最近古本で買ってきた
天野祐吉「広告みたいな話」などをぼーっと読んでいて
バブル前→バブル中な時期のカルチャー論的なものと
現在の置かれている状況を比較してみたりなんかして。
バブル期(昭和末~平成頭)くらいは
誰もテレビのことを疑わず、テレビの嘘はテレビが検証してくれる、と
思っていたころの話だったりするわけで、
95年のWindows95以降のインターネット時代から
あらゆる文化は変わってしまったんだなぁ、と改めて思ってしまいます。
少しがんばれば世界各国のニュースを知ることができ、
各人がニュースの発信者になれてしまう時代の
メディアってどうなっていくんだろうね、というのは
いまさら俺なんかが書くことでもなく
あちらこちらで有識者から一般の方まで
語っていることではあるわけですが
こうして「ネット前」のメディア論的なものを読むと
変わってないようでものすごく変化している、ということに
改めて驚かされてしまうわけで。
音楽ブログを書いている関係上、それこそ50年以上前の曲から
最近の曲までをシームレスに聴いているわけですが
音色とかリズムの変化はあっても、音楽の世界はほかのメディアより
ものすごい変化というのはしていないのだなぁ、とも思うわけで
そこに最近の音楽不振の原因があるのかもなぁ、と
とめどなく思考が脱線していく深夜なのでした。
天野祐吉「広告みたいな話」などをぼーっと読んでいて
バブル前→バブル中な時期のカルチャー論的なものと
現在の置かれている状況を比較してみたりなんかして。
バブル期(昭和末~平成頭)くらいは
誰もテレビのことを疑わず、テレビの嘘はテレビが検証してくれる、と
思っていたころの話だったりするわけで、
95年のWindows95以降のインターネット時代から
あらゆる文化は変わってしまったんだなぁ、と改めて思ってしまいます。
少しがんばれば世界各国のニュースを知ることができ、
各人がニュースの発信者になれてしまう時代の
メディアってどうなっていくんだろうね、というのは
いまさら俺なんかが書くことでもなく
あちらこちらで有識者から一般の方まで
語っていることではあるわけですが
こうして「ネット前」のメディア論的なものを読むと
変わってないようでものすごく変化している、ということに
改めて驚かされてしまうわけで。
音楽ブログを書いている関係上、それこそ50年以上前の曲から
最近の曲までをシームレスに聴いているわけですが
音色とかリズムの変化はあっても、音楽の世界はほかのメディアより
ものすごい変化というのはしていないのだなぁ、とも思うわけで
そこに最近の音楽不振の原因があるのかもなぁ、と
とめどなく思考が脱線していく深夜なのでした。