リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

横浜の都市伝説を追うドキュメンタリー映画と、鎌倉の路上シンガーを描く劇映画。

2006-06-30 | movie
戦後、進駐軍が置かれた横浜には、「外人バー」が数多く存在した。
この場所で客を引く私娼は「パンパン」と呼ばれた。
24時間営業(!)の酒場「根岸屋」は、黒澤明監督の『天国と地獄』の舞台にもなり、戦後横浜を代表する盛り場だった。
そんな負の歴史を背負う街の記憶も、いつしか薄れていく。だが、強烈に横浜の戦後史を喚起する人物がこの街にはいた。

その名は通称「ハマのメリーさん」。白塗りで、白いドレスをまとい、高齢になっても街角に立ち続けた。
素姓を明かさない「メリーさん」の周りには、噂ばかりがつきまとった。
「じつはオカマだ」「豪邸に住んでいる」…。
こうして、その存在は都市伝説と化していった。
私は、中島らもが小説化した『白いメリーさん』で、この都市伝説を知った。

今、横浜では一本の映画がロングラン上映している。
『ヨコハマ・メリー』。
「メリーさん」をめぐるドキュメンタリー映画だ。

1995年、突然姿を消した「メリーさん」について、関係者のインタビューをつなぎ合わせ、彼女の“不在”の輪郭をたどっていく。
関内周辺にたたずむ「メリーさん」の写真が、所々でインサートされる。
まるで街の幽霊のように浮かび上がるその姿…。
見慣れた風景が異化され、意識しなかった“街の記憶”を刺激される。

舞踏家、カメラマン、風俗ライター、団鬼六など、濃いメンツが紡ぐ「メリーさんと私」の問わず語りのなかで、主要な役割を担うのが、シャンソン歌手・永登元次郎だ。
彼のコンサートに「メリーさん」がふらりと現れたことから二人の交流は始まった。
映画は、いつしか元次郎さんを中心に据え、展開していく。
主役“不在”のこの映画は、元次郎さんの一代記によって、その存在を二重写しにしていくことになる。
彼が歌う「マイウェイ」は、二人が歩んできた生き様を暗示するかのようだ。
「この旅路を今日まで生きてきた。いつもわたしのやり方で」…。

ラストシーンで、元次郎さんと「メリーさん」の“現在”が交錯し、“不在”をめぐるこのドキュメンタリーがとらえた都市伝説の“真実”が明かされる。

横浜の街の歴史に興味があったら、是非この映画を観てほしい。
変わり続ける街の姿を記録したという点でも貴重だ。

もう一本、劇映画を紹介しておこう。

『タイヨウのうた』。
こちらは鎌倉が舞台になっている。
XPという太陽の光に当たれない難病を抱えた少女が主人公である。
彼女は、寝静まった鎌倉駅前で弾き語りをしている。
昼間は観光客でにぎわう鎌倉の夜は、森に囲まれ闇が深い。
主人公が夜しか行動出来ないので、必然的に夜間シーンが多いのだが、鎌倉の夜を魅力的に描いている。

主人公がボーイフレンドと遠出をし、横浜西口のVIBRE前で歌うシーンは、この映画のハイライトの一つだ。

見慣れた街がスクリーンに写し出されると、不思議な気分になる。

主人公を演じるYUIが歌う「Good-bye days」は、ラジオでもよく耳にする。
私は昔、山崎まさよしの「one more time,one more chance」を聞いて、『月とキャベツ』を観に行ったけれど、この曲もそんな人を動かす歌の強さがあるんじゃないかな。

レオナルド・フジタの「さよならフランス、さよならニッポン」

2006-06-26 | art
戦後、藤田は戦時中の“戦争画”をめぐる“戦争責任”を問われることとなる。
藤田は“日本人”として描く“戦争画”にコミットしすぎていた。
また、画壇に属さなかった藤田が一人、画家の“戦争責任”のスケープゴートにされたという面もある。
他の日本人画家は終戦後、“戦争画”を自らの画業から抹消し、活動を再開した。
藤田は、非難の中、日本を離れる。日本画壇は、藤田が「日本を捨てた」と言った。
藤田は、「私が日本を捨てたのではない。捨てられたのだ」と語ったという。

今回の展覧会は、大きく三つのセクションに分かれていた。
正直、ヘビーな“戦争画”パートの後、〓章「再びパリへ」は流して見た所がある。
だが、後期の仕事も、紆余曲折に富んだ興味深い作品群である。

アメリカで藤田は、「カフェ」を描く。
今回の展覧会のポスターに使われている絵だ。
“乳白色の肌”が復活しているが、街角に向けられる婦人の視線はどこか虚ろだ。まるで華やかなりし日々の面影を追っているような…。

戦後10年の1955年、藤田は、フランスに帰化する。
そして藤田は、カトリック信者となり、洗礼を受ける。
洗礼名は、レオナルド・フジタ。
藤田は、日本に捨てられ、フランスも捨て、“神の子”として生きることを選んだ。
宗教画を精巧な描写力で描くことに没頭した。

この時期から、藤田は多くの子供の絵を描くようになる。藤田は生涯、我が子に恵まれなかった。
描かれた子供は、みな同じ顔をしている。
藤田の心に住む、フジタズ・エンジェル。
幻を追うそのイメージは、無時間的な観念の世界である。

レオナルド・フジタは、日本にもフランスにもさよならして、自らの天使舞う絵画の世界に生きた。

自ら設計した礼拝堂のフレスコ画を完成させ、藤田は生涯を閉じた。
晩年の生活では、浪曲のレコードをよく聞いていたという。

参考資料;近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(講談社文庫)


本日の体調

2006-06-25 | Weblog
二週間くらい、ずっと風邪ぎみです。
頭痛~鼻水~咳と、転移して長引いています。

気温の差が激しいので、夏風邪ってやつでしょうか。
今日も夕方まで寝込んでしまいました。
皆さんも、体調には気をつけて下さい…。

「超ブルー」と「根なし草」

2006-06-23 | music
どんなつらい時でさえ歌うのはなぜ? (さあね) 「BLUE」より

宇多田ヒカル『ULTLA BLUE』を聴く。
百万枚売れるような音楽を、ふだん聴かないのだが、何となく気になった。
これまでの宇多田の唄のなかでは、「Traveling」が好きだ。
最近のシングル「Keep Tryin'」はこの系譜の曲であった。
メロディの素晴らしさと歌詞のお気楽さに、余裕を感じる。
憂いを帯びた曲調が多いなか、この曲の軽やかさが一際映えている。
「これが唄だ(これが宇多田)!」という貫禄を感じさせるアルバムだ。

ソウル・フラワー・モノノケ・サミット『デラシネ・チンドン』を聴く。
彼らを知ったのは、何年前だったか、寿町のフリー・コンサートに行った時だ。
日雇い労働者と聴くチンドン…。カルチャー・ショックを受ける体験だった。
去年、古本屋のBGMで流れていて“再会”し、改めて聴いてみようと思った。
このアルバムには、「竹田の子守唄」の元唄が二曲収められている。
「竹田の子守唄」の背景は、森達也著『放送禁止歌』(知恵の森文庫)に詳しい。私はこの本を読んで、目からウロコが何枚も落ちた。
唄い継がれてきた曲の歴史の強さを感じさせるアルバムだ。

あなた上から下がり藤
あたしゃ下から百合の花
そこで電気をけしの花
こんなよいこと梨の花
ストトンストトン…
「ストトン節」より

本日のフリーペーパー&文具

2006-06-20 | book
たとえば駅のホームの『R25』、タワレコの『bounce』などに、思わず手が伸びてしまう。
私はフリーペーパーが好きなのだ。
けれど割引き券が付いてる『ホット・ペッパー』とかはもらわない。
もっぱらロハの読み物にありがたみを感じているのだ。

文房具店で『BUN2(ブンツウ)』というフリーペーパーを見つけた。
ここに面白いコラムが載っていた。
樋口建夫という人の「書きも書いたり」。
「パイロットVコーンペンの秘密」というタイトルで、そのペンについて思い入れたっぷり語っており、熱い熱い。

「一度だけ、ヒマラヤの山の中のカトマンドゥの小さなスーパーで、Vコーンペンを見つけたときは、マジに興奮して、涙が出るほど嬉しかった。数10本全部買った。」

かなりお年の筆者だと思うのだが、これだけテンション高い文章を書かせるペンて凄いなと思った。

というわけで買いましたよ、Vコーンペン。
サラサラ書きやすい。
ガシガシ使ってナンボの実用品なので、ふだんから持ち歩こうと思う。
そうすれば「マジ興奮」する書き味が実感できるだろう。


水無月十六日歌舞伎鑑賞

2006-06-20 | Weblog
国立劇場にて歌舞伎を観る。
演目は近松門左衛門作『国性爺合戦』。
上演前に初心者向けの解説が入り、イヤホン・ガイドなどもあったので退屈せずに楽しめた。

ただ、ト書きにあたる義太夫語りが、三味線とリズムを外した変則的な節回しで、テンポがつかめない。馴れればノレるのだろうか。

『国性爺合戦』は、日本と中国をまたいだ設定で、キグルミの虎なども登場し、派手な演出が多い。
初めての歌舞伎鑑賞には最適の演目なんだろう。

次は能観たいな。寝ちゃいそうだけど…。

本日の建築&コーヒー

2006-06-17 | coffee
元町公園周辺の洋館を散策する。
ベーリック・ホール~エリスマン邸~山手234番館。いずれもモダンな歴史的建造物だ。
画像は、イギリス人貿易商ベリック氏の邸宅、通称ベーリック・ホールの外観。

非常に暑い日中だったので、ドトールに入る。
新発売のスパイシー・ミラノってどんな味なんだろうねと思いながら、アイス・コーヒーをいただいた。


6・16(ロクテンイチロク)プロレス観戦

2006-06-16 | sports
ドラゴン・ゲートin後楽園ホールを観に行く。
プロレス観戦は久しぶりだった。
ドラゴン・ゲートは、団体名が闘龍門だったころ、何試合か観ている。
特に横須賀享選手は、地元出身の同い年なので、応援している。
派手さはないが、玄人ウケする「プロレス巧者」だ。「受け身がうまい」「6人タッグの交通整理役」と評される選手はそういない。

今大会には、天龍源一郎が参戦していた。天龍の存在感は、ものすごく「昭和のプロレス」を感じさせた。
何となく、初めてプロレスを観に行った時の、ジャイアント馬場の印象を思い出した。



本日のビール&物色

2006-06-15 | food&drink
ハイネケンを飲む。
瓶ビールはうまいよなあ、と思う。気分の問題で、味の違いがわかるわけでもないのだが。黒ビールも瓶で飲んでみた。

LOFTに行く。
文房具を物色して、新しく購入しようと思っている机をみる。できれば堅牢な、使い勝手のいいやつが欲しいのだが。

リラクシングなチェアーなんかも欲しいなあ。


藤田の“反戦画”と、一輪の花。

2006-06-10 | art
藤田嗣治で考えた その②

国立近代美術館に、アメリカからの“無期限貸与”作品として保管されている絵画群がある。
いわゆる“戦争画”だ。
戦時中戦意高揚のために描かれた作品として、戦後アメリカに接収された。その中には藤田嗣治が描いた“戦争画”も含まれる。

藤田の、“日本人”としてのアイデンティティを求める“日本回帰”は、時代の波に呑まれていった。“日本のために”従軍し、戦地で委嘱された絵画を描き続けた。
この時期、藤田はトレード・マークのオカッパ頭を切り落とし、坊主頭にしている。

人は、生きる時代を選べない。
絵を描いて生活するには、そうするより手段がなかったのだろう。
芸術家の不幸を考える。画家をしてのピークを、制作が最も困難な時代に迎えてしまった不幸。
「アッツ島玉砕」は、芸術家の野心と時代の悲劇が生み出した、異形の絵画である。

折り重なるように描かれた兵士たち。敵も味方も--生者も死者も--判別できないほどにひしめき合う肉塊が大画面を占める。
この大作を見たものは、誰もが圧倒されるだろう。
戦争の恐怖・悲しみ・怒りが直に伝わってくる。
これは、戦意高揚の“戦争画”ではなく、戦争の悲惨さを訴えた“反戦画”であると、現代の時点から見て、私は思う。
だが一方で、かっこうの題材を得た芸術家の悪魔的な側面を感じもする。「残酷図」を描く悦び、唯美主義者の狂気を感じさせはしないか。
まるで『地獄変』の絵師・良秀のような。

「アッツ島玉砕」の画面下部には、小さな花が描かれている。
この花を指して、死者への祈りと解釈する向きもある。
けれど、そりゃないんじゃないか、と思う。
おびただしい〈死〉と、たった一輪の花が対置され、等価であるなんて、いやむしろ〈祈り〉で清算されてしまうなんて、ギマンじゃないか。
先に、私は「アッツ島玉砕」を、“反戦画”と書いた。
それは、描かれた〈死〉を引き受けること、無数の死者への想像力を持つことによって、“過去の戦争”と向き合う価値を持つ。
“反戦”といっても、死者への想像力を欠いた〈祈り〉だけでは、ただの思考停止ではないか。

国立近代美術館に保管されている“戦争画”は、数点ずつ常設展で展示されているが、まとまった展覧会が開かれたことはない。
政治的タブーとして美術史にも位置づけられてこなかった。
私たちにできることは、いつの日か“戦争画”の全貌と正面から向き合うために、戦争に対する認識と想像力のリテラシーを、鍛えておくことではないか。