「英語で、『fish story』って言うと、ほら話のことだ」
井坂幸太郎著『フィッシュストーリー』(新潮社)読む。
この一冊には、四つの短編が収められている。いずれも、井坂作品のエッセンスを凝縮したような小説だった。
それは、「ほら話」という一言に尽きる。
井坂幸太郎は、自分の作品への自身と、作家としての覚悟をこめて、このタイトルを付けたのだと思った。
「フィッシュストーリー」には、「ほら話。大げさな、作り話」という意味がある。元々、釣り師が釣果を実際より誇張して言いがちなことに由来するという。映画『ビックフィッシュ』も同じ意味で、こちらも「ほら話」がストーリーの主軸になっていた。
井坂作品は、いつでも荒唐無稽なアイデアが物語を引っ張る。
『フィッシュストーリー』中の「動物園のエンジン」から引用してみる。
「あの男の向かいの檻、分かるか?」
「シンリンオオカミ」看板にそうあった。
「な」河原崎さんは威勢がよかった。何が「な」なのだ、と私は怒りそうになる。
「オオカミって言えば英語だと『wolf』だろうが」
「ですね」
「それを逆さにしてみろよ。『flow』だろう?」
「ですね」
「『flow』には『小川』っていう意味があるだろ?あるんだよ。殺された市長の名字と同じだ。小川。あの市長の名前は小川純、すげえだろ」
彼がどこまで本心で言っているのか、判断しかねた。
「あの男、たぶん、市長の事件に関係しているぞ」
このように冗談みたいな会話がどんどん転がっていき、荒唐無稽さがパンパンに膨らんでいく。現実的にありえない着想で、ストーリーとして破綻しそうになるのだが、結末はいつの間にか、思ってもいなかった地点に着地している。
このような物語を読むスリルを満たしてくれるのが、井坂作品の特徴だ。
井坂幸太郎の姿勢は、初期のころから一貫している。映画にもなった『陽気なギャングが地球を回す』のあとがきで、次のように書いている。
「現実とつながっているように見えながらも、実はつながっておらず、また寓話のように感じられるかもしれませんが、寓意は込められていない」
エンターテイメント作家の決意表明めいて印象的な言葉だ。
寓意のない寓話。荒唐無稽なほら話で、現実に負けないフィクションを書くこと。
今、最も信用できる小説家の一人だと思う。
井坂幸太郎著『フィッシュストーリー』(新潮社)読む。
この一冊には、四つの短編が収められている。いずれも、井坂作品のエッセンスを凝縮したような小説だった。
それは、「ほら話」という一言に尽きる。
井坂幸太郎は、自分の作品への自身と、作家としての覚悟をこめて、このタイトルを付けたのだと思った。
「フィッシュストーリー」には、「ほら話。大げさな、作り話」という意味がある。元々、釣り師が釣果を実際より誇張して言いがちなことに由来するという。映画『ビックフィッシュ』も同じ意味で、こちらも「ほら話」がストーリーの主軸になっていた。
井坂作品は、いつでも荒唐無稽なアイデアが物語を引っ張る。
『フィッシュストーリー』中の「動物園のエンジン」から引用してみる。
「あの男の向かいの檻、分かるか?」
「シンリンオオカミ」看板にそうあった。
「な」河原崎さんは威勢がよかった。何が「な」なのだ、と私は怒りそうになる。
「オオカミって言えば英語だと『wolf』だろうが」
「ですね」
「それを逆さにしてみろよ。『flow』だろう?」
「ですね」
「『flow』には『小川』っていう意味があるだろ?あるんだよ。殺された市長の名字と同じだ。小川。あの市長の名前は小川純、すげえだろ」
彼がどこまで本心で言っているのか、判断しかねた。
「あの男、たぶん、市長の事件に関係しているぞ」
このように冗談みたいな会話がどんどん転がっていき、荒唐無稽さがパンパンに膨らんでいく。現実的にありえない着想で、ストーリーとして破綻しそうになるのだが、結末はいつの間にか、思ってもいなかった地点に着地している。
このような物語を読むスリルを満たしてくれるのが、井坂作品の特徴だ。
井坂幸太郎の姿勢は、初期のころから一貫している。映画にもなった『陽気なギャングが地球を回す』のあとがきで、次のように書いている。
「現実とつながっているように見えながらも、実はつながっておらず、また寓話のように感じられるかもしれませんが、寓意は込められていない」
エンターテイメント作家の決意表明めいて印象的な言葉だ。
寓意のない寓話。荒唐無稽なほら話で、現実に負けないフィクションを書くこと。
今、最も信用できる小説家の一人だと思う。