![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ee/fbfd4c7a3f73fcb6b60a7f7103b51564.jpg)
吉祥寺の焼き鳥屋「いせや」に行く。
煙がモクモクと立ちのぼる吉祥寺名物の庶民的な店だ。
本店は現在改装中で、ヨドバシカメラの裏手の仮店舗で営業している。
(井の頭公園近くに公園口店もある。)
焼き鳥、モツ煮込み、シューマイ、いずれもうまい。
「いせや」といえば、高田渡だ。
フォークシンガー・高田渡はこの店の常連だったらしい。
開店前にやって来ては、昼酒を楽しんでいたそうだ。
はっきり言ってはた迷惑な客だが、それが許されるキャラクターだったんだろう。
70年代フォーク好きとしては、いつか訪れたい店だった。
念願かなってうれしい。
あと、高田渡巡礼の地といえば、京都のイノダ・コーヒーだ。
「コーヒーブルース」で歌われている。
「三条に行かなくちゃ 三条堺町の イノダっていうコーヒー屋へね」
いつか巡礼したいものだ。コーヒー好きでもあるし。
最近聴いてるミュージック。
その感想。
seeda「HEAVEN」
seedaのラップはザラッとした街の空気を感じさせる。
街には、犯罪もあるし、疲弊もあるし、救いもある。
ふだんは歩かないヒップホップな地域や文化圏を、ビートに乗って歩いている感じだ。
こういう「街が動いている感」は貴重だと思うし、注目のラッパーだ。
奥田民生「Fantastic OT9」
「フロンティアのパイオニア」という曲が入っているが、まさに奥田民生は孤高のソングライティング道を邁進している。
ワイルドなバンドサウンド、堂に入った言葉遊び、太く力強い歌。
ほかに何がいるっていうんだ?
やっぱ民生はかっこいいや。
くるり「Philharmonic or die」
ライブ盤二枚組。
二人になってもロックバンド。
オーケストラと競演してもロックバンド。
そういう、くるりの心意気が伝わってくる。
オーケストラ+バンドサウンドは、とかくビートルズ風になりがちだが、そこをうまく回避しているように思う。
オーケストラの音の洪水は、なかなかすばらしく、生で聞いたら鳥肌ものだっただろう。
その感想。
seeda「HEAVEN」
seedaのラップはザラッとした街の空気を感じさせる。
街には、犯罪もあるし、疲弊もあるし、救いもある。
ふだんは歩かないヒップホップな地域や文化圏を、ビートに乗って歩いている感じだ。
こういう「街が動いている感」は貴重だと思うし、注目のラッパーだ。
奥田民生「Fantastic OT9」
「フロンティアのパイオニア」という曲が入っているが、まさに奥田民生は孤高のソングライティング道を邁進している。
ワイルドなバンドサウンド、堂に入った言葉遊び、太く力強い歌。
ほかに何がいるっていうんだ?
やっぱ民生はかっこいいや。
くるり「Philharmonic or die」
ライブ盤二枚組。
二人になってもロックバンド。
オーケストラと競演してもロックバンド。
そういう、くるりの心意気が伝わってくる。
オーケストラ+バンドサウンドは、とかくビートルズ風になりがちだが、そこをうまく回避しているように思う。
オーケストラの音の洪水は、なかなかすばらしく、生で聞いたら鳥肌ものだっただろう。
「リンムーの眼」を標榜してるわりに、
僕は眼が悪い。
裸眼ではほとんどものが見えないので、
コンタクトレンズをしてものを見てる。
コンタクトが古くなったので、さらに近眼が悪化してるので、
新しいコンタクトレンズを購入した。
新たな眼で、よりクリアにものを見ていきたい。
そのように思う。
僕は眼が悪い。
裸眼ではほとんどものが見えないので、
コンタクトレンズをしてものを見てる。
コンタクトが古くなったので、さらに近眼が悪化してるので、
新しいコンタクトレンズを購入した。
新たな眼で、よりクリアにものを見ていきたい。
そのように思う。
(Aside)
今週号の「AERA」、表紙のロゴがストライプだった。よく見ると、ポートレートがポール・スミス氏。
おー。なるほど。
そういうことか。
ポール・スミスの服は、定番すぎるかもしれないが、わりと好きだ。
値が張るのであまり買い物したことないけど。
(Bside)
画像のゆるキャラは、ドアラ。
名古屋在住の友人からのメールに添付されていて、何かと思っていたんだが、ネット上の動画投稿サイト(たぶんニコニコ動画)などで、シュールでキモカワなゆるキャラとして人気らしい。
へー。そうなんだ。中日ドラゴンズのマスコットキャラクターで、彼の「著作」が出るそうだ。
『ドアラのひみつ かくさしゃかいにまけないよ 』。
格差社会にもの申すのかよ、ドアラ!
やるなあ。
![](http://g-ecx.images-amazon.com/images/G/09/detail/review/4569698239-author.jpg)
著者からのメッセージだって。
今週号の「AERA」、表紙のロゴがストライプだった。よく見ると、ポートレートがポール・スミス氏。
おー。なるほど。
そういうことか。
ポール・スミスの服は、定番すぎるかもしれないが、わりと好きだ。
値が張るのであまり買い物したことないけど。
(Bside)
画像のゆるキャラは、ドアラ。
名古屋在住の友人からのメールに添付されていて、何かと思っていたんだが、ネット上の動画投稿サイト(たぶんニコニコ動画)などで、シュールでキモカワなゆるキャラとして人気らしい。
へー。そうなんだ。中日ドラゴンズのマスコットキャラクターで、彼の「著作」が出るそうだ。
『ドアラのひみつ かくさしゃかいにまけないよ 』。
格差社会にもの申すのかよ、ドアラ!
やるなあ。
![](http://g-ecx.images-amazon.com/images/G/09/detail/review/4569698239-author.jpg)
著者からのメッセージだって。
池袋の一駅まえ、西武池袋線椎名町で下車する。
駅前は、小さな商店が軒を連ねる商店街が縦横に交差している。昔ながらの、のどかな駅前風景に心が和む。
北口から長崎町二丁目方面にまっすぐ続く通りを進む。今ではアパートや家々がひしめくありふれたこの界隈に、かつて“桜ヶ丘パルテノン”と呼ばれるアトリエ村があった。
池袋近郊に点在する貸アトリエ住居群は、“池袋モンパルナス“と名付けられていた。
宇佐美承著『池袋モンパルナス』(集英社文庫)を読んだ。
西武池袋線沿線に住むようになって、“池袋モンパルナス”という文化サロン的な地域件がかつてあった、ということは、知っていたが、関心を向けていなかった。少し渋すぎるな、と思っていた。だが、この著作に蒙を啓かれた。充実した読書だった。
池袋周辺に吹き寄せられた詩人・小熊秀雄、画家・松本竣介や靉光・・・。大正デモクラシーの自由な気風を胸いっぱいに吸い込んだ若い芸術家たちの青春群像が、当事者の証言を交え、語られる。
「キャンバスはむろん、古キャンだよ。会い光が行きながらレンブラントみたいになったのは古キャン(※古いキャンバス)のおかげだ。色が深くなるんだ。実にシンとした光の絵になるわけだ。削り落とし、洗い落とし、そのうえに描いては消し、消しては描き、ぶ厚く盛りあがっていくんだ」
アトリエ村に集う時代精神を、著者は「求道と放恣」と言い表している。足りないが剤でキャンバスに向かい、時に気晴らしに池袋の繁華街で、デタラメな夜を明かした。
“妙にひっそりしている家があって、そんな家の煙突からは、冬にはかならず煙がたちのぼり、北向きの部屋のトップライトからは明かりが洩れていた。アトリエで画学生たちはキャンバスに向かい、彫刻家の卵たちは粘土をこねているにちがいなかった。入り口には「制作中に付面会禁止」の札がぶら下がっていた。もっとも、それをぶら下げて、実はモデルと戯れている者もいなくはなかった。”
大正デモクラシーの面影は、現在の池袋にほど近い住宅街に、感じることはできない。千早二丁目の閑静な高級住宅が建ち並ぶ一角に、コンクリート打ちっぱなしの瀟洒な熊谷守一美術館がある。若い芸術家がこの一体に集まり始めたころ、すでに大家だった熊谷は、この地に居をかまえ生涯ここで創作に励んだ。
晩年の作風は、まるで子供の落書きのように作為がない。コンクリートの壁面に、そんな熊谷の絵を模したレリーフがあしらわれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/46/6924a1794f631f3bd6e97dfc12715502.jpg)
豊島通りに出て、有楽町線要町駅方面へ歩く。風が冷たい。ドトールコーヒーで暖をとり、しばし文庫本を開く。
『池袋ノンパルナス』で、アメリカ帰りの共産党員で、細々とスパイ活動を行なっていた宮城与徳と野田英夫について、戦争協力の「戦争画」を書いた小川原脩について書いた章は、出色である。
大正デモクラシーの束の間の光のあとの、戦時下に落ちる影の部分を拾い上げている。ノンフィクションの大事な仕事だ。
“いずれにしても、宮城同様に、絵かきの野田にあたえられた任務はたいしたものではなかったろう。宮城は、絵かきだと相手に警戒されにくいという理由で選ばれた。野田の場合も同様だったろうか。もしそうなら、任務をあたえたコミンテルンの人は、絹のように繊細な神経の絵かきに、なんとむごいことをしたのだろう。”
“やはり小川原は傷ついていた。でもあのころの国民はおおかたがそうであったように、小川原も時代に流されただけではなかったのか。ただその間に何かがあって、普通の人よりだいぶ派手に振舞ってしまった。(中略)もの心ついたときにもう戦争が始まっていた世代にとって戦争が日常で、平和というものは実感できなかった。そうした事実をこそいま考えねばならぬのにおおかたの日本人はあっけらかんと生きている。(中略)そんななかで小川原は、じっと堪えて絵を描きつづけている。そんなふうに私は思った。”
自由な気風に酔い、時節に流されるナイーブさを、後代のわたし達は責められるだろうか。笑えるだろうか。現代の、寄らば大樹の陰を地でいく情報の波を乗りこなしているつもりで。
山手通りを横切り、池袋西口方面へ向う。立教大学周辺まで来ると、ようやく馴染みのある風景だ。大正期の“池袋モンパルナス”の面影を追いながら、急に現在の街に引き戻された感じだ。西口公園前から南にしばらく歩き、豊島区郷土資料館に寄ってみる。
ここには、アトリエ村の模型が展示されている。
今日、歩いてみた風景と、当時を再現したミニチュアを、重ねてみる。
オーバーラップした時代層が、“池袋モンパルナス”の像をかすかに浮かび上がらせる。
町歩きの楽しみは、現在を歩きながら、記憶を多重露光させ、多層的な時間を回遊するところにあるのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/1a/52ad5e2110fe8070939bdaa824b8ca5b.jpg)
『池袋モンパルナス』で、頭一つ出た「天才」として書かれる松本竣介と靉光は、自画像が中学の美術の教科書に載っていて、なんとなく知っていた。松本竣介の自画像は、着ているGジャンのボタンがきらりと輝き印象的だった。靉光の自画像は矢沢永吉と間寛平の両方にどこか似ていた。
額縁の中の「名画」だと思っていた彼らの絵が、この本を読んで、やむにやまれぬ精神の生きた痕跡であることがわかった。彼らの絵に、リアリティを感じることができた。
靉光の「眼のある風景」は、中傷的な風景に片目がモンタージュされた作品である。
わたし達は現在の時点から靉光の絵を見ているが、絵の眼はこちらを見ている。池袋モンパルナスの時代に見られている。古キャンのむこうから靉光の眼がわたし達に問いかけている。彼の時代精神に、後代のわたし達はどう答えればよいのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/11/48407f623943dd423c4dd0f0242cc8a2.jpg)
駅前は、小さな商店が軒を連ねる商店街が縦横に交差している。昔ながらの、のどかな駅前風景に心が和む。
北口から長崎町二丁目方面にまっすぐ続く通りを進む。今ではアパートや家々がひしめくありふれたこの界隈に、かつて“桜ヶ丘パルテノン”と呼ばれるアトリエ村があった。
池袋近郊に点在する貸アトリエ住居群は、“池袋モンパルナス“と名付けられていた。
宇佐美承著『池袋モンパルナス』(集英社文庫)を読んだ。
西武池袋線沿線に住むようになって、“池袋モンパルナス”という文化サロン的な地域件がかつてあった、ということは、知っていたが、関心を向けていなかった。少し渋すぎるな、と思っていた。だが、この著作に蒙を啓かれた。充実した読書だった。
池袋周辺に吹き寄せられた詩人・小熊秀雄、画家・松本竣介や靉光・・・。大正デモクラシーの自由な気風を胸いっぱいに吸い込んだ若い芸術家たちの青春群像が、当事者の証言を交え、語られる。
「キャンバスはむろん、古キャンだよ。会い光が行きながらレンブラントみたいになったのは古キャン(※古いキャンバス)のおかげだ。色が深くなるんだ。実にシンとした光の絵になるわけだ。削り落とし、洗い落とし、そのうえに描いては消し、消しては描き、ぶ厚く盛りあがっていくんだ」
アトリエ村に集う時代精神を、著者は「求道と放恣」と言い表している。足りないが剤でキャンバスに向かい、時に気晴らしに池袋の繁華街で、デタラメな夜を明かした。
“妙にひっそりしている家があって、そんな家の煙突からは、冬にはかならず煙がたちのぼり、北向きの部屋のトップライトからは明かりが洩れていた。アトリエで画学生たちはキャンバスに向かい、彫刻家の卵たちは粘土をこねているにちがいなかった。入り口には「制作中に付面会禁止」の札がぶら下がっていた。もっとも、それをぶら下げて、実はモデルと戯れている者もいなくはなかった。”
大正デモクラシーの面影は、現在の池袋にほど近い住宅街に、感じることはできない。千早二丁目の閑静な高級住宅が建ち並ぶ一角に、コンクリート打ちっぱなしの瀟洒な熊谷守一美術館がある。若い芸術家がこの一体に集まり始めたころ、すでに大家だった熊谷は、この地に居をかまえ生涯ここで創作に励んだ。
晩年の作風は、まるで子供の落書きのように作為がない。コンクリートの壁面に、そんな熊谷の絵を模したレリーフがあしらわれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/46/6924a1794f631f3bd6e97dfc12715502.jpg)
豊島通りに出て、有楽町線要町駅方面へ歩く。風が冷たい。ドトールコーヒーで暖をとり、しばし文庫本を開く。
『池袋ノンパルナス』で、アメリカ帰りの共産党員で、細々とスパイ活動を行なっていた宮城与徳と野田英夫について、戦争協力の「戦争画」を書いた小川原脩について書いた章は、出色である。
大正デモクラシーの束の間の光のあとの、戦時下に落ちる影の部分を拾い上げている。ノンフィクションの大事な仕事だ。
“いずれにしても、宮城同様に、絵かきの野田にあたえられた任務はたいしたものではなかったろう。宮城は、絵かきだと相手に警戒されにくいという理由で選ばれた。野田の場合も同様だったろうか。もしそうなら、任務をあたえたコミンテルンの人は、絹のように繊細な神経の絵かきに、なんとむごいことをしたのだろう。”
“やはり小川原は傷ついていた。でもあのころの国民はおおかたがそうであったように、小川原も時代に流されただけではなかったのか。ただその間に何かがあって、普通の人よりだいぶ派手に振舞ってしまった。(中略)もの心ついたときにもう戦争が始まっていた世代にとって戦争が日常で、平和というものは実感できなかった。そうした事実をこそいま考えねばならぬのにおおかたの日本人はあっけらかんと生きている。(中略)そんななかで小川原は、じっと堪えて絵を描きつづけている。そんなふうに私は思った。”
自由な気風に酔い、時節に流されるナイーブさを、後代のわたし達は責められるだろうか。笑えるだろうか。現代の、寄らば大樹の陰を地でいく情報の波を乗りこなしているつもりで。
山手通りを横切り、池袋西口方面へ向う。立教大学周辺まで来ると、ようやく馴染みのある風景だ。大正期の“池袋モンパルナス”の面影を追いながら、急に現在の街に引き戻された感じだ。西口公園前から南にしばらく歩き、豊島区郷土資料館に寄ってみる。
ここには、アトリエ村の模型が展示されている。
今日、歩いてみた風景と、当時を再現したミニチュアを、重ねてみる。
オーバーラップした時代層が、“池袋モンパルナス”の像をかすかに浮かび上がらせる。
町歩きの楽しみは、現在を歩きながら、記憶を多重露光させ、多層的な時間を回遊するところにあるのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/57/eae16cc76808f2221719b075c6231048.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/1a/52ad5e2110fe8070939bdaa824b8ca5b.jpg)
『池袋モンパルナス』で、頭一つ出た「天才」として書かれる松本竣介と靉光は、自画像が中学の美術の教科書に載っていて、なんとなく知っていた。松本竣介の自画像は、着ているGジャンのボタンがきらりと輝き印象的だった。靉光の自画像は矢沢永吉と間寛平の両方にどこか似ていた。
額縁の中の「名画」だと思っていた彼らの絵が、この本を読んで、やむにやまれぬ精神の生きた痕跡であることがわかった。彼らの絵に、リアリティを感じることができた。
靉光の「眼のある風景」は、中傷的な風景に片目がモンタージュされた作品である。
わたし達は現在の時点から靉光の絵を見ているが、絵の眼はこちらを見ている。池袋モンパルナスの時代に見られている。古キャンのむこうから靉光の眼がわたし達に問いかけている。彼の時代精神に、後代のわたし達はどう答えればよいのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/11/48407f623943dd423c4dd0f0242cc8a2.jpg)
大竹伸朗著『権三郎月夜』(月曜社)読む。
“ゴンザブロー”という名の犬の視点で語られる小篇。
絵本『ジャリおじさん』の作者でもあり、犬視点・ですます体で語られる物語は、ビターな大人の童話を思わせる。
だが、そうこうするうちに、うらぶれた港町の光景にバリバリと裂け目が走り、サイケデリックな幻想世界がまき散らされる。
それでも、犬目線だとどこかとぼけたユーモアが感じられるから不思議だ。
「その時権三郎の腹のあたりに蚤がザッと走るのを感じ、音を立てないようガッガッガッガッと素早く前歯でその蚤を追いました。するとその蚤が四、五匹権三郎の腹を離れピュンピュン床を跳ねてオバちゃんの足元まで行きシュミーズに下から次々と飛び込んでしまったのです。
オバちゃんは顔を真っ赤にしてシュミーズの腹のあたりをボリボリ激しく掻き出しましたが何が起きたのかは分かりません。ソファの下、権三郎の中で悲しさと可笑しさと恐怖がゴチャマゼになりました。」(「権三郎月夜」)
なんとも不思議な読後感だ。
併録された「覗き岩テクノ」は、サイケデリックな幻想を断片的にコラージュしたような掌編だ。
どこか町田康の詩を思わせる。
「しょうこりもなく逆光の、覗岩の波に洗われた凹凸の、空を見上げりゃ一筋の飛行機雲がやけに青い夕空であることよ。
まだ生きてやがるぜ、ったくよ、なんだかわけわかんねえ。
まったくもって救いよーのねえ日常は、オレの今生だと思いつつ眺める沖の白波よ。」(「覗岩テクノ」)
凝縮度の高いコトバに刺激を受けた。
“ゴンザブロー”という名の犬の視点で語られる小篇。
絵本『ジャリおじさん』の作者でもあり、犬視点・ですます体で語られる物語は、ビターな大人の童話を思わせる。
だが、そうこうするうちに、うらぶれた港町の光景にバリバリと裂け目が走り、サイケデリックな幻想世界がまき散らされる。
それでも、犬目線だとどこかとぼけたユーモアが感じられるから不思議だ。
「その時権三郎の腹のあたりに蚤がザッと走るのを感じ、音を立てないようガッガッガッガッと素早く前歯でその蚤を追いました。するとその蚤が四、五匹権三郎の腹を離れピュンピュン床を跳ねてオバちゃんの足元まで行きシュミーズに下から次々と飛び込んでしまったのです。
オバちゃんは顔を真っ赤にしてシュミーズの腹のあたりをボリボリ激しく掻き出しましたが何が起きたのかは分かりません。ソファの下、権三郎の中で悲しさと可笑しさと恐怖がゴチャマゼになりました。」(「権三郎月夜」)
なんとも不思議な読後感だ。
併録された「覗き岩テクノ」は、サイケデリックな幻想を断片的にコラージュしたような掌編だ。
どこか町田康の詩を思わせる。
「しょうこりもなく逆光の、覗岩の波に洗われた凹凸の、空を見上げりゃ一筋の飛行機雲がやけに青い夕空であることよ。
まだ生きてやがるぜ、ったくよ、なんだかわけわかんねえ。
まったくもって救いよーのねえ日常は、オレの今生だと思いつつ眺める沖の白波よ。」(「覗岩テクノ」)
凝縮度の高いコトバに刺激を受けた。