リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

青空にジャンプするアニメーション映画

2006-07-31 | movie
テアトル新宿にて『時をかける少女』観る。
原田友世出演の映画版で有名な、筒井康隆原作のアニメーション映画。
『ゲド戦記』『ブレイブ・ストーリー』と共に、この夏話題の作品だ。

主人公の女子高校生が時間をさかのぼる「タイムリープ」をひょんな事から使えるようになってしまったことから物語が動き出す。
主人公は、シレッとしたキャラクターが魅力的だ。
実写で言うと『スウィング・ガールズ』の上野樹里みたいな感じだ。
過去をさかのぼる事ができても、卑近な出来事に使い、大それた悪用をしない所が楽しい。
実写映画『サマー・タイムマシン・ブルース』も、身近な過去を行き来する時間SFのドタバタだった。

「タイムリープ」の時間SF的要素は、この作品の要ではあるが、本質はフツーの高校生の一夏を描いた青春映画だ。
親友の男友達との間で揺れるヒロインの心理の機微が丁寧に描かれている。

映像的な魅力は、何と言っても時間を飛び越える際の主人公の跳躍だろう。
躍動感のある動きは爽快だ。

青空が眩しいさわやかな映画なので、幅広い層に観てほしい。
惜しむらくは上映館が数少ない事だ。
アニメファンだけに独占させておくのは、もったいない。

歌うたいは代々木公園で弾き語る

2006-07-31 | music
代々木公園にて斉藤和義のフリーLIVE見る。

斉藤和義はデビュー曲から聴いている。フォークにはまっていた高校生だったので、「僕の見たビートルズはTVの中」はストレートに響いた。
世間的には「ポンキッキーズ」のテーマ曲「歩いて帰ろう」で微妙な認知のされ方をしているのではないだろうか。
また、全ての楽器を自演して宅録する新しいタイプのシンガーソングライターとして、山崎まさよしや中村一義と共に紹介されてもいた。

ここ何年かは、アルバムが出ても、聴いたり聴かなかったり、付かず離れずのリスナーになってしまったが、やっぱり生で聴いてみたいよなと思い、代々木公園に向かった。

ギター一本の弾き語りで、アルバムのプロモーションにも関わらず、ベスト的な選曲だった。
斉藤和義は、とにかく楽曲がすばらしい。メロディと歌が真っ直ぐ届く。
改めていい曲ばかり作るよなあと思った。

シンガーとしての決意表明ともいえる「歌うたいのバラッド」は、梢を揺らす風に乗って、「歌」が公園を吹き抜けた。
歌い継がれるべき名曲だと思う。

フリーLIVEだというのに、十分楽しませてもらった。代々木公園はこういうイベントやるし、自由な雰囲気があって、いい場所だな。

本日のモーニング・メニュー

2006-07-27 | coffee
今朝は少し早めに家を出て、横浜駅でモーニングを食べた。
CIAL向かいの、キオスク二階にある「cafeCAMEL」。
駅構内の慌ただしさの中、階段が目立たないためか、意外に空いてる穴場だ。
ボイルド・エッグ、トースト(ドリンク付き)セットで480円。値段の方も良心的だ。

最近のコーヒー・ショップは、店員がやたら大声でメニューを復唱したりして、活気がある店というつもりなんだろうが、うっとうしくてしょうがない。
この店は、店長と思われる初老の男を筆頭に低音ヴォイスを効かせたジェントルな接客だ。

たまには早起きして、外で朝食というのも、いいものだ、と感じた。

注)この店の下のキオスク周辺は、夕方になるとワンカップを持ったおっさんたちがタムロすることで知られる。
そんな事が「cafeCAMEL」を穴場化している要因かとも思われる。


本日のコーヒー &初夏の感傷

2006-07-27 | coffee
エクセルシオールにてアイス・カフェモカ。
暑い日には冷たいものと同時に甘いものも摂取したくなる。
そんな時にアイス・カフェモカ。

今年はまだ蝉の声をまともに聞いていない。
近所の山も住宅地になってしまって、朝っぱらから鳴き始めるうっとうしい蝉時雨はもう、聞こえてこない。
失ってしまってから、気付くもの。
そんな感傷に浸る初夏のひと日。
まだ梅雨明けしてないけれど。


わすれものは、たからもの

2006-07-23 | music
記憶の中の、思い出すことのない日々の断片が、ふとした瞬間にフラッシュ・バックする。
そんなふうに記憶の層を更新させながら私たちは生きています。

レイ・ハラカミ『たからもの』は、日常の中の非日常に気付かせてくれる音楽です。
アルバム未収録のデモ音源やレア・トラックで構成された企画盤で、「うっかりしてました」と本人のコメントが帯にありますが、なかなかどうして、素敵な楽曲ばかりです。
タイトル曲の「わすれもの」は、制作クレジットに(1999~2006)とあります。
7年間積み重ねられた日々の営みを、音楽という記憶装置が喚起します。


生活で磨り減らし忘れてしまっている些細な感情が、私たちの思考を支えるかけがえのないものだ、ということを教えてくれるようです。
無邪気に跳ね回る電子音は、空想的なようで、日常の大切な部分に根差した醒めた瞑想にいざないます。

わすれものは、たからもの。そんな事を感じさせてくれます。

暗闇を彩るプラネタリウム音楽

2006-07-23 | music
レイ・ハラカミ『暗やみの色』をCDケースから取り出し、トレイに乗せ、PLAYボタンを押します。
目を閉じ、流れる音に耳を傾けると、瞼に沿った丸い暗闇に星座が浮かび上がるようです。
『暗やみの色』は、日本科学未来館のプラネタリウム「MEGASTAR2-cosmos」のBGMのために制作されたものです。
レイ・ハラカミが創造する独特の音空間は、宇宙という途方もない神秘とよくマッチします。

イメージするのは、広大な地平線が見渡せる自然の中で感じる宇宙ではなく、都会のワン・ルームマンションから見上げる壁紙のような空が宇宙に通じているという箱庭的な、内的な宇宙です。

レイ・ハラカミが創る音楽は電子音楽ですが、ジャンルによってヨコに繋がるよりも、リスナーの感覚にタテに繋がろうとしているように思います。
電子音が波紋のように広がり、重なりあって紋様を作る。リスナーはそれぞれの感覚で幾何学的なパターンを思い描き、織り上げればいいのです。

このCDを聴いていると、そんな瞑想的な時空間を感じることができると思います。

それから、日本科学未来館に行ってみたくなります。

雨のBGM、ステーションは普請中。

2006-07-23 | Weblog
雨が降ったり止んだり、降りそうでぐずぐずした曇り空の日が続く。
雨降りの日にラジオをつけていると、「Rhythm Of The Rain」John Gummoeがよくかかる。いい曲だ。

でも、僕にとって雨のBGMといえば、TLC「Waterfall」。タイトルから水っぽいんだけど、湿度が高いというより瑞々しいんだよな。

京急横浜駅に下り専用プラットホームができた。
これで混雑時もスムーズに移動できることを願う。
それでもまだ駅構内は至る所で普請中だ。

注)画像はみなとみらい線(パズル仕様)

海の日、アスファルトの海にて。赤瀬川原平的妄想。

2006-07-17 | Weblog
渋谷に行き、友人と定例会を開く。
あいにくの雨降る海の日、渋谷の人波を傘を開いてクラゲのように漂った。

回遊しながら気づいたのは、渋谷駅周辺には「富士そば」が異常に多いということだ。六件は確認したと思う。
たぶん近いうちに、各店から蕎麦で渋谷駅を包囲するパフォーマンス芸術が敢行されることであろう。

炎天下、フットサルに興じる。

2006-07-16 | sports
フットサルをやりに、相模原に遠征する。
日ごろの運動不足解消のために参戦したが、いかんせん暑すぎた。
絞れるくらいTシャツに汗をかいた。
おかげで毒素は抜けたと思う。

そして今は筋肉痛に苦しんでいる…。

「にんじん」に賞味期限はない

2006-07-13 | book
夏になると、本屋の文庫本コーナーが賑やかになる。
「夏の100冊」といったフェアが各社、催されるからだ。
この100冊リストをついつい眺めてしまう。
「ふむふむ、この名作は現役なのだな」「学生のころ読んだあの本は、リストから消えたか…」など、栄枯盛衰に思いを馳せることになる。

かつての定番で、今はリストから外されてしまったが、それでもまだまだ読まれて欲しいな、という本を紹介してみようと思う。

ルナール著『にんじん』。
私は、岩波文庫と角川文庫、翻訳ちがいで二種類持っている。
「にんじん」は、岩波少年文庫に入っているほどの“児童文学の名作”であるが、なかなかハードボイルドな話だ。
“にんじん”少年のいたずらは度を越して残酷だし、母や姉の虐待にあい、家庭では孤独だ。
「にんじん」は、“恐るべき子供”の“ドメスティック・バイオレンス”の話だとも読める。
このような読み方は、現代にこそ有効ではないか。

少年犯罪や殺伐とした家庭環境に対応した、時代の要請として描かれる物語は、風化に耐えない。
けれど、「にんじん」は、今こそ読み返され“発見”される物語だろうと思う。

「itと呼ばれた子」の物語よりも、「“にんじん”と呼ばれた子」の物語を私はおすすめしたい。

夏バテ気味の読書に「にんじん」で栄養補給を。
というのはどうだろうか。