リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

眼福の時

2008-08-13 | art
東京国立博物館にて「対決―巨匠たちの日本美術」観る。
師弟、ライバル、近い作風の作品を並べて展示するという企画展。
とりあえず対決のカップリングがすごいです。

ほとんど日本美術オールスター戦という感じ。
雪舟はやっぱすごいなとか、応挙の虎はかわいいとか、等伯はアブストラクトだよなとか、見所満載でした。
目玉の、宗達と光琳の「風塵雷神図屏風」は、肉眼で見れて感激です。

会場が混み混みで、他の展覧会だったらメイン展示になるはずの作品でも興味薄いと流し見になってしまったのは残念ですが、心地いい疲労感を味わいました。

東京国立博物館は、常設展示も一日で見きれない充実度なので、お勧めです。
大学受験で使う、山川出版社のビジュアル資料集でみたことある作品や資料が生で見れますよ。

修悦体の魅力

2007-09-16 | art
JR日暮里駅へ行く。
乗り換えのためじゃない。この駅に用があった。
この駅には、ある人物の「作品」が「展示」されている。



案内標識の独特なレタリング。
これはイケてるアート・ディレクターによってデザインされたものではない。
駅構内の改装工事の警備員が、ガムテープ(!)で制作したものだ。
制作者・佐藤修悦さんの名にちなんで名づけられた、この“修悦体”のレタリングを、私は「めざましテレビ」で知った。完全に後追い。
それにしても、通行誘導をスムーズに行なうために警備員がやむにやまれずに作ったという実用の美は、まさにパブリック・アート!路傍の芸術!



臨時の案内標識なので、工事が進むごとに設置が変化する流動性も現代アート的である。
話題になるのも分かる。まあ、私もそれに乗じた人なのだが。

以前はJR新宿駅構内の工事で、この“修悦体”は「展示」されていたらしい。
日暮里駅の工事が終われば、アナタの最寄り駅が展示会場になるかもしれない。



※“修悦体”に関しては、ここのサイトで詳しく紹介されています。興味のある方はどうぞ。

ヨコハマ・ビルディング

2007-05-06 | art
ヨコハマ・カンコウ続編。
「横浜写真アパートメントin北仲WHITE」観る。

もともとオフィスだった建物を、ギャラリーとして利用し、写真を展示するという企画。旧帝蚕ビルディングという昭和2年に建てられた建物だそう。
歴史的建造物好きにはたまらないディテールがいっぱいで、画像をだいぶ撮った。(室内の撮影可でした)。

 

 

展示された写真を見て思ったのは、やっぱ横浜はフォトジェニックだなってこと。
横浜には、中華街・山手の異国情緒もあるし、みなとみらいの人工的な近未来感もあるし、伊勢佐木町・野毛の下町的人情もある。もちろん、こういう繁華街じゃない町にも魅力はある。
カンコウ的視点で、ヨコハマの良さを再確認した。

北仲WHITEがある地区は、現在、再開発が進んでいるという。魅力的な建物は、是非何らかの形で残してほしい。ぴかぴかしたビルばかりじゃ、味気ないよな。

ヨコハマ・ウォーター

2007-05-04 | art
実家から独居に戻りがてら、横浜に立ち寄った。
かつては通学・通勤のターミナルとして、歩き倒した街・横浜。
今回はカンコウ気分で、ヨコハマを歩いた。

「水の情景―モネ、大観から現代まで展in横浜美術館」を観る。
横浜美術館は、面白い展覧会を企画するし、版画・写真までカバーした常設展も面白いので、足繁く通っている。
この展覧会は、「水」をテーマにした作品を集めたもの。絵画、写真、映像、彫刻など、あらゆるジャンルが網羅されている。
同じ展示室に、壁に掛かった絵画と、空間自体を「展示」として構成するインスタレーション作品が並列しているのは、一見、がちゃがちゃしたまとまりのなさを感じさせる。
けれど、目を転じたときに視界に入ってくる意外性が刺激的だし、「水」という括りの着眼点が面白い。
音を使った作品も多く、波の音や、海中のくぐもった音、砂音などが、会場に遠鳴りのように響いていた。
こういうチャレンジングな企画展は、がんばって続けてほしい。「開港以来、独自の文化を花開かせてきた横浜は、近代水道発祥の地として・・・」なんていうオトナを言いくるめる大義名分が、なんだか笑えた。またダマしてナイスな展覧会を見せて下さい。


美術館前にも、竹を組んだ巨大鹿おどし作品が設置されていた。

原宿で虎と龍が再会

2007-02-12 | art
原宿に行く。
駅前には華やいだ若い人々がたむろしている。
あまり得意な雰囲気ではない。
では、原宿に何をしにきたか?
クレープ屋の甘い匂いをすり抜け、向かったのは、他でもない、太田記念美術館である。
葛飾北斎の肉筆画を見るためだ。

太田記念美術館は、浮世絵に特化した美術館である。
大学在学中、存在は知っていたが、訪れたことはなかった。
それなりに浮世絵好きであったのに。
実家に別冊太陽の浮世絵シリーズがあり、中学生の頃からよく眺めていた。
(ちなみに春画はモノクロで修正されていた。今ではオールカラー無修正で多数出版されている)
特に北斎は好きだった。
多彩な作風、奇抜な構図、アナーキーな人物像と魅力は尽きない。

今回は、フランスのギメ東洋美術館の所蔵作品の展示なのだが、そのうちの一点「龍図」が、太田記念美術館にある「虎図」と対であることが発見されたらしく、ほぼ百年ぶりの再会であるという。

並んだ二点の掛け軸は、虎が龍に向かって吠えており、互いに目線がぶつかっている。
彩色された虎と墨一色の龍で見事に対比的だ。


「今ごろ気付いたのかよ、全く。それにしても、有り難がって見るなんざ、粋じゃねえなぁ、現代人は」
そんな北斎の声が聞こえてきそうだ。

※画像は売店で買ったコースター。各二百円。

内側に向けた問い

2006-08-18 | art
 私は、以前「藤田嗣治で考えた」と題し、“戦争画”について書きました。
“戦争画”を通して、戦後61年を経た歴史認識について考えてみたかったのです。
芸術家の運命と戦争の時代に想像力を働かせ、歴史の断絶を埋めようとすること。その試みでした。
単に“戦争画”というセンセーショナルな話題を、興味本位で選んでいると思われたかもしれません。自分でも一過性の関心で終わるものではないと思っていました。
司修著『戦争と美術』(岩波新書)は、画家の立場から画家の戦争責任について書いています。自らの幼少期の戦中・戦後の記憶をたどり、自問自答する正直な、真摯な姿勢に感銘を受けました。
例えば、次のような言葉は、現在の立場から過去の歴史に思いを馳せる時ぶつかるジレンマを、的確に語っています。

 戦争画について考えていくと、目的地に向けて、数日間歩き続けていたにもかかわらず、元の場所に出たという夢に似ています。

このような歴史認識の悪夢に立ち向かうには、自問自答の内側に向けられた問いを深めていくことしかないと思います。性急な答えを出して分かったことにしてしまうのは、歴史に対するギマンにしかならないでしょう。
歯切れの悪い、結論の出ない宙吊りの考えのまま、私は“戦争画”について問い続けたいと思います。

レオナルド・フジタの「さよならフランス、さよならニッポン」

2006-06-26 | art
戦後、藤田は戦時中の“戦争画”をめぐる“戦争責任”を問われることとなる。
藤田は“日本人”として描く“戦争画”にコミットしすぎていた。
また、画壇に属さなかった藤田が一人、画家の“戦争責任”のスケープゴートにされたという面もある。
他の日本人画家は終戦後、“戦争画”を自らの画業から抹消し、活動を再開した。
藤田は、非難の中、日本を離れる。日本画壇は、藤田が「日本を捨てた」と言った。
藤田は、「私が日本を捨てたのではない。捨てられたのだ」と語ったという。

今回の展覧会は、大きく三つのセクションに分かれていた。
正直、ヘビーな“戦争画”パートの後、〓章「再びパリへ」は流して見た所がある。
だが、後期の仕事も、紆余曲折に富んだ興味深い作品群である。

アメリカで藤田は、「カフェ」を描く。
今回の展覧会のポスターに使われている絵だ。
“乳白色の肌”が復活しているが、街角に向けられる婦人の視線はどこか虚ろだ。まるで華やかなりし日々の面影を追っているような…。

戦後10年の1955年、藤田は、フランスに帰化する。
そして藤田は、カトリック信者となり、洗礼を受ける。
洗礼名は、レオナルド・フジタ。
藤田は、日本に捨てられ、フランスも捨て、“神の子”として生きることを選んだ。
宗教画を精巧な描写力で描くことに没頭した。

この時期から、藤田は多くの子供の絵を描くようになる。藤田は生涯、我が子に恵まれなかった。
描かれた子供は、みな同じ顔をしている。
藤田の心に住む、フジタズ・エンジェル。
幻を追うそのイメージは、無時間的な観念の世界である。

レオナルド・フジタは、日本にもフランスにもさよならして、自らの天使舞う絵画の世界に生きた。

自ら設計した礼拝堂のフレスコ画を完成させ、藤田は生涯を閉じた。
晩年の生活では、浪曲のレコードをよく聞いていたという。

参考資料;近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(講談社文庫)


藤田の“反戦画”と、一輪の花。

2006-06-10 | art
藤田嗣治で考えた その②

国立近代美術館に、アメリカからの“無期限貸与”作品として保管されている絵画群がある。
いわゆる“戦争画”だ。
戦時中戦意高揚のために描かれた作品として、戦後アメリカに接収された。その中には藤田嗣治が描いた“戦争画”も含まれる。

藤田の、“日本人”としてのアイデンティティを求める“日本回帰”は、時代の波に呑まれていった。“日本のために”従軍し、戦地で委嘱された絵画を描き続けた。
この時期、藤田はトレード・マークのオカッパ頭を切り落とし、坊主頭にしている。

人は、生きる時代を選べない。
絵を描いて生活するには、そうするより手段がなかったのだろう。
芸術家の不幸を考える。画家をしてのピークを、制作が最も困難な時代に迎えてしまった不幸。
「アッツ島玉砕」は、芸術家の野心と時代の悲劇が生み出した、異形の絵画である。

折り重なるように描かれた兵士たち。敵も味方も--生者も死者も--判別できないほどにひしめき合う肉塊が大画面を占める。
この大作を見たものは、誰もが圧倒されるだろう。
戦争の恐怖・悲しみ・怒りが直に伝わってくる。
これは、戦意高揚の“戦争画”ではなく、戦争の悲惨さを訴えた“反戦画”であると、現代の時点から見て、私は思う。
だが一方で、かっこうの題材を得た芸術家の悪魔的な側面を感じもする。「残酷図」を描く悦び、唯美主義者の狂気を感じさせはしないか。
まるで『地獄変』の絵師・良秀のような。

「アッツ島玉砕」の画面下部には、小さな花が描かれている。
この花を指して、死者への祈りと解釈する向きもある。
けれど、そりゃないんじゃないか、と思う。
おびただしい〈死〉と、たった一輪の花が対置され、等価であるなんて、いやむしろ〈祈り〉で清算されてしまうなんて、ギマンじゃないか。
先に、私は「アッツ島玉砕」を、“反戦画”と書いた。
それは、描かれた〈死〉を引き受けること、無数の死者への想像力を持つことによって、“過去の戦争”と向き合う価値を持つ。
“反戦”といっても、死者への想像力を欠いた〈祈り〉だけでは、ただの思考停止ではないか。

国立近代美術館に保管されている“戦争画”は、数点ずつ常設展で展示されているが、まとまった展覧会が開かれたことはない。
政治的タブーとして美術史にも位置づけられてこなかった。
私たちにできることは、いつの日か“戦争画”の全貌と正面から向き合うために、戦争に対する認識と想像力のリテラシーを、鍛えておくことではないか。

“逆輸入”されたツグハル・フジタ

2006-05-31 | art
藤田嗣治で考えた その1

東京国立近代美術館で行われていた藤田嗣治展は、“逆輸入”好きな日本人で盛況だった。
土日は、一時間待ちの行列ができたらしい。まるで何かのアトラクションみたいだ。
藤田は、パリで修行し、世界に認められる唯一の日本人画家となったが、日本での評価は毀誉褒貶が激しかった。
これまでまとまった形で回顧展が開かれることがなかったので、一目“世界のフジタ”を見ようと多くの人が集まったわけだ。もちろん私もその一人だ。

藤田嗣治は、多くの自画像を残しているが、一度見たら忘れない、独特の風采である。オカッパ頭にちょびヒゲ、それに丸メガネをかけているんだから、まるでコメディアンみたいな風貌だ。
“すばらしき乳白色”と称される肌の質感、面相筆の細い輪郭で描かれた裸婦像は、藤田がもっとも得意とするモチーフである。
ユニークな風貌で華麗な絵を描く日本人。
藤田は戦略的にエキゾチズムを強調し、エコール・ド・パリの画家の一人として成功した。

パリで自らの画風を成した藤田は、中南米・アメリカを経由し、日本に帰国する。その途上で描かれた絵は“グラン・フォン・ブラン(すばらしい白の地)”以後を模索する作風の変化が見られる。
そのなかで、私は「ちんどんや職人と女中」に惹きつけられた。典型的な市井の日本人の男女を描いたものだが、スナップ・ショットのような鮮やかさで、デッサン力の冴えを見せる。
この時期は、場末の盛り場や祭りなど多彩な題材を、奔放な色彩で描いていて、面白い。

次なる画境を目指し、“日本の”画家となるべく凱旋した藤田を待っていたのは、戦争の時代だった。

ここで大きな転換点を迎えることになる。


コーリン・オガタのカキツバタはモダン・デザインだ

2006-05-06 | art
根津美術館へ行く。
通っていた大学が比較的近くにあったので、いつかはと思いつつ、行ってみると休館日ということが続いて、訪れる機会を逸していた。
五月で改築工事のため長期休館に入ると聞き、一度は観ておこうと思い、足を運んだ。

目玉は屏風絵。
尾形光琳筆「燕子花図」と円山応挙筆「藤花図」である。
「燕子花図」は、言うまでもない、美術の教科書に必ず載っている名作である。
燕子花の花と葉がシンプルに形象化され、反復されながらもズレがリズムを作り出す。金箔の下地と花の紫、葉の緑だけで一双の屏風が完璧に構成されている。
尾形光琳は、江戸時代のグラフィック・デザイナーだ。

円山応挙は光琳に較べるとメジャーではない。
だが、日本画に興味がない、わからないという人にこそ観て欲しい絵師だ。
「藤花図」は、精緻に描き込まれた藤の花と、一筆で描かれたような奔放な筆致の枝のコントラストが見事である。
お互いがバラバラにならず、画面に緊張感を与えているのは、応挙の本領だろう。

休館後の再開は2009年の予定だという。
私はこの眼にしっかりと焼き付けた。