リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

引込線

2009-08-31 | Weblog

第1回所沢ビエンナーレ美術展「引込線」を観に行く。
所沢市在住の美術家を中心とした自主企画展。
沿線でこういうことをしているのはおもしろいと思い、行ってみた。

会場は、西武鉄道旧所沢車両工場。
インダストリアルなロケーションがいい。
オブジェやさまざまなテクスチャーを組み合わせた立体が主に展示されていたが、それが器物や作業の痕跡と、ぱっと見区別が付かなかったりする。
サイトスペシフィックな(特定の場所を想定して制作された)作品というのは、現代アートの一般的な作風となりつつあるので、こういう場所・地域と結びついた作品展を、地元を巻き込んでやるのは面白いと思う。

単純に車両工場の跡地に入れるというのも、貴重な機会だし。
いろいろディテールをスナップしてきた。







ゴーヤで晩酌

2009-08-26 | Weblog
お盆休みに地元の友人にゴーヤをもらった。

夏にはゴーヤをよく食べる。
おひたしにしたり、塩ラーメンに乗っけたりすることが多い。
ゴーヤチャンプルーは調理が手間だからな…。

おひたしはビールのつまみにもよく合う。
最近は「アサヒ ザ・マスター」でよく晩酌する。
すっきりしていて、うまい。

夜は窓開けて涼しい気候になってきたし、ゴーヤで晩酌するにはちょうどいい感じだな。

b-boy park

2009-08-24 | music

8/23、代々木公園で行なわれていた「b-boy park」に行ってきました。
入場無料のヒップホップのイベントです。
ご存知の通り、僕はb-boy的な人間じゃないですが、高校生くらいからスチャダラパーあたりを聴き始め、なんだかんだで15年くらいラップを聴いてきています。
リズムに乗せる日本語表現が単純に好きなんじゃないかと思います。

音楽以外にも、ヒップホップに欠かせない要素である、グラフィティのライブペインティングやブレイクダンスの大会も行なわれており、総合的にヒップホップ文化を体感できるものになっていました。
出店も多く、こんな店もありました。


「butcher's jerkgrill」
富士見台の会社近くに店があり、気になっていたので、ジャークチキンを頼みました。
ケチャップをつけて食べます。香辛料の味が独特でした。

日中からビールを飲んでブラブラ過ごしました。
代々木公園だと、一度坂を下って渋谷の店を覗いてからまた戻る、というようなこともでき、ゆるく夏フェス気分を味わえます。

自由に過ごせる公園はいいですね。
代々木公園では毎週末何らかのイベントをやってるみたいなので、またフラッと訪れたいものです。

Taroオブジェ

2009-08-18 | art
有楽町あたりを歩いてて遭遇した岡本太郎のオブジェ。
ビル街にふいにあると異物感ビンビンで驚くね。

新釈 現代文

2009-08-17 | book
高田瑞穂著『新釈 現代文』(ちくま学芸文庫)をお盆中に読了する。
ずっと絶版になっていた「伝説の参考書」が復刊されたので、読んでみた。

冒頭からすごい。
「この本は、結局「たった一つのこと」を語ろうとするものです。」

一貫した一つの方法論に沿って、例題を読解していく。
1959年(今から50年前!)に刊行された参考書である。示される例題も、現在の大学受験の問題文より堅い。
解説も、昨今の受験参考書のようなテクニックを伝授する式の懇切丁寧なものではなく、不親切でそっけない。
だが、近代精神に考え方の基盤を置き、評論文を読み進んでいくのは、正攻法でまっとうなことだ。
「論理的」っていうのはようするに「近代的」ってことなのだから。
ポスト・モダンやらなんやら、「近代」が流行らなくなって、知と戯れるのが評論だと思われがちなところに、正しいことを言われるとはっとする。

「現代文とは、何らかの意味において、現代の必要に答えた表現のことです。」
「「現代の必要」に答えようと考えるのが、つまり「現代の思想」なのです。」

『新釈 現代文』が、現代文を学ぶ“古典”なら、『高校生のための現代思想ベーシック ちくま評論入門』(筑摩書房)は、いま最もアップ・デートされた参考書といえるだろう。
評論がテーマごとに分類され、入試によく出る評論家の文章が多く掲載されている。
イキのいい評論家のアンソロジーとしても読める。

この本の「はじめに」もすごい。
「評論は、感情ではなく、理性に訴えるから、読者を考える人間に返す。この世界で必要とされる資質は、自分の頭で考えようとする意欲と、自由な人間であることを恐れない勇気である。」
かっこいい。

現代文の参考書は、オトナになって意外に面白い読み物であったりする。
是非、学生時代に戻ったつもりで手に取ってみてほしい。
オトナにはテストとかないしね。

寝るひと 立つひと もたれるひと

2009-08-10 | art
《萬鉄五郎(よろず・てつごろう、1885-1927)作の重要文化財、《裸体美人》 は、不思議な作品です。草原に寝ているはずの裸婦が、視覚的なトリックにより、まるで立っているようにも見えるからです。》(展覧会概要より)


「寝るひと 立つひと もたれるひと」IN東京国立近代美術館を観る。

美術館に足繁く通うと常設展が面白くなってくる。
名画をチラ見で通り過ぎるなんて優雅なこともできるし、定期的に展示替えもしているのでオッと気を引く作品に出会ったりもする。
また、収蔵方針とか、キュレーターのディープな批評眼が徐々に感じられてくる。

国立近代美術館は、2Fで収蔵作品を基に小規模な企画展をやっている。
これがけっこう穴場で、独特の視点で作品を展示している。

「寝るひと 立つひと もたれるひと」は、いままでで一番のヒットかもしれない。

萬鉄五郎の「裸体美人」「もたれて立つ人」を中心に、“絵画”の枠組みを再考している。
「裸体美人」は、丘に寝そべる裸婦が描かれているわけだが、縦長の画面で絵の具もフラットに塗られているので寝ているように見えない。むしろ立ち上がって見える。
寝そべって見える下絵からだんだん立て位置に描き変えていっているので、意図的にそうしているのだ。
「もたれて立つ人」は、キュビズム的な構成の人体図だが、頭が上部につっかえ、右腕が窮屈そうに画面左のフレームにもたれている。

絵画の平面性ということ、フレームという枠組みの存在。自明に感じていたことを改めて考えさせられた。
無意識の内にあるパラダイムをズラしてみせるのが批評の効用というもので、そういう意味で、この企画展はかなりクリティックだ。

キュレーターの蔵屋美香は、美術批評家としてすぐれていると思う。
論考がここで読めるので、気になる方は読んでもらいたい。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

2009-08-10 | art
「ゴーギャン展」in東京国立近代美術館を観る。

日本初公開の大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が展示されており、宣伝などもバンバンやっているので、混むだろうと思い、開館すぐの時間に行った。

ゴーギャンは、画集で見ていたけど、実物をまとまった形で見るのは初めてだった。
フランス時代の第一章、タヒチ滞在期の第二章、帰国後タヒチに戻った晩年の第三章で構成されており、駆け足でゴーギャンの軌跡をたどることができる。

やはり、西洋的価値観からはみ出していくタヒチ滞在期の作品が充実している。
オリエンタリズムの視点で外側から南国の「楽園」を描いたのではなく、内的な必然性から神話的なモチーフや土着的な褐色の裸婦を描いたのだと思う。
その結実が「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」だろう。
ここでは、禁断の果実をもぎ取るエヴァが、東洋の石仏が、西洋画のモチーフである水浴する女が、タヒチの生活感あふれる犬や猫やアヒルたちが、パノラマの中に融け合っている。

この展覧会は、この大作を見せるためのものだと言っていい。前半はエントランスで、後半はクールダウンのためにある。

人の垣根から絵を観ることに必死で、キャプションをまともに読めなかったので、昔古本で買ったカタログを、今度実家で見返してみようと思う。

銭湯

2009-08-04 | Weblog
チャリで隣町の銭湯に行く。
この季節、なかなか気持ちいい。

部屋はユニットバスなので、湯船に浸かる機会が少ない。
手足伸ばして入れる銭湯に時々行きたくなるのだ。

何も考えず風呂に入り汗をかくのは、気分転換にいい。
風呂上がりの清涼飲料水も格別だ。