市内の旧制中学へと進んだ彼に訪れた、学徒動員。
そして訪れた、1945年8月6日。
運よく爆発の火や熱には晒されなかったものの、
市内の地獄絵図を目の当たりにし、命からがら島へと帰り着きます。
終戦後、美術学校へと進み「何を描くべきか」に苦悩する日々。
その中で、あの日に被曝した放射線の影響での
白血球の減少による体調不良にも悩まされ
たどり着いたモチーフが「仏教」でした。
教えの本質を求め、多くの危険にさらされながらも砂漠を往く僧たち。
仏典に記された、釈迦の誕生から入滅までのエピソードたち。
意外にも硬質な線画を、柔らかく彩っていくというそのスタイルが
求道者たちの姿と、それを空から見守る御仏の心を描いているようにも感じ、
いままで触れてきた日本画よりも西洋画に限りなく近い風合いを感じさせます。
幾度となく取材のためシルクロードを訪れ、数々の遺跡に触れた彼は
人類共通の遺産である遺跡を守るための活動も行っていきます。
そんな活動を続ける中、かつての自分の被爆体験とも再度向き合い、
唯一の被爆体験を描いた作品「広島生変図」も
8月9日から特別展示が行われます。
(それまでは下絵的な作品が展示され、8月9日以降の再入場が1度だけ可能になります)
エキゾシズムと求道的なストイックさ、そして砂漠や光の美しさに
魅せられる展覧会でございます。
一方、1Fの県民ギャラリーでは夏休みらしい展示として
長崎新聞社主催の「魔法の美術館 ~光と影のワンダーランド~」を開催。
実際に触り、動き、体感するメディアアートを集めた展覧会になっています。
身体の動きに合わせて変化する映像や音、という
技術を駆使したインタラクティブアートの数々が
子どもたちとその親をも魅了しておりました。
撮影された自分の映像を用いる作品については
気恥ずかしさからほとんど体感しなかったのですが
いくつかの光の奔流が見られるような作品には
ついついぼーっと見とれる瞬間もございました。
さて、次は7月中に福岡行っておかないと・・・
見たい展覧会があるので、見たらそのうちに感想を書きたいと思います。
まず企画展示室で開催されているのは
「没後5年―求道と鎮魂の絵画―平山郁夫展」。
玄奘三蔵にはじまる仏教を修めるための東への旅、
その道筋となったシルクロード、
そしてその中に多く含まれる文化遺産・・・
そういったモチーフで知られ、院展常連であった「日本画壇の大家」。
そんなイメージから今まで意識して作品を見に行こうとは思わなかった
個人的にはそんな画家であったのですが。
広島の瀬戸内海に浮かぶ島に生まれ、自然に囲まれて暮らした少年時代。
広島市内の旧制中学へと進んだ彼に訪れた、学徒動員。
そして訪れた、1945年8月6日。
運よく爆発の火や熱には晒されなかったものの、
市内の地獄絵図を目の当たりにし、命からがら島へと帰り着きます。
終戦後、美術学校へと進み「何を描くべきか」に苦悩する日々。
その中で、あの日に被曝した放射線の影響での
白血球の減少による体調不良にも悩まされ
たどり着いたモチーフが「仏教」でした。
教えの本質を求め、多くの危険にさらされながらも砂漠を往く僧たち。
仏典に記された、釈迦の誕生から入滅までのエピソードたち。
意外にも硬質な線画を、柔らかく彩っていくというそのスタイルが
求道者たちの姿と、それを空から見守る御仏の心を描いているようにも感じ、
いままで触れてきた日本画よりも西洋画に限りなく近い風合いを感じさせます。
幾度となく取材のためシルクロードを訪れ、数々の遺跡に触れた彼は
人類共通の遺産である遺跡を守るための活動も行っていきます。
そんな活動を続ける中、かつての自分の被爆体験とも再度向き合い、
唯一の被爆体験を描いた作品「広島生変図」も
8月9日から特別展示が行われます。
(それまでは下絵的な作品が展示され、8月9日以降の再入場が1度だけ可能になります)
エキゾシズムと求道的なストイックさ、そして砂漠や光の美しさに
魅せられる展覧会でございます。
一方、1Fの県民ギャラリーでは夏休みらしい展示として
長崎新聞社主催の「魔法の美術館 ~光と影のワンダーランド~」を開催。
実際に触り、動き、体感するメディアアートを集めた展覧会になっています。
身体の動きに合わせて変化する映像や音、という
技術を駆使したインタラクティブアートの数々が
子どもたちとその親をも魅了しておりました。
撮影された自分の映像を用いる作品については
気恥ずかしさからほとんど体感しなかったのですが
いくつかの光の奔流が見られるような作品には
ついついぼーっと見とれる瞬間もございました。
さて、次は7月中に福岡行っておかないと・・・
見たい展覧会があるので、見たらそのうちに感想を書きたいと思います。