リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

ワインレッドの誘惑

2010-09-27 | Weblog
赤ワインを購入。
ラベルに誘惑されました。

刺身こんにゃく(酢味噌ではなく紫蘇味噌使うのがミソ)つまみに飲んでます。

ビールぐびぐびよりもワインちびちびの季節ですね。

ベランダには、今年も彼岸花が咲きました。

秋到来といったところです。

小出楢重について

2010-09-23 | art
小出楢重という画家がいた。
あまり有名ではないかもしれないが、日本洋画史に大きな足跡を残している。
僕は2、3点、実物の絵画を見た経験があるが、そのときには特に関心を持っていなかった。
が、近年になって小出楢重に対する関心が俄然高まった。
何をきっかけにしてなのか、よく分からない。
いつからか彼の存在が、僕の関心領域で大きくクローズアップされてきた。
なので、小出楢重についてひとまず何か記しておこうと思った。

小出楢重の絵には、まず谷崎潤一郎『蓼食う虫』の新聞連載時の挿絵で目にしたのが、最初だった。
岩波文庫版には、「近代挿絵史上の傑作」といわれる挿絵が全点採録されている。
同じように挿絵が全点採録されている永井荷風『墨東綺譚』の木村荘八や、谷崎作品の『鍵』(こちらは中公文庫版)の棟方志功のように、絵画の大御所の一人なんだろうという程度の認識だった。

『小出楢重と谷崎潤一郎』(春風社)という評論集の、谷崎と小出のコラボレーションに『蓼食う虫』の秘密があるとする仮説がたいへん面白かった。
『蓼食う虫』は、千代子夫人をめぐる谷崎と佐藤春夫との三角関係から発した「小田原事件」の私小説的要素や、後半の人形浄瑠璃を見物する場面から日本の伝統美に目覚めていくあたりに、関心が集まる作品だが、この評論集は、「小出楢重」という別の角度から作品を読み解く。
作品と不可分の関係である挿絵を描いた小出が、この作品成立のキーマンであるというのは、盲点だった。
小出楢重の作品に興味を持つきっかけとなった。

小出楢重は、名随筆家としても知られ、『小出楢重随筆集』が岩波文庫で編集されている。
随筆を読んだ印象は、いわゆる美文というわけではなく、勘所を得た、言いたいことを過不足なく言い表す文章で、谷崎の随筆と感触が近い。
この文庫にも、挿絵が多く収録されており、小出楢重のパーソナリティを知るには格好の一冊だった。

小出楢重に関しては、岩坂恵子著『画家小出楢重の肖像』(講談社文芸文庫)という評伝がある。
小出の生涯を追う評伝ではあるのだが、ゆかりの地を訪ね、現在の光景と小出が見たであろう情景を重ね合わせ思いをはせる紀行文ふうの構成にもなっている。
著者自身が小出と同じ関西出身ということもあって、小出と家人との会話が関西弁で再現されていたりもする。
こういう創作したモノローグは、ノンフィクションとしては掟破りな気もするが、これはこれで効果を上げている。

小出楢重の作品をまとまって見られる機会は少ない。
岩坂も、数枚の代表的な絵を手がかりに、小出作品の魅力に迫っていく。

「図版でよく目にしていた絵は、実物に初めて接したときにすでに旧知であるような親しみが持てたりするものだが、肉眼で見ることによってしか感得できない何かがあるのも事実である。ああ、そうだったのか、というすぐには他の言葉で説明できない、ある感慨が絵を前にした私の胸に湧いた。」

いつか、小出作品のまとまった回顧展が見たいものだ。

「絵の前に立つと、頭のなかにしまわれていた言葉など霞のように消え去っていくのがわかった。絵は厳としてそこにあり、しかも力があった。言葉によって印象がゆらぐような、そんなものではなかった。私は楢重が描きあらわしたものをただ無心に受け入れればよかった。」

そのとき、小出作品の前で、このように書き連ねてきた言葉が、霞のように消え去ってしまうことを願う。

印象派の印象

2010-09-23 | art
印象派についてつらつらと思うところを書いてみる。
最近、印象派の絵画や、それに関する書籍に触れる機会が多い。機会が多いというか、自ら進んで足を運び、手を伸ばしているわけだが。
展覧会の感想や書評・引用を、並列的に記述したいと思う。
題して「印象派の印象」


横浜美術館で「ポーラ美術館コレクション展 印象派とエコール・ド・パリ」を観た。
フランス近代美術の流れを概観できる「ホンモノでつづられた教科書」のような展覧会。 モネ、セザンヌ、ゴッホ。ピカソ、シャガール、フジタ、モディリアーニ・・・。
そう、印象派といえば、絵画の「教科書」で見る作風なんだ。「いい絵」の基準となるようなもの。
実際、「絵画の鑑賞」しているという、満足感が得られる。さらに、この展覧会は、ゆったりと一点一点間隔をとって展示されていて、気持ちよく観れた。
ポーラ美術館は、国内の美術館で、そこの所蔵作品から選ばれて展示されていた。
横浜美術館自体も、所蔵作品が充実しており、常設展が面白い。特に、シュルレアリスム、写真や版画などに力を入れて収集しており、この展覧会の「エコール・ド・パリ」以後の美術史の流れと連続してみることができる。展覧会→常設展の導線がしっかり引かれているのが、美術館の姿勢としてよいと思った。
展覧会見たら、常設展パスしちゃう人も多いから。

瀬木慎一『名画はなぜ心を打つか』(講談社文庫)は、絵画を見たり考えたりする上で、たいへん示唆に富む本だった。
「見ること」そのことに対する意識、「見る」という経験の潜伏期間に関する認識に、特に教えられることが多い。

「まず、「絵」そのものを見ること、それもよく見ることからすべてがはじまるのである。そして数週間たち、数ヶ月たち・・・とすれば見るという行為がおのずと面白くなり「どう見たらいいか」などといった愚問を発しないようになる。そして気がついてみると、自分自身で、いくらかでも自問自答できる状態になっていることに驚きを覚えるはずである。」

また、
「今までなにげなく聞いていた話や、漠然と読みすごしていた本が意味をもつようになり、がぜん、あらゆるものが教材であることを見出すのである。」
とある。
私自身、そのように感じることも多いから、美術館に行くことや本を読むことに何らかの意義を感じているのだと思う。


ブリヂストン美術館でヘンリー・ムーアの作品展を見たあと、常設展示「印象派から抽象絵画まで」もやっていたのでこちらも見た。
ブリヂストン美術館も、多くの印象派~エコール・ド・パリの有名な作品を所蔵している。
セザンヌやドガも自画像など、それこそ教科書やカタログで見たことがあるものが、そこにある。

それにしても、印象派ってなんでこんなに人気があるんだろう。
「オルセー美術館展」などにも、多くの来場者があったみたいだし、秋には「ゴッホ展」もまたやる。
美術館で、黒字が見込めるのは、印象派がらみの特別展くらいなんじゃないか。

赤瀬川原平がこんな事を書いてる。
「印象派の絵の初々しさというのは、人類史上無上のものだ。何かのための絵ではなく、絵そのものを得た人々の喜びがあふれかえっている。」(『芸術原論』岩波現代文庫)
絵を描くことの原初の喜びが表現されている。だから現代人はそれを求めるのだろうか。

福田和也のWEB上の連載を読んで、印象派についての認識が深まった。
セザンヌを論じる際に、ボードレールの美術批評から語り起こすあたり、スリリングだった。

ボードレールは、『悪の華』などで知られる詩人だが、写真黎明期の肖像写真家ナダールと親交があり、ナダール撮影によるポートレイトが有名だ。
「この頃、彼は書きためた詩から『悪の華』の編集にとりかかっていたはずである。あの痛烈な詩句を書いたと思われないほどにさわやかである。この写真ひとつをとっても、顔を見ることにかけては天才的であったナダールの直感がボードレールの写真を他の人と違うものにしている。」(多木浩二『肖像写真』岩波新書)
写真史にも重要な役割を果たし、印象派に通ずる絵画の歴史にも先駆的な批評を残す・・・。
また、街の「遊歩者」としてのありかたは、19世紀パリの都市論『パサージュ論』を構想したベンヤミンへと接続する・・・。

私の興味関心の方向には、ボードレールが大きく影を落としている。理解もできず『悪の華』を読んでいた高校生の頃には、思いもよらないことだった。

福田和也からリンクして小林秀雄『近代絵画』を読んだ。
ここでも、ボードレールの美術批評から語り起こされている。
小林秀雄は、ゴッホやゴーギャンを語る際にランボーやベルレーヌを引き合いに出す。
文芸評論家だから当たり前かもしれないが、私としては理解しやすい。

小林秀雄『近代絵画』はたぶん難解だろうと敬遠して読んでこなかったが、以上のような絵画体験や読書体験を経てひもとくと、思いのほかクリアに読めた。


「漠然と読みすごしていた本が意味をもつようになり、がぜん、あらゆるものが教材であることを見出す」
このような認識が自分にとって重要なのだということが、あれこれ印象派をめぐってあれこれ考えてきて、分かったことだ。



大道景

2010-09-04 | photo
森山大道・仲本剛『森山大道 路上スナップのススメ』(光文社新書)を読んだ。
ダイドー氏が、撮影入門の本を出すっていうのも驚きだったんだけど、デジタルで撮影した最新作なども掲載されており、面白かった。

曰く、「何が大事かと聞かれたら、僕は必ずこう答えてきた。『とにかく表へ出ろ』と。そして、『歩け、とにかく歩け。それから中途半端なコンセプトなどいったん捨てて、何でもかんでも、そのとき気になったものを、躊躇なくすべて撮れ』と」。

最近は、自分でだいたいどんなものが撮れるか分かってきて、「撮る欲望」が薄くなっているので、これを読んで少し触発された。

モノクロモードで町を撮影してみた。
初めからモノクロ設定で撮るつもりでいると、町の見え方がちょっと変わって、面白いものだ。






東京オブジェ景

2010-09-04 | photo
大川渉『東京オブジェ』(ちくま文庫)を読んだ。
町角や駅前にひっそりとある歴史ゆかりのオブジェ(物体)。
ホームラン地蔵、樋口一葉旧居跡の井戸、横綱栃錦像など……。
訪れたことがある場所や見聞きしたことのある物件が多く紹介されており、ノスタルジー趣味な自分には、面白く読めた。

カメラを持って歩いているとき、そういうものをついつい撮ってしまっていることに思い至った。
私的「東京オブジェ」をここに掲載する。


中村不折像at鶯谷


熊谷守一レリーフat練馬


エノケンat浅草